沖縄海底遺跡

一条真也です。
4月6日、ずっと念願だった与那国島海底遺跡をついに視察しました。
正しくは「与那国島海底地形」と呼ばれ、沖縄県八重山諸島与那国島南部の新川鼻沖の海底で発見された海底地形です。人工的に加工されたとも考えられる巨石群からなることから、「海底遺跡」と考える説が有力です。


高速半潜水艇で視察しました

高速半潜水艇の前で

高速半潜水艇のサイド

高速半潜水艇のようす

船底へ降りる階段がありました

高速半潜水艇の船底のようす



与那国島の海底にある巨石郡は非常に大きく、東西に250メートル、南北に150メートルもあります。現在、遺跡だという説と自然現象が作り出したものだという説があり、結論はいまだに決着がついていません。遺跡説を唱える人々の中には、ムー大陸アトランティス大陸の一部であると主張する人もいます。


わたしが撮影した海底遺跡

わたしが撮影した海底遺跡

わたしが撮影した海底遺跡

わたしが撮影した海底遺跡



1986年、地元のダイバーである新嵩喜八郎氏が新たなダイビングスポットを探している時、与那国島南部の新川鼻沖合の海底で遺跡のような地形を発見したのが事の発端です。発見されたものは、巨大な岩を半分ほど加工したような造りで、階段のような部分も見られました。この発見の後、沖縄各地で似たような発見が相次ぎます。たとえば、慶良間諸島ではサークル状の構造物が発見され、他にも人工的に穴が開けられたとみられる岩などが見つかっています。


船底はこんな感じです

窓を覗いて海底遺跡を視察しました

夢中で撮影する安田さん

海底遺跡MAP


もし、これらが人工物であるとしたら、かつて沖縄に文明が存在していたことになります。琉球大学教授の木村政昭氏は「幾度となく遺跡を調査した結果、この地形は古代遺跡とみて間違いない、もしかしたら失われたムー大陸の一部かもしれない」と発表し、大騒ぎとなりました。


沖縄海底遺跡に関する書籍の一部



木村氏によれば、もともと沖縄のある琉球列島は中国大陸から張り出していた部分だそうです。そこが地殻変動によって分断され、一部は沈み、現在の形になった。その時起こった災害が太平洋各地に伝えられていくうちに誇張され、ムー大陸の伝説となったといいます。与那国の海底に眠る遺跡のような地形は、この時に沈んだ文明の一部ではないかというのが木村氏の主張です。


まさに海底宮殿です(ポストカードより)

亀は竜宮のシンボルか?(ポストカードより)



また、沖縄のロゼッタストーンと呼ばれる石版なども発見されており、木村氏はこの遺跡こそがムー大陸実在の証拠だと主張します。亀にちなんだ遺跡が多いことから、竜宮伝説との関連も考えられます。亀は竜宮のシンボルだからです。
その一方で、この遺跡のような地形は人工物でなく自然が生み出したものであるという説もあります。現在のところ、考古学界も遺跡説を支持していないようです。その最大の理由は、その造形以外に人工物である根拠がないからである。
わたしが自分の目で実際に見た印象は、「これは間違いなく人工物である」というものです。「自然は直線を嫌う」とは真理でしょう。第一、原人の骨や土器の発掘とかSTAP細胞の発見などと違って、捏造のしようがありません。


人工物としか思えません(ポストカードより)

これが自然物なら奇跡でしょう(ポストカードより)



生活の跡が見られないとか人骨が出てこないなど、いろいろ他にも理由はあるようですが、これだけの遺跡を「自然物である」と言い張る人々の神経を疑います。この地形が人工物と認定されれば、どうなるか。その時点で約1万年前の東アジアに大規模な石造建築文化が存在したことになり、沖縄海底遺跡は世界最古の文明の遺跡ということになります。そして、その瞬間、人類の文明史は大きく書き換えられます。なんと愉快な話ではありませんか!
まあ、人工物であるにせよ自然物であるにせよ、この地形が特別なものであることに変わりはありません。わたしは高速半潜水艇の中から遺跡をじっと眺めながら、「サムシング・グレート」と呼ぶべき存在を思っていました。


高速半潜水艇のデッキ上で

発見者の新嵩喜八郎氏と



潜水艇から下船した後、解説を務めていただいた遺跡発見者の新嵩喜八郎氏と名刺交換および記念撮影しました。名刺をお出しすると、「おお、サンレーさんですか。うちの母の葬儀は八重山紫雲閣でお世話になりました。大変良くしていただきました」と述べられ、海底遺跡のポストカードと携帯ストラップを頂戴しました。ポストカードの写真は自由に使用していいそうです。思いもしない御縁に、この世は有縁社会であることを改めて確認しました。なお、この沖縄海底遺跡には、最近も新たな発見が相次ぎ、人々に限りないロマンを与えています。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年4月7日 一条真也