幸せであれ 平穏であれ 安らかであれ(ブッダ) 


一条真也です。4月8日は「花祭り」ですね。
灌仏会」「降誕会」「仏生会」などの別名もありますが、いずれも仏教の開祖であるブッダの生誕日をお祝いする日です。日本には7世紀頃に中国から伝わり、お寺の行事として現在も継承されています。



ブッダは、紀元前500年前後に、インドとネパールの国境近くで、王族の子として生まれました。妻子とともに豊かな生活を送っていましたが、29歳で出家し、修行生活に入りました。出家した彼は、壮絶な修行を積んだが、理想には到達できませんでした。そして、極端なことをしない「中道」を行くべきであるという結論に達し、静かな瞑想にふけりました。
その結果、「空」の境地に至り、ついに悟りを開きました。こうして、人間ゴータマ・シッダールタは「めざめた者」としてのブッダになったのです。その後、ブッダは自らの悟りを人々に説き続け、80歳で亡くなりました。


慈経 自由訳』(三五館)



わたしは、『慈経 自由訳』(三五館)を上梓しました。
「慈経」(メッタ・スッタ)は、ブッダの本心がシンプルに、そしてダイレクトに語られている、最古の仏典の1つであり、重要なお経です。上座仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」にも比肩します。
上座仏教はかつて、「小乗仏教」など蔑称されましたが、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れてきました。「メッタ」とは、「慈しみ」という意味になります。「スッタ」とは、「たていと」「経」を表します。


興味深いことに、ブッダは満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられています。
満月とは、満たされた心のシンボルにほかなりません。
わたしは、「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。生命のつながりを洞察したブッダは、人間の清らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を重視しました。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残しました。



「慈経」には、「すべての生きとし生けるものが幸せであれ 平穏であれ 安らかであれ」という言葉が繰り返し登場します。この言葉は、あらゆる人間、あらゆる生命へ向けての最高の言霊ではないでしょうか。
また、「慈経」には、わたしたちは何のために生きるのか、人生における至高の精神が静かに謳われています。人間の「あるべき姿」、いわば「人の道」が平易に説かれているのです。



「足るを知り 簡素に暮らし 慎ましく生き」といった仏教の根本思想をはじめ、「相手が誰であろうと けっして欺いてはならぬ」「どんなものであろうと 蔑んだり軽んじたりしてはならぬ」「怒りや悪意を通して他人に苦しみを与えることを 望んではならぬ」といったメッセージも説かれています。
その内容は孔子の言行録である『論語』、あるいはイエスの言行録である『新約聖書』の内容とも重なる部分が多いと思います。
ともあれ、偉大なるブッダの誕生日をともに祝おうではありませんか!



(追伸)この日、ついに「般若心経」の自由訳が完成しました。ブッダの誕生日に、一気に完成させました。あくまでもシンプルに、なによりも葬儀の遺族の方々の心を癒す内容を心がけました。ダライ・ラマ14世が言われたように、本来の「般若心経」とは、死の「おそれ」と「かなしみ」を消すお経です。今回の自由訳では、そのメッセージを日本人に広く伝えたいです。合掌。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年4月8日 一条真也