『般若心経』講話

一条真也です。
21日の16時半から、臨時の「平成心学塾」を開講しました。
そこで、わたしは『般若心経』についての講話を行いました。
もうすぐ上梓する『般若心経 自由訳』(現代書林)をテキストに、全国から集まった葬祭責任者を前に話しました。いつもはセレモニーホールの支配人までですが、この日は副支配人も加わって人数が増えました。


最初は「一同礼!」から・・・・・・

みなさん、お元気ですか?



会場は、小倉紫雲閣の「鳳凰の間」でした。
いつもは、葬儀が行われている部屋ですね。
そこで「導師入場」ならぬ「講師入場」として、演壇に進みました。
わたしはまず、現代日本における葬儀の現状、それから現代日本仏教の問題点について語りました。近年、葬儀に親類縁者は集まりますが、葬儀と一緒に初七日や四十九日の法要も済ませるのが一般的です。本来、「初七日」とは命日を含めて7日目の法要であり、以後、7日ごとに法要が営まれ、命日から数えて49日目に「四十九日」の法要が営まれていました。


現代日本における葬儀の現状を語りました

現代日本仏教の問題点について語りました



なぜ、7日ごとに法要が営まれたのか。それは、亡くなった人に対して閻魔大王をはじめとする十王からの裁きが下され、49日目に死後に生まれ変わる先が決められるという信仰があったからです。故人が地獄、餓鬼、畜生、修羅などの世界に落ちることなく、極楽浄土に行けることを祈って法要が行われました。「四十九日」の法要までが忌中で、神社への参拝や慶事への出席などは遠慮する習わしです。しかし、現代社会では親類も遠くに住んでおり、仕事などの都合もあって、7日ごとに法要するのが困難になってきました。49日目に再度集まるのも大変です。


講話のようす

ホワイトボードを使って説明しました



葬儀の日に「四十九日」の法要まで済ませてしまうというのは、合理的な考え方かもしれません。でも、それは、それこそ伝統的に信じられてきた閻魔大王の裁きのスケジュールを人間の都合に合わせてしまうことでもあり、じつは仏教的にはトンデモないことです。
それこそ実際の裁判の被告が、裁判長に向かって「忙しいので、一審、二審、三審を同じ日にやってくれませんか」と言うのと同じことです。本当は、こんな無法がまかり取っている時点で、仏教的には破綻しています。


『般若心経 自由訳』の表紙を初公開!



それから、『般若心経』の話題に移り、日本人にとって最も親しまれているお経である『般若心経』の自由訳を紹介しました。葬祭責任者たちの前で自由訳を披露するのは初めてです。仏教には啓典や根本経典のようなものは存在しないとされます。しかし、あえていえば、『般若心経』が「経典の中の経典」と表現されることが多いです。『西遊記』で知られる唐の僧・玄奘三蔵は、天竺(インド)から持ち帰った膨大な『大般若経』を翻訳し、約300字に集約して『般若心経』を完成させました。その後、古代よりアジア全域で広く親しまれてきました。


『般若心経』の成立史を説明しました

1ページづつ、自由訳を紹介しました



そこで説かれた「空」の思想は中国仏教思想、特に禅宗教学の形成に大きな影響を及ぼしました。日本に伝えられたのは8世紀、奈良時代のことです。遣唐使に同行した僧が持ち帰ったといいます。以来、1200年以上の歳月が流れ、日本における最も有名な経典となりました。特に、遣唐使に参加した弘法大師空海は、その真の意味を理解しました。空海は、「空」を「海」、「色」を「波」にたとえて説いた『般若心経秘鍵』を著しています。わたしの自由訳のベースは、この空海の解釈にあります。


美しい写真が次々に登場しました

写真とともに自由訳を披露しました



これまで、日本人による『般若心経』の解釈の多くは間違っていたように思います。なぜなら、その核心思想である「空」を「無」と同意義にとらえ、本当の意味を理解していないからです。「空」とは「永遠」にほかなりません。「0」も「∞」もともに古代インドで生まれたコンセプトですが、「空」は後者を意味しました。わたしは、「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。「空」とは実在世界であり、あの世です。「色」とは仮想世界であり、この世です。


会場が静まり返りました

最後に大いなる秘密が・・・・・・



最後に出てくる「羯諦羯諦(ぎゃあてい ぎゃあてい)」が『般若心経』の最大の謎であり、核心であると言われています。古来、この言葉の意味についてさまざまな解釈がなされてきましたが、わたしは言葉の意味はなく、音としての呪文であると思いました。そして、「ぎゃあてい ぎゃあてい」という古代インド語の響きは日本語の「おぎゃー おぎゃー」、すなわち赤ん坊の泣き声であるということに気づいたのです。


死とは、母なる世界に帰ってゆくこと!



人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、「おぎゃあ、おぎゃあ」と言いながら生まれてきます。「はあらあぎゃあてい はらそうぎゃあてい ぼうじいそわか」という呪文は「おぎゃあ、おぎゃあ」と同じことです。すなわち、亡くなった人は赤ん坊と同じく、母なる世界に帰ってゆくのです。


『般若心経』の真髄を説きました



「あの世」とは母の胎内にほかなりません。
ですから、死を怖れることはありません。
死別の悲しみに泣き暮らすこともありません。
「この世」を去った者は、温かく優しい母なる「あの世」へ往くのですから。
最後に、「これが『般若心経』。『永遠』の秘密を説くお経である・・・・・・」とわたしが述べると、会場から大きなため息が漏れました。


仏教の未来を構想する

最後は、もちろん「一同礼!」


『般若心経』とは、多くの日本人にとってブッダのメッセージそのものかもしれません。そして、そのメッセージとは「永遠」の秘密を説くものであり、「死」の不安や「死別」の悲しみを溶かしていく内容となっています。超高齢社会を迎えたすべての日本人にとって、本書が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」、そして、「安らぎ」と「幸せ」を自然に得ることができる書となれば、こんなに嬉しいことはありません。わたしの講話を聴いた葬祭責任者たちは、まるで悟りを開いた高僧のような清々しい顔をしていました。
般若心経 自由訳』は8月の発売予定です。お楽しみに!
同じ頃、小中学生向けの『はじめての「論語」』(三冬社)も刊行されます。
「子どもに『論語』を、お年寄りに『般若心経』を!」を合言葉として、わたしたちは「天下布礼」をさらに推進させたいと願っています。 


般若心経 自由訳』(現代書林、8月刊行予定)



2017年6月22日 一条真也