妻への挽歌3000回

一条真也です。
2015年11月19日、日本で大変な偉業が達成されました。今は亡き愛する人へ送ったレターが3000通に達したのです。それは便箋に書かれたものではなく、ブログに綴られました。そう、「サロンの達人」こと佐藤修さんの亡き奥様への「節子への挽歌」が3000回を迎えたのです。


■節子への挽歌3000:3000日目



佐藤さんは2007年に最愛の奥様を亡くされてから、ほぼ毎日、3000日間以上も彼岸の奥様へ向けてブログを書かれているのです。亡くなった方のことを思い出すことは、故人にとって一番の供養だと思います。毎日、仏壇に手をあわせて故人を思い出す人はたくさんいるでしょう。しかし、佐藤さんは毎日、仏壇の遺影に向けて「般若心経」を唱えた後で奥様宛のブログを書かれます。そのブログが3000回を迎えたのです。故人へのメッセージの量としては、おそらくギネスブック級ではないでしょうか?



最愛の奥様を亡くされた佐藤さんの悲しみはあまりにも深いものでした。
2007年9月3日に書かれた「■節子への挽歌0:私にとって人生で一番悲しい日」には以下のように書かれています。
「信じがたく、残念なことですが、私にとってはかけがえのない妻が息を引き取りました。 気持ちが落ち着いたら書き込みを再開します。医療も葬儀も悲しいことが多すぎました。私の妻は『花や鳥』になりたいと言っていたので、最後にその話をさせてもらいましたが、葬儀社に頼んだら、いま流行らしい風にさせられてしまいました。さびしい時代だと思いました」
このとき、どのような葬儀をされて、「さびしい時代」だと思われたのか。
佐藤さんからそのときの詳しいお話は聞いていません。いつか、お聞きしたいと思っています。また、「花や鳥」になりたい方のための葬儀のあり方についてもお聞きしたいです。



命を削るような思いで書き続けられた挽歌は、100回を迎えました。
同年12月12日に書かれた「■節子への挽歌101:挽歌が書けるまで続けます」には以下のように書かれています。
「『節子への挽歌』も、ついに100回になりました。一体いつまで続けるのかと思われている方もいると思います。実は『節子への挽歌』が書けるまで続けたいと思っています。これまでも何回か、挽歌を書こうと試みたのですが、どうもうまく書けません。挽歌というものの難しさを知りました。
このブログを『節子への挽歌』と呼んでいますが、挽歌などといえるような代物ではありません。あえて言えば『鎮魂歌』です。こうした雑文を書いていると、心が鎮まることは間違いありません。節子のための鎮魂ではなく、私自身のための鎮魂かもしれませんが、私たちは一体だと私は思っていますから、私には矛盾ではないのです。このブログを書き続けてきたおかげで、私自身は毎日、節子との時間をかなり共有できています」



佐藤さんは、いつか自分が納得できる挽歌が書けるまで、あるいは挽歌を書かなくても納得できるようになるまでブログを続けたいとした上で、次のように書かれています。
「そんなわけで、挽歌はまだ続けます。なにしろ40年、一緒に暮らしてきた同志ですから、材料はなくなりません。それに私が心から愛した女性なのです。材料がなくなる時は、きっと私の人生もまた消える時です」



佐藤さんは「ただ次回からは節子への語りのスタイルにしようと思います。これまではそのスタイルがとれませんでした」と述べられ、2007年12月13日に書かれた「■節子への挽歌102:節子、お久しぶりです」では、次のように奥様に名前で呼びかけられています。
「節子、元気にしていますか。こちらは寒い雨の朝です。節子と会えなくなってから、もう3か月半もたちます。こんなに長く会わなかったのは2回目ですね。1回目は、生まれてから出会うまでの、私にとっては22年間。しかし、現世で出会ってからは一番長くても3週間でした。3か月もあなたに会わずにいられるなんて、とても不思議です」
こんなにも切ないラブレターは読んだことがありません。
最愛の人を亡くされた方の悲しみが痛いほど伝わってきます。



この102回目の挽歌の最後に佐藤さんは以下のように綴っています。
「本当にまた会えるのでしょうか。時々不安になりますが、必ずまた会えると信じています。今日は、節子への久しぶりの手紙を書いたような気がします。そういえば、結婚前もこうやって手紙を書いていたことがあるね。その時は、いつも返事が届いていたけれど、今度も返事はもらえるのでしょうか。いつまでも待っています」



そして、その年のクリスマスイブがやってきました。
同年12月24日に書かれた「■節子への挽歌113:今年のわが家の庭はちょっとさびしいです」の冒頭は、以下のように始まります。
「クリスマスイブです。 例年ならば一番楽しむのは節子なのに、今年は主役がいないのでさびしいです。
節子、そっちでのクリスマスはどうですか。こちらよりも派手でしょうか」



そして、佐藤さんは奥様がいない家の変化を報告します。
「今年のわが家の庭にはイルミネーションはありません。 節子が大好きで、いろいろと飾っていましたが、今年は玄関にあるだけで庭には一つもないのです。喪に服しているからではありません。むしろ節子を偲んで飾ろうかと話していたのですが、不思議なことに去年飾っていたイルミネーションが見事にみんな故障してしまい、うまく点灯しないのです。 直せば点いたのかもしれませんが、きっと節子がやめろと言っているのだと早合点して、みんな捨ててしまいました」



この挽歌の最後は以下のように締め括られています。
「娘が手づくりケーキを作ってくれましたが、いつも中心にいた節子がいないので、だれもプレゼントをもらえず、あげる気にもなれません。こんなにさびしいクリスマスイブは、わが家では初めてです。
そういえばクリスマスソングも、今年のわが家では一度も聴いていませんね。こういう貧しい家庭にはきっとサンタさんがプレゼントを届けてくれるでしょう。明日の朝、目が覚めたら、隣で節子が寝ているかもしれません。節子をプレゼントをしてくれたら、キリスト教に改宗してもいいと思っています。サンタさん聞いていますか」



この最後の一文を読んだとき、わたしは魂が震えるような感動をおぼえました。すでに初老の域に入られている男性が、なんの体裁を整えたり、世間体を気にするわけでもなく、子どものように純粋な心情を吐露している。ただひたすら今は亡き妻を想い、「もう一度、会いたい」という願いを素直に綴っている姿に「人はここまで深く人を愛せるのか」と感動したのです。



こんなにも深く奥様を愛していた人は、ちょっといないのではないかと思います。わたしは、佐藤さんの奥様への挽歌ブログは、もはや供養の「かたち」として前人未到の域に達しているのではないかと思えてなりません。
そして、ブログというスタイルを取っている以上、佐藤さんの言葉は奥様にだけ届いているのではありません。不特定多数の人々のもとに佐藤さんの言葉は届いています。その中には、愛する人を亡くした人もおられることでしょう。そして、その人々は佐藤さんの挽歌ブログを読み、悲しみを癒されていることでしょう。



そう、佐藤さん自身も「ブログは多くの人へのプレゼントです!」という記事に書かれているように、ブログとは心の贈り物なのです。わたしは、よく、「一条さんはプロの書き手なのに、あんなに無料ブログをたくさん書いてもいいんですか?」などと言われたりします。しかし、ブログはタダだからいいのです。そこに「贈与」という幸福な営みが生まれるからいいのです。
贈与とは、贈る側も贈られる側も幸せになれる行為です。
そして、まさにブログとは贈与そのものなのです。



そして、月日は経過して8年目、今日書かれた「■節子への挽歌3000:3000日目」には以下のように書かれています。
「節子 この挽歌もついに3000回になりました。つまり、節子のいない日を3000日、過ごしたということです。よくまあ生き続けてきたものです。書くことは、喪失の哀しさを埋め合わせてくれる大きな力を持っていますが、逆に悲しさを持続させる力も持っています。 悲しさを埋め合わせるのと持続させるのは、対立するわけではなく、同じものかもしれませんが、ともかく『書くこと』の意味は大きいことを、私は実感しています」



そして、吉田兼好の『徒然草』は、愛した女性の死によって生じた悲しさを乗り越えるために書き続けた書ではないかという作家の秦恒平さんの見解を紹介した後で、佐藤さんは次のように述べています。
「まだ書いているのか、と言われそうですが、たぶんここまで来たら、彼岸に旅立つ、その日まで書き続けるような気がします。
3000日。いまから思えばあっという間の3000日でした。そしてまた、あっという間に、彼岸に旅立つ日が来るのだろうなと思えるようになっています。時間の意味が、変わってしまったのかもしれません」



佐藤さんは「時間の意味が、変わってしまったのかもしれません」と書かれていますが、もともと時間とは、人間が創り出した人工的な概念です。
死および死後の世界においては時間など、まったく関係ないと主張したのが、臨死研究のパイオニアであるキューブラー・ロスです。「死へのプロセス」を広く世に示した彼女は、晩年、死ぬ瞬間に起こるスピリチュアルな問題にまで立ち入りました。死ぬ瞬間には3つの段階がありますが、その第2段階では、誰も独りぼっちで死ぬことはないということがわかるそうです。そして、肉体から離れたとき、時間はもはやなくなるというのです。空間もなくなります。だから、死者の思念はどんなに遠く離れた場所にも瞬時に届き、いわゆる「虫の知らせ」などの現象を起こすというのです。



時間がなくなるということは、どういうことでしょうか。
それは、先立って亡くなり、自分のことを愛し、大事にしてくれた人たちに会えるということです。そして、この段階では時間が存在しないために、20歳のときに子どもを亡くした人が99歳で亡くなっても、亡くしたときと同じ年齢のままの子どもに会うことができるのです。ロスの研究では、あの世の1分はこの世の時間の100年にも相当するそうです。
ですから、たとえば夫婦や恋人が死に別れたとして、二人の死に数十年の時差があるとしても、あの世では一瞬のことにすぎません。どういうことかというと、あなたが、愛する人を残して死ぬとします。相手は、あなたの思い出を大切に心に抱いて生き続け、その30年後に亡くなるとします。でも、あなたが死んで、あの世に着いたと思ったら、そのすぐ直後に相手も出現するのです。あの世での再会にタイムラグはないわけです。
これは、なんと素晴らしいことでしょうか!



このように、あの世では時間は無意味なのかもしれません。でも、この世では意味があります。とくに、愛する人を亡くした悲しみを癒すために、時間は不可欠です。「日薬(ひぐすり)」あるいは「日にち薬」という言葉があるように、時間は悲しみを癒す最高の妙薬です。
仏教には、初七日、二十七日、四十九日などの忌中の法要や命日やお盆があります。またキリスト教には「死者の日」があります。それぞれの宗教において、一定の期間をおいて死者の追悼儀礼を繰り返すわけです。こうした習慣も、時間のもつ「癒し」の力を使っているのです。そして、時間をかけた一連の宗教儀礼は、死別の悲しみを確実に癒してゆくことができます。あの世と違って、この世では、人間は時間の中で生きているのです。
8年前のクリスマスイブに佐藤さんは「節子をプレゼントをしてくれたら、キリスト教に改宗してもいいと思っています」と言われましたが、『旧約聖書』の「伝道の書」では、この世における時間というものの本質を見事にとらえています。以下のとおりです。

 

 天が下のすべての事には季節があり、
 すべてのわざには時がある。
 生るるに時があり、死ぬるに時があり、
 植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
 殺すに時があり、いやすに時があり、
 こわすに時があり、建てるに時があり、
 泣くに時があり、笑うに時があり、
 悲しむに時があり、踊るに時があり、
 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
 抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
 捜すに時があり、失うに時があり、
 保つに時があり、捨てるに時があり、
 裂くに時があり、縫うに時があり、
 黙るに時があり、語るに時があり、
 愛するに時があり、憎むに時があり、
 戦うに時があり、和らぐに時がある。


愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

わたしは、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)という本を書きました。
その本で上記の「伝道の書」についても紹介しました。同書はグリーフケアの書として多くの読者を得ました。しかし、「愛する人」と一言でいっても、家族や恋人や親友など、いろいろあります。わたしは、親御さんを亡くした人、御主人や奥さん、つまり配偶者を亡くした人、お子さんを亡くした人、そして恋人や友人や知人を亡くした人が、それぞれ違ったものを失い、違ったかたちの悲しみを抱えていることに気づきました。 
それらの人々は、いったい何を失ったのでしょうか。それは、



親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。



ということだと思います。これはアメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をアレンジして、わたしが考えました。そういった、さまざまなものを失った方々とお話するうちに、愛する人を亡くした人へのメッセージを手紙として書くことを思いつきました。現実に悲しみの極限で苦しんでおられる方々の心が少しでも軽くなるお手伝いをしたいと思いました。そうして綴った15通の手紙を収めたのが『愛する人を亡くした人へ』です。同書を書いた後も、わたしはグリーフケア関係の本を何冊か上梓しました。また、実際にムーンギャラリーというグリーフケア・サロンを設立し、多くの自助グループのお手伝いをさせていただいています。日本におけるグリーフケアの普及はわがテーマの1つですが、佐藤さんの「節子への挽歌」からはいつも大きな学びを得ています。



この世には、多くの「愛する人を亡くした人」たちがおられます。
いまだに悲しみの淵の底に漂っておられる方も少なくありません。
生きる気力を失って自死することさえ考える方もいるでしょう。
なにしろ、日本人の自殺の最大原因は「うつ」であり、その「うつ」になる最大の契機は「配偶者との死別」とされているのです。
どうか、そのような方々は佐藤修さんの「節子への挽歌」をお読み下さい。
必ずや、闇に一条の光が射し込むはずです。そして、自らが人生を卒業する日を心穏やかに迎えられるのではないでしょうか。
なにしろ、この世を卒業した後は、最愛の人に再会できるのですから。
できれば、その方ご自身も亡き愛する人へ挽歌を書かれるとよいでしょう。
佐藤さん、3000回を迎えた挽歌は、きっと多くの人々を救うはずです。
わたしは、佐藤修さんと佐藤節子さんご夫妻の共同作業による、この前人未到の大いなる社会貢献に心からの敬意を表したいと思います。


佐藤修さんと



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月19日 一条真也