魂の限界

一条真也です。
19日、理化学研究所がSTAP細胞の検証実験結果についての記者会見を開き、「細胞の存在は確認できなかった」と発表しました。20日の朝刊各紙には、「STAPの存在否定」という大見出しが躍っています。また「小保方氏退職へ」の見出しで、記者会見には出席しなかった小保方晴子さんの顔写真が掲載されています。


「STAPの存在否定」を報道する各紙の朝刊



小保方さんは自ら取り組んだ検証実験でもSTAP細胞の存在を示すことはできず、理化学研究所を退職することが明らかになりました。彼女は「予想をはるかに超えた制約の中での作業となり、細かな条件を検討できなかった事などが悔やまれますが、与えられた環境の中では魂の限界まで取り組み、今はただ疲れ切り、このような結果に留まってしまったことに大変困惑しております」とのコメントを発表しています。



わたしは、「魂の限界」という表現に強い衝撃を受けました。
「体力の限界」とか「気力の限界」、あるいは「精神的限界」とか「心の限界」といった言葉はよく使われますが、「魂の限界」というのは初めてです。この言葉に触れた瞬間、「小保方さんは真実を語っている」と直感しました。「魂の限界」などという凄い言葉、口先だけでは絶対に吐けないからです。



小保方さんは、9月から本格的な検証実験を行っていました。「たくさんのコツやレシピのようなもの」があると説明していたとか。理研によれば、11月末まで週4日、合わせて約50日間に上ったそうです。「自分の仮説を信じ、一生懸命に実験に取り組んでいた」という小保方さんでしたが、約1600個の細胞の塊を試しても、万能性を確認できるマウスはできませんでした。
しかし、ウソの確信犯で1600個も実験できないでしょう。その前に心が折れて、いや魂が壊れて、ギブアップしたはずです。そう、小保方さんは最後までSTAP細胞の実在を信じていたのです。


わたしは「小保方さんは、今でもSTAP細胞を信じている!」と確信します。わたしのような中年男性が小保方さんを擁護する発言をすると、すぐ「オヤジは若い女に弱いから・・・・・・」などと揶揄されますが、わたしにはどうも彼女がウソをついているようには思えません。
それどころか、31歳の女性を犯罪者扱いして、世間が寄ってたかって袋叩きにする姿には中世ヨーロッパの「魔女狩り」の恐怖さえ連想します。



何かすっきりしないものを感じていたのですが、「サロンの達人」こと佐藤修さんが、自身のブログに12月19日に書いた「STAP細胞はありません?」という記事を読んで、自分の心の中の違和感の正体がわかりました。
佐藤さんは、以下のように書かれています。
「解けることがわかっている問題は、解けるのかどうかわからない問題よりも、解きやすいと言われます。科学の世界では、仮説への信頼が高いほど、新しい発見がおこなわれやすいようです。それに、誰かが解いたことがわかると、正解を出す人が急増するという話も聞いたことがあります。まずは論理が構築され、事実が発見されることは、少なくありません」



今回の検証実験について、佐藤さんは以下のように述べます。
「大切なのは、STAP細胞があるという確信で追試されたか、ないという思いで実験されたかで、結果は大きく違ったのではないかという気がするのです。科学や技術は『論理の世界』だから、そういう『思い』は関係ないと思われがちですが、そんなことはないと私は思います。科学や技術は「確認された論理スキームの内部」での論理で進められますが、その世界の外には現在の科学技術の水準では把握されずに、前提として組み込まれていない要素や『論理』がたくさんあるはずです。それが、科学技術に取り組む人の感度や信念に大きな影響を与えるはずです。STAP細胞を200回も成功させた小保方さん自身も再現できなかったではないかと言われそうですが、彼女もまた、かつてとは全く違った状況の中で取り組んだはずです」



続けて、佐藤さんは以下のように書いています。
「もちろんだからと言って、検証実験は間違っていたなどと言いたいわけではないのです。今回の検証実験に取り組んだ人たちのモチベーションや姿勢が気になるのです。新しい科学実験は、発見への大きな期待と存在の核心が大切です。そうした夢や期待、わくわくするようなモチベーションが、今回はあまり期待できなかったのではないかという気がするのです。実験者は状況が状況だけに、慎重にならざるを得なかったはずです。もしかした、あまり楽しい検証実験ではなかったのではないかということです」



また12月20日の「魂の限界と相沢さんの謝罪」というブログ記事で、佐藤さんは次のように述べています。
ニュートン錬金術に強い関心を持っていたことは有名ですが、科学者の中には『小さな論理』に呪縛されている人と『大きな論理』に自らを開いている人とがいるように思います。そして、科学の発見には、常に『小さな論理』では説明できない『神秘的』『霊的』なものが作用しているということも、しばしばいわれます。 私は、心身を開いた時にこそ、新しい発見はもたらされるのではないかと思っています」
わたしは、『法則の法則』(三五館)という本で、ニュートンをはじめとした「法則ハンター」としての科学者が求めた「大きな論理」について書きました。佐藤さんが言われるように、科学者の心身が開かれた時にこそ、新しい発見はもたらされると、わたしも思います。


法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

小保方さんが「魂の限界」と語ったことについて、佐藤さんは述べます。
「科学を支えているのは、魂だと私は思っていますので、少し納得できました。 いまの科学の最大の問題は、哲学の欠落です。とりわけ『いのち』に関わる場合は、哲学や霊性が重要な意味を持っています。哲学の欠落によって、経済行為になりつつある医学の実態を思い出せばいいでしょう」
「哲学の欠落によって、経済行為になりつつある医学」という言葉は多くの医師の心に深く突き刺さるのではないでしょうか。もっとも、「勇気の人」こと矢作直樹先生、「未来医師イナバ」こと稲葉俊郎先生などの「哲学のある医学」を志しておられる方々もいますが・・・・・・。



ブログ記事の最後に、佐藤さんは次のように述べています。
「私はSTAP細胞はあると思っていますが(論理的な裏付けは皆無の直観です)、私が生きている間には確かめられることはないでしょう。しかし、この事件からはたくさんのことを気づかされました。 最近書き続けていることに即して言えば、『科学からも人間がいなくなりつある』ということです」


わたしは、佐藤さんのように「STAP細胞はある」とまで言い切ることはできませんが、「STAP細胞はある」可能性は大きいとは思います。新聞各紙に書かれた「存在否定」という大きな文字を見て、得体の知れない不快感が心に湧いてきました。そして、ブログ「神は死んだのか」で紹介した、先日鑑賞した映画の内容を思い出しました。あの作品では、アメリカの大学生が無神論者の教授に対して、「神の存在」を証明しようとします。
「存在否定」といえば、その上につく単語は限られてきます。
いわく、神、天使、悪魔、妖精、妖怪、幽霊、霊魂、死後の世界、UFO、エイリアン、ネッシーや雪男などのUMA、そして、超能力などです。いわゆる「神秘」や「未知」や「超常」の領域にある存在ばかりですが、「STAP」もその仲間入りを果たしたのでしょうか。



特に、わたしが今回のSTAP検証実験で、何度も連想したのは、明治時代の日本における超能力の検証実験でした。当時、超能力者とされていた女性が世間の猛烈なバッシングの中で非業の死を遂げたのです。
ブログ『オカルト』で紹介した本で、著者の森達也氏が述べています。
「日本近代史における超能力は、その発端からメディアと結びついていた。1910(明治43)年9月14日、東京帝国大学福来友吉博士による千里眼(透視)実験が行われた。被験者となったのは、そのころ千里眼の持ち主として巷で大きな評判になっていた御船千鶴子だ。東京帝国大学元総長の山川健次郎が紙片に文字を書いて鉛管に入れ、千鶴子は鉛管の中の文字の透視に成功した。ところがその後に、鉛管の中に入っていたのは山川が文字を書いた紙片ではなく、福来が練習用に千鶴子に与えた紙片であったことが発覚した。鉛管そのものが入れ替わってしまった可能性もある。明らかに実験する側の不備なのだが、新聞各紙は千鶴子の透視能力について、きわめて否定的な論調を強く打ち出した。結果として千鶴子は自殺する。新聞や世間からのバッシングに耐えられずに自殺したとの解釈が多いが、この時期に家庭内の問題もあったし遺書は残していないので、その断定は難しい」


小保方さんの言う「魂の限界」とは、「自殺するギリギリの限界」という意味ではないでしょうか。すでに、STAP細胞に関しては犠牲者が出ています。これ以上、悲劇を起こしてはなりません。別に小保方さんは犯罪者でもウソつきでもありません。彼女が本当にSTAPを発見していないと言い切ることは誰にも出来ないのです。佐藤さんの示唆に富んだブログを読んで、「魔女狩りの愚行を犯してはならない」と痛感しました。
なお、佐藤さんはHPで拙著『決定版 終活入門』(実業之日本社)の紹介記事も書いて下さいました。いつも、ありがとうございます。


決定版 終活入門

決定版 終活入門

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年12月20日 一条真也