中原中也記念館

一条真也です。
ブログ「西日本ブロック会議」で紹介したように、23日の夜は山口県山口市湯田温泉にある「湯田温泉ユウベルホテル松政」で、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の西日本ブロック会議が開催され、同ホテルに宿泊しました。温泉も食事も素晴らしかったです。


中原中也記念館の外観

中原中也記念館の前で

中原中也記念館の看板

中原中也生誕之地



24日の朝、食事を済ませると、ホテルのすぐ近くに中原中也記念館ある中原中也記念館を訪れました。同館公式HPには、「中原中也について」として、以下のように書かれています。
「わが国の文学史上に大きな足跡を残した近代詩人中原中也は、明治40年(1907年)4月29日、山口市湯田温泉に生まれました。中也は30年の短い生涯を詩に捧げましたが、生前は充分な評価を得ることのないまま、志半ばにして異郷の地で没しました」


中也通りに立つ

中也マンホール



続けて、同館公式HPには以下のように書かれています。
「彼の優れた詩才は少年のころから現れていましたが、昭和9年(1934年)に東京で詩集『山羊の歌』が出版されるに及び、広く詩を愛する人々に認められるに至りました。さらに『ランボオ詩集』を翻訳するなど、フランスの詩人の紹介にもつとめました。
不幸にも病により、昭和12年(1937年)10月22日、鎌倉で亡くなりました。享年30歳。生前郷里に引き揚げようとしてまとめていた詩集『在りし日の歌』は、その翌年、友人小林秀雄によって出版されました」


太宰治中原中也」展が開催されていました

中原中也の詩碑



さらに、同館公式HPには以下のように書かれています。
「中也の名声は、死後になって高まり、各社から出版された詩集や全集は数十冊に及びます。また、多くの詩選に収められ、海外にも紹介されています。彼の作品は年とともに評価を高め、今や近代文学を代表する叙情詩人として揺るぎない地位を得ています」


エントランスを望む



中原中也記念館の設計は全国公開設計競技により最優秀賞に選ばれた宮崎浩氏の作品です。平成10年には公共建築百選にも選ばれたそうです。同館HPで、宮崎市が以下のように述べています。
「この記念館では、外の風景や柔らかい光を取り入れたり、吹抜を設けることで限られた空間に拡がりと奥行を与えると共に、回遊性を持った空間構成により繰返し中也と出会うことができるように計画しています。こうした試みが、中也との出会いを一層印象的なものとし、彼の詩の世界により深く触れるきっかけとなれば幸いです。そして、中也の詩と共にすごした時間がその背景としての建築空間と共に、訪れた方々の記憶に残ることができれば大変うれしく思います」



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年9月24日 一条真也