長崎原爆70年

一条真也です。
70年前の今日、長崎に原子爆弾が投下されました。
わたしにとって、8月9日は1年のうちでも最も重要な日です。
わたしは52年前に小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。
小倉とは、世界史上最も強運な街です。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。


8月10日の朝刊各紙の報道



長崎型原爆・ファットマンは65年前の8月6日にテニアン島で組み立てられました。8日には小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、9日に原爆を投下する指令がなされました。9日に不可侵条約を結んでいたソ連が一方的に破棄して日本に宣戦布告。
この日の小倉上空は視界不良だったため投下を断念。
第2目標の長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。
この原爆によって7万4000人もの生命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでおられます。



もし、この原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。
広島の原爆では約14万人の方々が亡くなられていますが、当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、想像を絶する数の大虐殺が行われたであろうとも言われています。そして当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。


8月10日の朝刊各紙の報道



死んだはずの人間が生きているように行動することを「幽霊現象」といいます。考えてみれば、小倉の住人はみな幽霊のようなものです。
そう、小倉とは幽霊都市にほかならないのです! 
それにしても都市レベルの大虐殺に遭う運命を実行日当日に免れたなどという話は古今東西聞いたことがありません。普通なら、少々モヤがかかっていようが命令通りに投下するはずです。当日になっての目標変更は大きな謎ですが、いずれにせよ小倉がアウシュビッツと並ぶ人類愚行のシンボルにならずに済んだのは奇跡と言えるでしょう。
その意味で、小倉ほど強運な街は世界中どこをさがしても見当たりません。
その地に本社を構えるサンレーのミッションとは、死者の存在を生者に決して忘れさせないことだと、わたしは確信しています。


「毎日」「朝日」「読売」「西日本」新聞8月9日朝刊広告



小倉の人々は、原爆で亡くなられた長崎の方々を絶対に忘れてはなりません。いつも長崎の犠牲者の「死者のまなざし」を感じて生きる義務があります。なぜなら、長崎の方々は命の恩人だからです。しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多く存在しました。そこで、10年以上前から長崎原爆記念日にあわせて、サンレー北九州では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「毎日新聞」「読売新聞」「朝日新聞」「西日本新聞」に意見広告を掲載しています。


北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われる勝山公園の入口で

北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の来賓席に座りました



毎年、サンレー本社の朝礼では、わたしが小倉原爆についての話をします。その後、社員全員で長崎原爆の犠牲者に対して黙祷を捧げるのです。しかし今日は日曜で会社が休みなので、黙祷ができませんでした。
今日、わたしは小倉の勝山公園で行われた「北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列しました。


わたしも花を受け取りました

花を持って献花台へ・・・・・・

献花をさせていただきました

原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水をかけました

犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました



昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆の第一目標が小倉だったことに思いをはせ、例年この日に原爆犠牲者慰霊平和祈念碑前(小倉北区勝山公演内)において、「北九州市原爆被害者の会」の主催(北九州市:共催、北九州市教育委員会:後援)で祈念式典が開催されています。70年目の節目となる今年、民間企業の代表として1人だけわたしが来賓としご招待を受けました。ブログ「鎮魂広告」に書いたように、もう10年以上も、新聞各紙に「小倉に落ちるはずだった原爆」「長崎にこころからの祈りを」のメッセージ広告を掲載し続け、啓蒙に努めてきたことが認められたのではないかと思っています。


数珠を持って合掌しました

心を込めて礼拝しました

そして「長崎の鐘」へ・・・

万感の想いで鐘を鳴らしました

鐘の音が魂に響きました



市長や遺族会の会長さんに続いて、わたしの順番が来ました。わたしは立ち上がって遺族会の方々に一礼し、献花用の花を受け取りました。その花を心を込めて献じ、原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水を丁寧にかけ、礼服のポケットから数珠を取り出して犠牲者の御霊に対して心からの祈りを捧げました。そして、わたしは万感の想いを込めて「長崎の鐘」を鳴らしました。その鐘の音は、魂に響き渡るような気がしました。「献花・灌水・鳴鐘」を終えたわたしは、再び遺族会の方々に一礼しました。


ヤフー・ニュース」より



こうして、わたしは70年目の長崎原爆に自分なりのケジメをつけました。
しかし、この日は、ネットの世界でとんでもない不祥事がありました。
「デイリースポーツ」が配信した「ディズニー不適切ツイートを削除 『なんでもない日』で批判殺到」には以下のように書かれています。
「ディズニー・ジャパンが9日、公式ツイッターで『なんでもない日おめでとう』とつぶやき、批判コメントが殺到。ツイートを削除する騒動となった。8月9日は1945年に長崎に原爆が投下された日。『よりによって今日じゃねえだろう』などとネット上で批判が集まり、ネットニュースにもなったことから、午後3時ごろにツイートを削除する事態となった。同ツイッターではディズニーのキャラクターがメッセージを届けており、この日は『ふしぎの国のアリス』のアリスが『A VERY MERRY UNBIRTHDAY TO YOU』と英語でメッセージ。これを『なんでもない日おめでとう』と日本語訳したツイートが添えられ、物議を醸した。
『A VERY−』は、アリスがマッドハッターと三月うさぎ、眠りねずみのところで遭遇した“誕生日じゃない日(なんでもない日)”をお祝いするというおかしなお茶会の場面で流れる歌で、『merry』は『陽気な』『楽しい』を、『unbirthday』は『誕生日ではない日』を意味し、厳密には『誕生日ではない(なんでもない)日おめでとう』というニュアンスになる。
8月9日は1945年に長崎に原爆が投下された日。それだけに『よりによって今日じゃねえだろう』『今日は、長崎に原爆が落とされた日。なんでもない日、ではないです』『いくらなんでも長崎被爆の日に、なんでもない日はないだろう』などと書き込まれた。本家ディズニーの公式アカウントでは、問題となったこのツイートは確認されていない」



まったく、ディズニー・ジャパンはとんでもない失態をしでかしたものです。
親会社のウォルト・ディズニー社は、言うまでもなく長崎に原爆を投下したアメリカを代表する企業です。というか、「良きアメリカ」のイメージを一身に背負っている企業と言っても過言ではありません。戦後、あれほどアメリカを憎んでいた日本人が一転してアメリカを賛美するようになったのは、数々のディズニー・アニメやディズニーランドの好印象が少なからず影響しています。そのディズニーがなぜ? そこには、コンプライアンスの失敗とか、単なるスタッフのミスでは済ませられない「何か」を感じます。あのアメリカを代表する大企業のマクドナルドでさえ奈落の底に落とされた事実を考えれば、ディズニーも現在の繁栄に安住している場合ではありません。


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では、ディズニーはどうすればいいのか?
わたしからの提案ですが、会社からの謝罪とは別に、アリスにもお詫びのメッセージをツイートさせるべきでしょう。また今後、毎年の「広島原爆の日」や「長崎原爆の日」にはミッキーマウスをはじめとしたディズニー・キャラクターたちに追悼メッセージをツイートさせてはいかがでしょうか?
さらには、原爆被害者を主人公にしたアニメ作品を製作すれば、言うことはありません。かつて、「ポカホンタス」「ノートルダムの鐘」「ムーラン」といった一連の作品でディズニーは大成功を収め、“ディズニー・ルネッサンス”と呼ばれる黄金時代を築きました。あのとき、新大陸の異民族、身体障害者、アジアの辺境民といった、従来のディズニー・アニメではありえなかった主人公を作り出すことによって、社会派アニメという新境地を開拓し、商業的にも成功したのです。あの頃の志を取り戻して、ぜひディズニーには長崎原爆での被爆者を主人公にした原爆アニメの製作を希望します。
これこそ、「禍転じて福となす」ということではないでしょうか?


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ディズニーが製作する原爆アニメは、トンデモ描写の多い「はだしのゲン」などよりずっとクオリティの高い傑作となることでしょう。
では、その原作には何がいいでしょうか? 
まったくの私案ですが、わたしは長崎原爆を幼少の頃に体験された美輪明宏氏の自叙伝である『紫の履歴書』がいいのではないかと思います。
アニメのタイトルは、ずばり「パープル」です! 
戦時中の悲惨な体験から始まって、戦後の美輪氏の数奇な人生、華麗なる活躍、そして深遠な哲学や崇高な美意識などを描けば、人類の未来へ希望をつなぐ素晴らしいアニメ作品となるのではないでしょうか?



それにしても、なぜこのような無神経ツイートがアップされたのか?
悲しいのは、おそらくこの失敗を犯した担当者は、8月9日が「長崎原爆の日」だと知らなかった可能性が高いということです。そして、8月6日の「広島原爆の日」なら、こんな過ちは犯さなかったであろうということです。もともと、わたしは「長崎原爆の日」対する国民やメディアの関心が「広島原爆の日」のそれに比べて低いことに対して不満と疑問を感じていました。



なぜ、広島の原爆は長崎の原爆より重いのか? 
人類最初と2番目、14万人の犠牲者と7万4000人の犠牲者という差はありますが、「最初だからとか、死者の数が多いからといって偉いわけではないだろう!」といつも憤慨していました。そこには占領国のアメリカ側による「記憶の選択と集中」という政策があったことをずいぶん後になって知り、やっと長年の疑問が解けました(もっとも、納得はしていませんが)。



広島に原爆が投下された「8月6日」の記憶について、終戦まで広島の被害の詳細は日本政府によって隠蔽され、その後の占領期にはアメリカ軍による厳しい情報統制の対象となりました。
8月6日の「朝日新聞」社説で原爆について言及されたのは、占領末期の1949年になってからです。つまり、戦後日本で原爆の記憶はローカルなものにとどまっていました。その意味では、「8月6日」は占領終了後に、国民的記憶として新たにつくられたと言えます。わたしたちは、「8月6日」同様に「8月9日」を絶対に忘れてはなりません。


永遠葬     唯葬論


そもそも、7万4000人の犠牲者よりも14万人の犠牲者のほうが上などという馬鹿な話はありません。そもそも、1人の人間の死は大事件です。
東日本大震災の直後に、ビートたけし氏が「2万人の人間が死んだんじゃない。1人の人間が死ぬという大事件が2万回起こったんだ」という名言を残されていますが、まさにその通りだと思います。それなのに、現代日本では通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」が流行し、さらには遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0葬」も登場。あいかわらず葬儀不要論も語られています。そういった風潮に対して、わたしは、『永遠葬』(現代書林)および『唯葬論』(三五館)を書きました。
わたしたちは、死者を決して忘れてはなりません!


●長崎原爆70周年の日に詠める


長崎の鐘を鳴らせば この命
    いま在る奇跡 涙こぼるる(庸軒)


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年8月9日 一条真也