映画「ボクは坊さん。」と僧侶のオーラ

一条真也です。
昨日、バリ島から帰国しました。早朝に成田空港に着き、そこから国内線に乗り継いで福岡空港まで飛んだので、けっこう疲れました。
わたしは、 終活WEB「ソナエ」で「一条真也のハートフル・ライフ」を連載しています。「日本の心」や「心ゆたかな生き方」をテーマに月に2回、コラムをお届けしております。その第21回目が本日アップされました。


終活WEB「ソナエ」



第21回目のタイトルは「映画『ボクは坊さん。』と僧侶のオーラ」です。
10月24日(土)から日本映画「ボクは坊さん。」が全国公開されています。わたしが理事を務める一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協(全互協)がこの映画をサポートしている関係で、一般公開よりもかなり早い時期に鑑賞していました。映画のチケットも大量に買わせていただいております。
『ボクは坊さん。』というタイトルからは、一般の人々に僧侶に親しみを持ってほしい、あるいは「僧侶というのは別に偉くないんですよ。みなさんと同じ人間なんですよ」といった媚びる姿勢を感じてしまいます。しかし、ブログ『寺院消滅』で紹介した「日経ビジネス」の記者で僧侶でもある鵜飼秀徳氏の書いた本がいま大きな話題になっていますが、はっきり言って、日本仏教は存亡の危機に立っています。


映画『ボクは坊さん。』と僧侶のオーラ



無縁社会」とか「葬式は、要らない」などといった言葉が登場するのも、日本仏教の僧侶たちから「宗教者としてのオーラ」が消えたことが大きな原因であると思います。僧侶は親しみやすいだけではいけません。檀家をはじめとした一般の人々は「宗教者としてのオーラ」「聖職者としての威厳」を僧侶に求めているのです。その意味で、主人公である光円の祖父であり先代住職であった瑞円にはそれがありました。
そもそも原作に書かれてある寺院業界内のエピソード(たとえば、戒名印刷用プリンターとか、僧侶用のバリカンとか、般若心経や木魚のケータイ着信音など)、そんなものは面白くもなんともありません。そういう覗き見趣味的な内容は現役の僧侶が書くべきことではないでしょう。



寺院とか葬儀社といった存在はただでさえ世間から誤解されやすい部分を持っていますので、気をつけなければいけません。『ボクは葬儀屋さん』的なタイトルの本もよく目にしますが、たいていは初めて扱った遺体の臭いがすごかったとか、周囲から偏見の目で見られたとか、くだらない内容のものが多いように思います。たしかに実体験に基づくエピソードは大切ですが、そこで終わってしまっては小学生の作文と変わりません。そこから「死とは何か」「葬儀とは何か」といった思想を語らなければなりません。この映画を観て、正直そのように感じました。


次回は12月1日にアップの予定です!



次回の「一条真也のハートフル・ライフ」は、12月1日(火)にアップされる予定です。タイトルは「リトル・プリンスからのメッセージ」です。1943年に出版されて以来、270以上の言語・方言に訳され、1億4500万部以上を売り上げたサン=テグジュペリ不朽の名作『星の王子さま』が「リトルプリンス 星の王子さまと私」として初めてアニメ化され、スクリーンに甦りました。レベルの高い学校を目指し勉強漬けの日々を過ごす少女と、若いころ不時着した砂漠で出会った星の王子さまとの思い出を語る老飛行士の交流を、CGアニメとストップモーションアニメを駆使して描いた作品です。この作品から、「隣人」と「死者」への接し方を学びました。次回はそんなことを書きます。どうぞ、お楽しみに!


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年11月16日 一条真也