無縁墓

一条真也です。
東京に来ています。これから北九州に帰ります。
今朝の「朝日新聞」の1面トップに「無縁墓」の記事が掲載されていました。某新聞の大スクープに比べてずいぶん地味なトップ記事ですが、現在執筆中の『決定版 終活入門』(仮題、実業之日本社)の内容に関連することと、サンレーの新事業とも関係が深いテーマなのでじっくり読みました。


朝日新聞」7月30日朝刊



1面には「無縁化 さまよう墓」の大見出しが躍ります。
また、「不法投棄続々、『墓の墓』も」の見出しで、「先祖代々受け継がれてきた墓が受難の時を迎えている。墓守が絶えた無縁墓から撤去された墓石は、慰霊の場を離れ、さまよう。人里離れた山中に“墓の墓”が現れ、不法投棄も後を絶たない」というリード文が続きます。


朝日新聞」7月30日朝刊



2面では、さらに大きく紙面が割かれています。
少子化 墓守が不在」の大見出しに「過疎進み、各地で撤去」「継承前提『時代に合わず』」「永続的管理を研究」「血縁離れ合葬も」の見出しで、「都市部への人口流入と地方の過疎化、少子高齢化、未婚化。社会の急激な変容が墓の荒廃を加速させる。自治体は無縁墓の撤去を進める一方、血縁に頼らない新たな墓のかたちを模索する」というリード文が続きます。



この記事を読んで、まず「墓の墓」という言葉に強い印象を受けました。
わたしはかつて『法則の法則』(三五館)という本を書きましたが、そのタイトルと同じ重ね言葉です。それにしても「墓の墓」という言葉には「廃墟美」に通じるデカダンスやロマンティシズムさえ感じます。
わたしも、現存の墓は制度疲労を迎えていると思います。
「墓」という考え方そのもののアップデートを図らなければなりません。


フューネラルビジネス講演で「日本人の他界観」を語る



わたしが“4大メモリアル・イノベーション”として進めている「樹木葬」「海洋葬」「月面葬」「宇宙葬」は、じつは葬儀というよりも墓の問題です。
日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが「樹木葬」「海洋葬」「月面葬」「宇宙葬」に対応しています。これらのイノベーションはそれらの他界観を見事にフォローしているわけです。そして、これらの新しい葬法においては「無縁化」するということが基本的にありません。山、海、月、星に故人の面影を求めるメモリアルは軽やかで自由な供養が可能となります。



サンレーでは「人間尊重」のミッションを掲げ、冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いを続けてきました。高齢社会を迎え、いま「住まい」への不安が深刻になっています。「衣食足りて礼節を知る」という言葉もありますが、「人は老いるほど豊かになる」という理念を実現するためにも、「住まい」への新たな提案が求められています。すでにサンレーでは、ご高齢の皆様に安心して余生を過ごしていただくため、福祉介護施設隣人館」を運営していますが、この「終(つい)の棲家」は、いわば仮の宿です。人は「終の棲家」の先に「永遠(とわ)の棲家」を必要とします。




「身寄りがなくて、死んでも入る墓がない」と嘆いておられる方々がいます。
2010年以来、「無縁社会」という言葉がよく使われます。
もともと、「無縁社会」という言葉は「無縁仏」に由来します。このままでは、日本は無縁仏だらけになってしまうと言われています。いや、無縁仏でさえ入る墓があるわけですが、それすらない「死後のホームレス」が大量発生する可能性があるのです。



身寄りのない方々も含め、あらゆる人が平等に安眠できるように、わたしは今、5万円から永代供養が可能な施設を作りたいと考えているところです。
ブログ「鎮魂の森」では福岡県田川市樹木葬霊園を計画中と書きましたが、現在は他の場所も検討しているところです。具体的な候補地もいくつかあります。あせらず、じっくりと現代日本人にとっての「永遠の棲家」づくりを進めたいと思っています。



じつは明日、「日本経済新聞」の取材を受けます。
「こころのページ」のトップインタビューだそうですが、ここで「無縁社会」や「葬儀」や「墓」の問題についても語るつもりです。
これらは日本人の「こころ」の大問題ですから・・・・・・。
それでは、これから羽田空港へ向かいます。今日も暑くなりそうですね。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年7月30日 一条真也