FFSS

一条真也です。
ようやく、ミャンマー・ブログを完全にUPすることができます。
ミャンマー滞在最終日となる10月16日、わたしたちアジア冠婚葬祭業国際交流研究会の一行は「FFSS(フリー・フューネラル・サービス・ソサエティ)」というNPO団体を訪問しました。


FSS本部の入口

FSS本部ビル

創設者である映画監督の像

玄関脇にはチョートゥ―夫妻の看板が・・・



この団体は、今は亡きミャンマー映画界を代表する監督であるウーツーカー氏が創設しました。現在は、1959年生まれのチョートゥー氏が代表を務めています。 彼は政治活動家ですが、もともとは俳優であり、アーティストであり、映画のディレクターでもあります。俳優としてはミャンマー映画界の最大のスターの1人だった人で、なんと2回もアカデミー賞を受賞しています。俳優であり政治活動でもあるので、彼の名前はミャンマーで非常に有名です。日本で例えるならば、故・黒澤明監督が創設して、現在は役所広治や本木雅弘クラスの俳優が代表といったイメージでしょうか。


チョートゥー代表の写真看板と記念撮影

プレス・ルームのようす

多くの表彰盾が飾られていました

ここにも写真看板がありました

ここでも記念撮影しました



ミャンマービジネス支援会社ミャンぽんの『ミャンマービジネスのあれこれ』」というブログでは、以下のようにチョートゥー氏を紹介しています。
「1959年11月2日生まれ。50代半ばですね。(娘1人と息子1人あり)
彼は政治活動家ですが、元々俳優であり、アーティストであり、映画のディレクターでもあります。2回もアカデミー賞を受賞しており、1980年代〜1990年代はトップ俳優でした アカデミー賞は、1回目は1994年ベストアクター賞として。作品はDa−Byi−Thu Ma Shwe Htarという作品です。2回目は2003年ベストディレクター賞として。作品はAh−May Noet−Boeという作品です。俳優をやっており、政治活動もやっていたので、名前が知られており、 その著名度を使って、2000年代から、貧困を助ける活動をずっと続けている方です」


チョートゥー氏は、ミャンマーにおける超有名人なのです。
そして、その知名度を武器に、2000年代からは貧困を助ける活動をずっと続けられています。 災害支援、環境、医療、教育・・・・・・その活動は多岐にわたりますが、最も代表的な活動が貧しい人々に無料で葬儀サービスを提供するFFSS(フリー・フューネラル・サービス・ソサエティ)の活動です。 2001年から2012年の間に、FFSSは12万件以上もの葬儀を無料で行いました。現在も1日40件以上の葬儀を施行しているといいます。
チョートゥー代表には、「アウンサンスーチー女史に続き、ミャンマー人として2人目のノーベル平和賞受賞者になるのではないか」という声が多いそうです。ミャンマー人はよく奉仕・寄付し、助け合いの心がとても強い国民ですが、そのシンボル的存在がチョートゥー氏なのかもしれません。


写真で活動の記録を紹介

大量の写真が展示されていました

葬儀は「人間尊重」である!

雨の日も風の日も、貧しい人の葬儀をあげる



チョートゥー氏は、葬儀サービスに続いて、2003年には、チャリティクリニックをFFSSとして立ち上げました。これは、有志の医者や医療のスペシャリスト、軍医とともに、無料でヘルスケアサービスを提供するクリニックだそうです。 こちらでも14万人以上もの患者を無料で診察したとか。
その他にも、無料図書館、無料の教育、無料の職業訓練が受けられる学校をFFSSで運営しています。


FSSが運営する無料の学校

FSSが運営する無料クリニック



じつは現在、北九州市門司にある世界平和パゴダでは、「ミャンマーの子供たちを救え」というスローガンでミャンマーにおける学校建設のための募金を集めています。このFFSSの学校は、3000万円くらいで作られたそうです。さらに、FFSSは被災地で緊急救援・救助を行ったりもしています。2008年のミャンマーの破壊的なサイクロンの時も、チョートゥー氏自らが救助活動し、救援の他、多額の資金援助も行ったそうです。


クリニックの活動を紹介

サイクロンの被災地を支援

井戸の採掘ボランティア活動

まさに、ミャンマーのカリスマ!



まさに「ミャンマーのカリスマ」と呼べるチョートゥー氏ですが、一体どんな経歴なのでしょうか? 「ミャンマービジネス支援会社ミャンぽんの『ミャンマービジネスのあれこれ』」では、以下のように紹介されています。
「元々ヤンゴン大学を卒業し、卒業の年に妻であるMyint Myint Khin Pe(Shwe Zee Kwet)と生活を築いていくために、退学しました。 そして、彼が25歳の時に、映画の道に入りました。そして、アカデミー賞を受賞し、トップ俳優として、走ってきましたが・・・・・・2007年、軍事政権下のミャンマーで公式に僧侶の反政権抗議を支持した罪で逮捕されてしまい、 それ以来、賞を受賞できなくなり、 逮捕と同じ時期、彼のHIV/AIDSの啓蒙活動のために映画(A−Kywin−Me longyon−Ya)も国の検閲によって潰されてしまい、ミャンマーでの俳優としてのキャリアもおわってしまいました。 翌年には娘さんの結婚式までも国の検閲によって禁止されてしまったそうです。 ですが、2009年、同胞のために戦うアーティストとして、ロンドンのミャンマーコミュニティで賞をもらい,2010年には、54か国のミャンマーコミュニティが投票し、ビルマの市民賞を受賞し、 2011年、2012年も各国で名誉ある賞を受賞しています」


FSSの活動にアウンサンスーチー女史も共鳴

FSS本部を視察するアウンサンスーチー女史


数年前、チョー・トゥー氏は来日しました。
以下は、「ミャンマー連邦共和国における調査」という報告書に記載された日本の外務省と対話を行ったときのチョートゥー氏の発言です。
「我々は単に貧しい人々の葬式を出す活動だけでなく、 医療、保健事業といった社会事業を行っているが、新しい政府の下でも我々の活動に正式な許可は出ておらず、れまでと同様に反政府組織の1つとみなされている。このため、中部ミャンマーの水害に対する救済活動時には、政府の上層部の判断と地域の行政組織との判断に差があり、十分な活動ができなかった。
また、日本から機器を導入して貧しい人々の眼科治療の準備をしているが、政府から許可が得られないために活動できない状況にある。
私は映画俳優だったが、2007年の僧侶のデモに関わったために当局から7日間取り調べを受け、その後映画俳優として活動できなくなった。最近になって大統領が私の妻をネピドーに呼び、私に映画俳優の仕事をするよう指示があったが、それにもかかわらず所管の情報大臣は正式に指示を出さない。カチン州の戦闘停止の指示が守られていないことと同じである」
FSSの活動には、かのアウンサウンスーチー女史も共鳴しています。
来年の総選挙でスーチー女史が当選し、新政権が発足するような事態になれば、チョー・トゥー氏は一気にミャンマーの表舞台に出ることでしょう。そして、「人間の尊厳」としての葬儀サービスを無料で提供するFFSSの活動も世界中から脚光を浴びることでしょう。


各種のプロモーション・ビデオを作成

チョートゥー代表のTシャツも販売



プレス・ルームには各種のFFSSの活動を紹介するプロモーション・ビデオが流れていました。ミャンマーを代表する映画俳優であったチョートゥー代表には映画や音楽関係に多くの友人がおり、次々に斬新なビデオを制作しています。わたしが驚いたのは、ミャンマーの若手ミュージシャンがラップで葬儀の必要性を歌っていたことでした。おそらくは「死はどんな人にだって訪れる」とか「人間はみな弔われる権利がある」といった内容ではないかと推察されますが、ラップでアピールするという発想には仰天しました。わたしも、日本人ラッパーを使って「葬式は必要!」とか「互助会って何?」といったビデオを作りたくなりました。チョートゥー代表は自身のCDも発売し、なんとTシャツまで作って販売していました。うーん、やりますな!


黄金の霊柩車がありました

なんと、紫雲閣のプレートが!



さらに非常に驚いた出来事がありました。スタッフの女性から「日本の霊柩車が大活躍しているんですよ。外に置いてありますので、見られませんか?」と言われ、黄金の霊柩車を見に行ったときです。
その車には、なんと「紫雲閣のプレートが残されていました。ミャンマーにはバスをはじめとして日本の中古車がたくさん走っていますが、それらの車には「豊橋交通」とか「九州産交」といったプレートがそのまま残されています。そして、わが社がかつて使用していた車が、このミャンマーNPO団体で活躍していたのです。シュエダゴン・パゴダやシュエズィーゴン・パゴダの「黄金の洪水」を見てもわかるように、ミャンマーの人は何よりも黄金色を好みます。なぜなら、それは仏教における天上界の色だからです。そして、はるばる日本の紫雲閣からやって来た霊柩車も黄金色でした。


黄金の霊柩車と感動の再会



スタッフの女性の説明によれば、「この霊柩車が、パゴダと同じ黄金だということで、大変な人気です。ミャンマーの人々は、この車で送られれば幸せな来世が迎えられると信じています」と言われました。わたしは、それを聞いて涙が出るほど感動しました。
黄金の霊柩車は、いわゆる「黄金龍」と呼ばれるタイプです。この日見た車は、車上にあるはずの龍の彫刻はありませんでしたが、かつては黄金の龍が日本の葬祭界を駆けめぐっていたのです。しかし、時代の流れとともに黄金龍はすっかり姿を消してしまいました。ところが、「アジア最後のフロンティア」とされるミャンマーの人々の最期のセレモニーに彩りを添えていたとは・・・・・・それにしても、なんという縁でしょうか! 


多くのミャンマーの人々を送ってきました



この出来事をブログで知った「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生は「ブログ拝読しました。サンレーの黄金霊柩車がミャンマーで使用され大人気で、来世の幸福を運ぶものとされていること、まさに『縁の行車』ですね!」と書かれたメールを送って下さいました。なんというか、わたしは、わが社と世界平和パゴダとの不思議な縁の謎が解けたように思いました。


FSS本部のモニュメント

モニュメントの前で


また、FFSSのチョートゥー代表には「宇宙葬のカリスマ」ことエリジウム・スペース社のトーマス・シベCEOとの出会いに近い「宿命」のような深い縁(えにし)を感じます。トーマスCEOと会えたように、わたしはいつか必ずチョートゥー代表に会う気がしてなりません。そして、そこから新しいドラマが始まる予感がします。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年10月20日 一条真也