横浜花火大会

一条真也です。
ブログ「横浜クルーズ」に書いたように、5日の夜、セレモニー社のクルーザーに乗って花火大会を見物しました。正式名称は「神奈川新聞花火大会」です。関東最大級の直径480mの2尺玉と、音楽に合わせて打ち上げられる花火が目玉です。他にも尺玉の連発、大スターマインなどが、横浜の夜景をバックに華やかに打ち上げられます。


花火大会の会場周辺は大混雑

コンビニの入場制限を初めて見ました

沿岸部には多くの人たちが・・・・・・

湾内を巡回する神奈川県警の船



花火大会の会場周辺はものすごい人だかりで、近くのコンビニには何列も行列ができ、入店案内をする導プラカードが掲げられているほどでした。テーマパークやバーゲンセールの行列ならわかりますが、コンビニのこんな光景は生まれて初めて見ました。わたしは船上からの見物でしたが、湾の沿岸部分には無数の人が集まっていました。中には朝から並んでいた人もいたと聞き、なんだか申し訳ないような気分になりました。


最初はこんな感じ・・・・・・

クルーザーの上から花火を楽しみました

だんだん花火が大きくなってくる・・・・・・

みんな、スマホ撮影していました


花火大会は19時から20時半まで行われました。
わたしは船上からの花火見物というのは初体験ですが、まさに「絵にも描けない美しさ」でした。これはもう、わたしの駄文など必要ありません。
以下に、船上からの花火鑑賞にぴったりのヘンデルの名曲「王宮の花火の音楽」の動画を用意しました。これを再生して聴きながら、素晴らしい花火の写真をお楽しみ下さい。それでは、どうぞ!


(この動画を再生して、花火の写真をお楽しみ下さい)


次々に花火が打ち上げられました

花火大会のようす

花火大会のようす

花火大会のようす


ブログ「花火大会」にも書いたように、わたしは大の花火好きです。
毎年、門司と下関で同時に行われる「関門海峡花火大会」を自宅の2階から家族と一緒に見物しています。関門海峡を1万3000発の花火で彩る素晴らしいイベントです。勇壮な関門橋を挟み、本州と九州の両岸から大量の花火が打ち上げられる光景はとてもドラマティックです。
日本人は桜と美人と富士山を好みます。桜は散ってしまうし、美人は薄命、富士山の雄大な姿はいつも眺められるわけではありません。はかないものほど美しく、見る者の心を打つのでしょう。花火だって同じです。華麗に天空に花咲き、一瞬にして消えていく。この消耗の過程が美を構成し、あとには何も残らない完全消耗の芸術だと言えるのです。


花火大会のようす

花火大会のようす

花火大会のようす

花火大会のようす



日本の夏の風物詩である花火ですが、じつはヨーロッパ生まれです。
その起源は古代ギリシャ・ローマの時代にさかのぼるとの説もありますが、現在のような花火は火薬の発明以後で、13世紀にイタリアのフィレンツェで始まったそうです。ヨーロッパ諸国に伝わったのは16世紀です。
主に戦争の終結の祝賀会などで打ち上げられたといいますから、花火は「平和」と結びついていたことになります。たとえば、1748年にオーストリアの王位をめぐって、マリア・テレジア王女とヨーロッパ諸国が対立して戦ったオーストリア継承戦争終結して、平和条約が調印されました。そのとき、盛大な祝賀会が各地で催されて花火も大いに打ち上げられました。


花火大会のようす

花火大会のようす



特にマリア・テレジアを助けた数少ない国のひとつだったイギリスの喜びはひとしおで、国王ジョージ2世はロンドンのグリーンパークで祝賀花火大会を主催しました。ちなみにイギリスで活躍していたヘンデルが音楽を担当し、大会を大いに盛り上げました。名曲「王宮の花火の音楽」は、このときに作曲したものです。彼はバロック音楽を代表する1人ですが、花火はバロック精神そのものが最も好んだものでした。すなわち花火は、瞬間性、はかなさ、華麗さ、幻想性などのシンボルだったのです。


花火大会のようす

花火大会のようす



イタリアで生まれヨーロッパで流行した花火が日本に伝わったのは、1543年の鉄砲伝来とともに火薬の配合が伝えられた後です。
1585年の夏、皆川山城守と佐竹衆の対陣のとき、慰みにそれぞれ敵陣に花火を焼き立てたことが見えるのが最も古い記録です。
江戸の名物として知られたのが「両国の花火」です。
1731年に全国的な凶作と江戸の疫病流行で多くの死者が出たため、幕府が慰霊と悪疫退散をかねて両国橋近くで水神祭を催しましたが、そのときに両岸の水茶屋が余興として献上花火を上げたのが始まりとされます。
花火は元禄時代以後、江戸で次第に豪華になっていきます。


まさに「絵にも描けない美しさ」

夜空のスペクタクル!



なお、今月10日には東京湾花火大会が開催され、志賀社長はセレモニー社が誇る「プリマヴェーラ号」で参加されるそうです。わたしも来年は東京湾の花火を見物させていただく約束をしました。毎年、志賀社長は東京湾・横浜の両花火大会を船上から見物されているそうですが(うらやましい!)、社長いわく「東京湾より横浜のほうが良い」とのこと。


「神奈川新聞花火大会」の大団円

最後は大きな拍手が起きました



つくづく思ったことは、花火はやはり「夏の風物詩」であるということ。
冬の花火大会」などは愚の骨頂。寒々しいだけです。
観客も寒いし、やはり花火は夏でないと!
横浜での花火見物を終えて下船する方々は一様に感激されていました。
みなさん、「素晴らしい思い出になった」「冥途の土産になった」と口にされ、何度も何度も志賀社長にお礼を述べられていました。
わたしも本当に良い体験をさせていただきました。
花火も素晴らしかったですが、ビジネスの上でも大きなヒントを頂戴しました。このような機会を与えていただいた志賀社長に感謝いたします。


21時半過ぎに下船しました

月への送魂



花火大会は20時半終了でしたが、21時くらいになって下船しました。
わたしはシャンパンを飲みすぎて、もうフラフラでした。
花火の後は、「みなとみらい21」一帯をレーザー光線やサーチライトが飛び交っており、ちょうど月に向かってレーザーが飛んでいるように見えました。まるで「月への送魂」のようでした。


「祭りのあと」の余韻に浸る

テレビで花火大会が報道されていました



わたしは「祭りのあと」の余韻に浸って、しばし呆然としていました。
大好きな桑田佳祐の「祭りのあと」という曲が頭に浮かびました。そして、知らないうちに「花火は燃えつきた♪」という歌詞を口ずさんでいました。
帰りは、再び志賀社長に都内のホテルまで車で送っていただきました。
部屋に入ってテレビをつけると、ニュースで花火大会のことを報道していました。なんでも、今日の関東地方は今年最高に暑かったそうです。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年8月6日 一条真也