生きかた名人、逝く!

一条真也です。
18日、早朝から小倉の松柏園ホテルで行われた月次祭および天道塾に参加しました。その後、各種の打ち合わせなどを済ませてからサンレー本社へ移動し、ランチタイムにiPad−miniを開いたところ、「ヤフー・ニュース」のTOPに「日野原さん死去 生涯現役貫く」という見出しを発見しました。


「ヤフー・ニュース」より



「えっ、日野原さんって、日野原重明先生?」・・・驚いてクリックすると、「100歳超えて現役医師 日野原さん『習慣病』も提唱」というタイトルで、「朝日新聞デジタル」の配信記事が出てきました。
そして、そこには以下のように書かれていました。
「100歳を過ぎても医師を続け、『生きかた上手』などの著作や講演で広く知られた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明(ひのはら・しげあき)さんが、18日午前6時33分、呼吸不全で死去した。105歳だった。戦後いち早く、患者と対等に接する医療に着目。看護教育の充実などに取り組んだほか、柔らかい表現で命を語る姿勢が幅広い世代に親しまれた」



続いて、日野原先生の略歴が以下のように紹介されています。
「1911山口県生まれ。京都帝大医学部卒。41年から内科医として聖路加国際病院に勤めた。同病院内科医長、聖路加看護大学長、同病院長などを歴任。02年度朝日社会福祉賞。05年に文化勲章を受章した。
専門は内科学。54年、勤務していた聖路加国際病院で、国内の民間医療機関で初めて人間ドックを導入した。成人病と呼ばれていた脳卒中、心臓病などを『習慣病』と呼んで病気の予防につなげようと70年代から提唱してきた。旧厚生省は96年になって成人病を生活習慣病と改称し、今では広く受け入れられている」


生きかた上手

生きかた上手

さらに、日野原先生について記事には以下のように書かれています。
「医師が患者を大切にして、対等に接する米国医療の側面に戦後早くから注目し、看護師の仕事も重視した。51年の米留学後、医師の卒後臨床研修の改革や、看護教育の充実、看護師業務の拡充などを求めてきた。聖路加看護大学長を務め、88年には看護学として日本初の大学院博士課程を開設した。
自立し社会に貢献する新しい老人像を求める「新老人の会」会長として全国で講演。著書は200冊を超える。90歳で『いまだに現役で、想像力も行動力も若い人には負けない』と記した『生きかた上手』(ユーリーグ)がベストセラーになるなど、命を語る著作が広く親しまれている」


続 生きかた上手

続 生きかた上手

日野原先生は、わたしどもの松柏園ホテルにお越しになられたこともあります。いつも穏やかで優しい方でした。高齢大国ニッポンのシンボル的存在として、大活躍されました。多くの著書や講演、何よりもその生き様によって、日本人に「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を与えて下さいました。まさに「生きかた上手」いや「生きかた名人」と呼ぶべき方でした。


LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

「生きかた名人」として、日野原先生は105歳まで生きられたわけですが、わたしは最近読んだ『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』リンダ・グラットン&アンドリュー・スコット著、池村千秋訳(東洋経済)という本の内容を思い出しました。「100年時代の人生戦略」というサブタイトルがついたベストセラーで、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2017」にて、総合グランプリを受賞しています。



同書の「日本語版への序文」では、「幸せな国、日本」として、2050年までに、日本の100歳以上人口は100万人を突破し、2007年に日本で生まれた子どもの半分が107年以上生きるという国連推計を紹介しています。そして、以下のように述べています。
「長寿化は、社会に一大革命をもたらすと言っても過言でない。あらゆることが影響を受ける。人々の働き方や教育のあり方も変わるし、結婚の時期や相手、子どもをつくるタイミングも変わる。余暇時間の過ごし方も、社会における女性の地位も変わる。20世紀に、日本の社会と経済は大きな変貌を遂げた。長寿化は、21世紀に同様の大きな変化を日本にもたらすだろう。この先、多くの変化が日本人を待っている」



また、2014年に出版された同書には、以下のようにも書かれています。
「過去100年を振り返ると、いま100歳の人たちは、生涯を通して多くのことを経験してきた。二度の世界大戦と、騎兵から核兵器への戦争手段の変化を目の当たりにし、ロシア革命共産主義の興亡も目撃した。史上最初のグローバリゼーションの終焉と第二のグローバリゼーションの興隆、中国の衰退と台頭、電気、ラジオ、テレビ、量産型乗用車、最初の商業用旅客航空機の登場、人類最初の月面着陸、そしてインターネットの誕生も見届けてきた。家庭生活でも、自動洗濯機と電気掃除機が家にやって来て、屋内トイレが多くの家に普及し、ジッパーとブラジャーも当たり前になった」
ここでいう「100年前」とは1914年のことです。日野原先生は1911年のお生まれですから、ここに書かれているような出来事はすべて経験されてきたということです。考えれば考えるほど、すごいことです。



そして、同書の終章「変革への課題」で、著者はこう述べるのでした。
「100年ライフの時代には、人生の時間は、繁殖という進化上の役割を果たすために必要とされるより長く、金銭面の安定を確保するにも十分すぎるくらいになる。子づくりと貯蓄に使わずに済む時間は、どのような活動に費やされるのか? 人生のさまざまな時期に時間的ゆとりが増えれば、自分がどういう人間かを探求する機会を得られるのだろうか? それにより、自分が生まれた社会の伝統に従うのではなく、みずからの価値観や希望に沿った生き方ができるようになれば、それ以上の『長寿の贈り物』はおそらくないだろう」


人生の修め方

人生の修め方

『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』を読み終えて、わたしは「この本が『人生100年時代』ムーブメントのバイブル」と呼ばれる意味がわかった気がしました。「人生100年」といえば、拙著『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)の帯には、「人生100年時代。いつまでもポジティブでありたい人に贈るヒント集。『終活』から『修活』へ――」と書かれています。



ずいぶん以前から「高齢化社会」と言われ、世界各国で高齢者が増えてきています。各国政府の対策の遅れもあって、人類そのものが「老い」を持て余しているのです。特に、日本は世界一高齢化が進んでいる国とされています。しかし、この国には、高齢化が進行することを否定的にとらえたり、高齢者が多いことを恥じる風潮があるようです。それゆえ、高齢者にとって「老い」は「負い」となっているのが現状です。人は必ず老い、そして死にます。「老い」や「死」が不幸であれば、人生はそのまま不幸ということになります。これでは、はじめから負け戦に出るのと同じではないですか。


人生100年時代をどう生きて、どのように生を修めるか?



そもそも、老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。わたしは、本書で「豊かに老いる」そして「美しく人生を修める」ヒントのようなものを書きました。「人生100年時代をどう生きて、どのように生を修めるか?」について考えるすべての方に読んでいただきたいです。この本の内容、さらには「人生の修め方」「修活」というコンセプトそのものが、日野原先生の考え方から多大な影響を受けています。


日野原先生のお葬儀は、「病院葬」として、今月29日に東京都内の葬儀場で行われる予定だそうです。お別れ会のみで、正式な葬儀を行わない有名人が多い昨今ですが、日野原先生が縁のあった方々から見送られて「有終の美」を飾られると知り、わたしは安心いたしました。
「生きかた名人」は、「逝きかた名人」でもありました。
日野原重明先生の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年7月18日 一条真也