一条真也です。
東京に来ています。日本経済新聞電子版の「ライフ」に連載中の「一条真也の人生の修め方」がおかげさまで好評ですが、本日、連載第15回目となるコラムがアップされました。タイトルは「月を見よ、死を想え」です。
トップ画面には「月を見よ、死を想え」が紹介されています。「月の裏側がいつも見えないのはなぜ?」という学習記事も一緒に紹介されています。9月27日の「中秋の名月」、28日の「スーパームーン」、みなさんは月見をされましたか。「月狂い」のわたしは大いに月を愛で、大いに飲みました。
じつは、わたしは月こそは「あの世」ではないかと思っています。
地球上の全人類の慰霊塔を月面に建てるプランを温めたり、地上からレーザー(霊座)光線で故人の魂を送る「月への送魂」を行ったりしています。
今回は、なぜ月が「あの世」なのかについて、その理由を書きました。
京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生との共著である最新刊『満月交遊 ムーンサルトレター』(水曜社)の内容も紹介しています。
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おかげさまで、記事ランキングでも1位を獲得することができました。本当は、昨日か一昨日のアップなら、もっと多くの読者を得たように思います。
それにしても、日経読者の方々に初めて披露させていただいた「月面聖塔」および「月への送魂」の考えが多くの関心を集めたようで、感無量です。
わたしは、もう20年以上もこれらのプロジェクトに取り組んでいます。
ブログ「月への送魂」で紹介したように、11月26日の夜、サンレーグランドホテルにおいて恒例の「月への送魂」が行われましたが、まことに素晴らしい「月と死のセレモニー」となりました。
26日に行った「月への送魂」
なお、第16回目のアップは10月13日(火)で、タイトルは「歌舞伎の襲名披露に思う」です。先日、「松竹大歌舞伎 中村翫雀改め四代目中村雁治郎襲名披露公演」を堪能しましたが、歌舞伎の襲名というのは儒教における「孝」そのものであると思いました。現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きていることになります。わたしたちは個体としての生物ではなく一つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。これが儒教のいう「孝」であり、それは「生命の連続」を自覚するということです。次回は、そんな話を書きます。どうぞ、お楽しみに!
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2015年9月29日 一条真也拝