故宮博物院 

一条真也です。
ブログ「忠烈祠」で紹介した場所の後は、有名な国立故宮博物院を訪れました。訪問前に気温が急上昇して、26度ぐらいになりました。
わたしは、白いマフラーを外しました。台湾の気温は読めません!


故宮博物院の前で

上野の仇を取りたい!

とても広い場所です

故宮博物院の入口で


昨秋、東京と九州の国立博物館で「神品至宝 国立故宮博物院展」と銘打った特別巡回展が開催されていましたので、鑑賞された方も多いのではないでしょうか。翡玉白菜を観に、わたしも上野まで出かけましたが、なんと「6時間待ち」の表示を見て、ギブアップしました。ぜひ、仇を取りたい!
故宮博物院は、中華民国において最大の国立博物館で、数多くの古代中国の美術品を所蔵しており、その多くが中国古代皇帝によって蒐集された名品揃いであることで有名です。


入口には孫文銅像が・・・

孫文の遺徳を偲ぶ



Wikipedia「国立故宮博物院」では、次のように説明されています。
故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた」


数々の貴重な美術品が揃っています

説明するガイドの陳開運さん


かつて美術品は権力者の象徴であったこともあり、戦争と美術品とを巡る逸話は多いのですが、国際戦であれば戦勝国敗戦国から、内戦であれば勝者が敗者から美術品を簒奪するというのが常識となっていました。
第二次世界大戦中、故宮博物院の所属品は、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石の国民政府(後の中華民国政府)は戦火や日本軍から守るべく、重要な所蔵品を南方へ搬出しています。
戦後、所蔵品は南京・北京に戻されたのですが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は故宮博物院から第一級の所蔵品を精選して台湾に運び出されたそうです。


これが象牙球だ!!

象牙球の前で

これが翡玉白菜だ!!

翡玉白菜の前で



Wikipedia「国立故宮博物院」で、その後の経緯を見てみましょう。
「台湾に運ばれた中華の至宝は、初め台中県霧峰郷北溝の文物庫房に保管され、故宮の収蔵品の他に中央図書館・中央研究院史語所・中央博物院準備処の所蔵品も収められていた。1957年3月には北溝の陳列室で一般公開を始めた。その後中華民国政府は北溝の地が辺鄙であり、国内外の参観者を集めにくいとして、1965年8月台北の外双渓に台北新館を落成し同年11月12日に一般公開した」


貴重な収蔵品

貴重な収蔵品の数々

素晴らしい品の数々

素晴らしい品の数々



台湾では観光資源として故宮博物院を役立てるべく、施設の充実を図っています。もともと所蔵品の価値の高さは折り紙つきでしたから、いまやルーブル・エルミタージュと並び称される博物館とまで評されています。
しかし、故宮博物院の所蔵品は上記の経緯もあり、北京と台北の2カ所に別れて展示されているのです。


仏像の前で解説する陳さん

仏像の前で合掌しました

仏像を見ると、心が和みます

売店でお経が売られていました



戦争により翻弄されるのは人間だけではなく、美術品もまたしかり。
戦争の犠牲者は人間だけではなく、街並みや歴史的建造物や美術品にも及ぶことを考えれば、こうして先人たちが生み出した歴史的な美術遺品を鑑賞できる時代に生かされていることに感謝しなければなりませんね。それにしても、展示品の中に仏像があると心が和みます。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年3月3日 一条真也