和婚広告

一条真也です。
東京に来ています。新橋での会議を終えた後、次の打ち合わせ場所の銀座へと向かいました。ちょうど有楽町の下あたりでしょうか、地下鉄の駅をつなぐ地下街を歩いていたら、見覚えのある絵柄の広告が目に飛び込んできました。


有楽町の地下街にて



それは、わたせせいぞう氏のイラストを使った「日枝神社」の結婚式場の広告でした。日枝神社は、赤坂にある緑豊かな神社です。
ブログ「ハートカクテル」、およびブログ「男のセンチメンタリズム」ブログ「わたせせいぞう展」に書いたように、わたしは、わたせ氏の代表作である「ハートカクテル」の大ファンでした。わたせ氏は、小倉高校、早稲田大学を通じてのわたしの先輩です。最近は、「サンデー毎日」に「あの頃ボクらは若かった」というオールカラーの連載をされており、毎週楽しみに読んでいます。
わたしは、1988年に上梓したデビュー作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)で、「ハートカクテル」についての想いを書きました。
あの頃の「ハートカクテル」はまさに東京ディズニーランド的というか、アメリカンナイズされたデートスポットのイメージだったのですが、わたせ氏の描く神前結婚式、すなわち「和婚」もオシャレでいい感じですね。


日枝神社の結婚式広告



さて、神前結婚式といえば、知られざる秘密があるのをご存知ですか?
神前式に対して「古くさい」「窮屈だ」「ダサい」といったようなネガティブ・イメージを抱く若い人も多いようです。でも、そんな人たちにも神前式の意外な一面を知っていただき、神前式を見直してほしいと、わたしは心から思います。
わたしは、神前式の伝統性を重視し、日本で昔から行われてきた儀式だから見直せと言っているのではありません。第一、今の神前式のスタイルは決して伝統的ではなく、その起こりは意外に新しいのです。それどころか、キリスト教式、仏式、人前式などの結婚式のスタイルの中で一番歴史の新しいのが神前式なのです。もちろん古くから、日本人は神道の結婚式を行ってきました。



でも、それは家を守る神の前で、新郎と新婦がともに生きることを誓い、その後で神々を家に迎えて家族、親戚や近隣の住民と一緒にごちそうを食べて2人を祝福するものだったのです。神前式の歴史はたかだか100年ちょっとにすぎず、それもキリスト教式の導入がきっかけという、いわば外圧によって生まれたものであり、伝統などとはまったく無縁なのです。
神前式の秘密は、そんなところにあるのではありません。



以前、わが社の結婚式場で挙式されたカップルの追跡調査を行ったことがあります。わが社では、神前式をはじめ教会式、人前式とあらゆるスタイルの結婚式を提供していますが、調査の結果、興味深いデータが出ました。
なぜか神前式をあげたカップルの離婚率が、その他のスタイルに比べて、とても低いのです。「神前式だと離婚しにくいのか」という疑問を抱いた私は、他の結婚式場やホテルの経営者にもたずねてみましたが、答えは同じでした。
やはり、どこでも神前式を行ったカップルの離婚率は低いのです。
なぜ神前式のカップルは離婚しにくいのでしょうか。
神道の呪術性のせいかとも思いましたが、むしろキリスト教式や人前式の方が呪術的要素が強いという見方もあります。長らく、このことは私にとって謎でしたが、近頃「あっ、もしかして?」と思ったことがあります。


海馬―脳は疲れない (新潮文庫)


以前、脳に関する本がブームになりました。その中に『海馬』(朝日出版社)という本があります。脳をテーマにした、脳生理学者の池谷裕二氏とコピーライターの糸井重里氏の対談本ですが、これが非常に面白い。
この本を読んでいて、私は「はっ!」としました。池谷氏が、何かを脳にインプットする場合、手を動かすことがいかに重要かを語っているのです。手を動かすことが、いかにたくさん脳を使うことにつながっているかを力説し、大脳全体と手の細胞とが非常にリンクしていることを池谷氏は次のように解説します。
「指をたくさん使えば使うほど、指先の豊富な神経細胞と脳が連動して、脳の神経細胞もたくさんはたらかせる結果になる。指や舌を動かしながら何かをやるほうが、考えが進んだり憶えやすくなったり、ということです。英単語を憶える時でも、目で見るよりも書いたりしゃべったりしたほうが、よく憶えられるということは、誰もが経験のあることでしょう」


三三九度―盃事の民俗誌 (岩波現代文庫)


そうすると、あの神前式における数々の面倒な手の動きの謎が解けます。特に三三九度の盃を交互に飲み干す「三献の儀」の動きなど複雑きわまりないですが、三三九度も玉串奉奠も柏手も、すべて何かを脳にインプットするための動作なのではないか。その「何か」とは「自分たちは結婚した」というメッセージです。これを神前式では、面倒で複雑な手の動きを通して何度も何度も「結婚した」という情報を脳に入力していく。最後に、もう1つの脳といわれている手の平を柏手でパァーンと刺激を与えて、入力作業のダメ押しをする。結婚への覚悟を新郎新婦の脳に注入する。これが、神前式が離婚者を生みにくい理由の1つであるような気がします。指輪の交換なども、脳への入力作業といえるでしょう。



そして、何よりも神道という宗教の本質と結婚という行為の相性が良いのです。もともと結婚は、男性と女性が結びついて新しい生命をつくり出す、「産霊」の行為を意味します。これは神道が最上のものとするコンセプトですが、わが社の「サンレー」という社名も、この「産霊」に由来しています。
わたしは、「結婚とは最高の平和である」と常々言っています。人と人とがいがみ合う、それが発展すれば喧嘩になり、さらには9・11同時多発テロのような悲劇を引き起こし、最終的には戦争へと至ってしまいます。逆に、人と人とが認め合い、愛し合い、共に生きていく結婚とは究極の平和であると言えないでしょうか。結婚ほど平和な「事件」はないのです。



9・11同時多発テロの原因は複雑で、さまざまな要因が絡まっていますが、1つには、ユダヤキリスト教イスラム教の対立という側面がありました。
そして、ユダヤ教キリスト教イスラム教はその源を1つとしながらも異なる形で発展しましたが、いずれも他の宗教を認めない一神教です。宗教的寛容性というものがないから対立し、戦争になってしまう。
一方、八百万の神々をいただく多神教としての神道の良さは、他の宗教を認め、共存していけるところにあります。自分だけを絶対視しない。
自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容である。他者に対する畏敬の念を持っている。神道のこういった平和的側面は、そのまま結婚生活に必要なものではないでしょうか。


結魂論―なぜ人は結婚するのか


結婚という人間界最高の平和と、神道という平和宗教は基本的に相性が良い。
そして、結婚とは「結魂」です。神前式は、荒魂、奇魂、幸魂、和魂が1つに結び合わされる結魂が成し遂げられる場であり、そこで新郎の魂と新婦の魂も固く結ばれます。一度、結魂を果たした魂同士は簡単には離れにくい。神前式に何となくネガティブ・イメージを持っていた結婚予定者で、もし離婚を絶対にしたくない方がいれば、ぜひ神前式を見直してみてください。結婚式についてさらに深く知りたい方は、拙著『結魂論』(成甲書房)をお読み下さい。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年3月20日 一条真也