多久聖廟

一条真也です。
台風6号の影響で全国的に荒天だった12日、業界の所要で佐賀を訪れました。せっかく佐賀に来たということで、所要の前に国の重要文化財である「多久聖廟」を視察しました。ここは公益社団法人孔子の里」として知られ、ブログ「天道館の孔子祭」で紹介した孔子の木が植えられています。


多久聖廟」にやってきました

多久茂文公之像の前で

多久聖廟周辺案内板

多久聖廟の碑文



ブログ「孔子の木」で紹介したように、今から約100年前、中国から日本の4箇所に楷の木すなわち「孔子の木」が植えられました。ブログ「湯島聖堂」ブログ「足利学校」ブログ「閑谷学校」で紹介した施設と、この多久聖廟の4箇所です。わたしはすでに湯島聖堂足利学校閑谷学校は訪問済みでしたので、これで日本における儒学の四大聖地をすべて訪問したことになります。わたしは感無量で、「ついに・・・」とつぶやきました。


聖廟詣の碑文

孔子像が見えてきました

孔子像にて

雨が降ってはいましたが・・・・・・



多久聖廟とは、どういう場所か。多久家の四代領主・多久茂文(たくしげふみ)は人材育成に重きを置いた人物で、のちに「東原庠舎(とうげんしょうしゃ)」と呼ばれる学問所を建て、そのシンボルとして宝永5年(1708年)に孔子像、四配(顔子、曽子、子思、孟子)を祀る廟として多久聖廟は完成しました。多久は藩よりも小さい「邑(むら)」でしたが、この孔子廟は素晴らしいものでした。国内に存在する孔子廟では足利学校(栃木県)、閑谷学校岡山県)についで古く、またもっとも壮麗な孔子廟だといわれています。


「徳は弧ならず」の石碑

孔子廟が見えてきました

国の重要文化財です

発憤の石碑

絵馬がありました

厳粛な雰囲気です



建築様式は、禅宗様仏堂形式と呼ばれる我が国の代表的な建築様式ですが、多久聖廟には、当時の建築に携わった人たちが中国様式風の建物を再現しようと尽力した痕跡がいたるところに見受けられます。中国の故事に習って、北に山を負い、南に仰高門(ぎょうこうもん)と呼ばれる門をかまえ、門の前には池をつくっています。さらに聖廟にほどこされている彫刻や文様なども中国風になっています。


孔子廟に参拝しました

廟内のようす

参拝方法について

「おみくじマシン」がありました

内容はこんな感じです



聖廟には鳳凰麒麟、象、龍などが彫刻されています。
これらの聖獣は、政治や教育が行き届き、平和で豊かな社会が訪れるといわれているめでたい動物です。また聖廟の天井には、邑の絵師である御厨夏園(みくりやかえん)による見事な蟠龍(はんりょう)が描かれています。あまりの迫力に龍が飛び去ってしまうのを恐れてうろこを1枚描かずに未完成にしてあるとか、夜な夜な龍が池の水を飲みに絵から抜け出すのでうろこを1枚はがした、などという伝説があります。


これが孔子の木(楷樹)だ!

孔子の木(楷樹)の説明板

孔子の木の下で

鳥丸サンもハイ・ポーズ!

やはり歴史を感じさせます

孔子世系譜」の石碑




聖廟前の仰高門の脇にある楷の木こそ、「孔子の木」です。
孔子の弟子である子貢が孔子の墓に楷の木を植えたことから、孔子の教えを受け継ぐ者は孔子の墓に楷を植えるようになったと伝えられています。
なお、春と秋には「聖廟釈菜(せいびょうせきさい)」が催され、釈菜終了後、廟内の一般拝観ができます。また、多久聖廟は大正10年(1921年)3月3日、敷地を含め国の史跡に指定されています。建物は昭和8年1月23日、当時の国宝保存法に基づき国宝(いわゆる旧国宝)に指定され、昭和25年(1950年)8月29日、文化財保護法施行に伴い国の重要文化財となりました。


東原東原痒舎痒舎

東原痒舎の案内板

東原痒舎の前で

東原痒舎の前庭で

宥座之器がありました

志田林三郎記念碑

展示館の前で

展示館内のようす

さまざまな聖人像

展示館の中で

庭園もきれいでした

売店の「お守り」コーナー



多久聖廟およびその周辺地域は、藩政時代多久領の中心地として多くの史跡や文化財があります。恵まれた自然と古い町並みの景観は、一帯が歴史公園としての佇まいを呈しており、文教の地「丹邱の里」または「孔子の里」と語り継がれています。地域の特性を活かした快適環境の設備と学芸文化、そしてこれを基盤とした地域活性化などの街づくりの活動の核として、財団法人「孔子の里」が設立されました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年5月12日 一条真也