『読書は「アウトプット」が99%』

読書は「アウトプット」が99%: その1冊にもっと「付加価値」をつける読み方 (知的生きかた文庫)


一条真也です。
『読書は「アウトプット」が99%』藤井孝一著(三笠書房・知的生きかた文庫)を読みました。わたしは読書論や読書術の類を読むのが好きで、定期的に話題の本をチェックするのですが、最近は本書がよく読まれているようです。著者は1966年生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、大手金融会社でマーケティングを担当、米国駐在を経て独立。中小企業と起業家の経営コンサルティングを始めました。現在は、株式会社アンテレクト代表取締役だそうです。



本書のカバーには「その1冊にもっと『付加価値』をつける読み方」と書かれており、帯には「『どんな本だったか』を必ず話す。これが役立つ読書の極意!」「できる人は今日の出来事を話すように『本の話』をする!」と書かれています。


本書の帯の裏



また帯の裏には、「本物の“使える知識”が身につく読み方・選び方・活かし方」として、本書の内容が見事に以下のように要約されています。
「読書は、基本的に“インプット”する作業。本の内容を覚えたり、感想を抱いたりするのが一般的な読み方でしょう。しかし、本を『読んで終わりに』にするのはもったいない。『話す』『書く』『行動する』・・・・・・読後にこんな“アウトプット”をすることで、本が自分の血となり肉となります。読むだけの読書から一歩も二歩も進み、普段の思考や行動に磨きをかける『アウトプット読書術』。これが、目の前の本を“成長”に直結させる最良の方法です。――著者」



本書の目次構成は、以下のようになっています。
はじめに「読み方ひとつで仕事にも人生にも“決定的な差”がつく!」
1章 もっと「本の話」を誰かとしよう
2章 「速読」よりも「乱読」せよ!
3章 読書を最高の「自己投資」にする技術
4章 「お金を稼ぐ人」は、本をこう読む!
5章 私は、こんな本を読んできた



はじめに「読み方ひとつで仕事にも人生にも“決定的な差”がつく!」の冒頭で、著者は「本は読む(インプット)だけでなく『アウトプット』することで、もっと血となり肉となる――私が本書で言いたいのは、このことです」と述べています。
アウトプットと言っても、何も特別なことをする必要はないそうで、基本は「話す」「書く」「行動する」。この3つです。著者は次のように述べます。
「これらのアウトプットを繰り返すことで、情報を能動的に取り入れられるようになり、自分なりの思考法やアイデアを形づくっていけます。いわば、本がもっと『役立つもの』『付加価値のあるもの』に変わるわけです」



1章「もっと『本の話』を誰かとしよう」では、「今日の出来事を話すように『本の話』をする」ことが訴えられており、著者は次のように述べます。
「記憶力とは覚える力ではなく、思い出す力なのです。本の内容を思い出し、繰り返し話すことで、初めて記憶になります。本から学んだことをいつでも再生できるようにするには、アウトプットをし続けるしかないのです」



また、「知識は“循環”させてこそ活きる」として、著者は述べます。
「物事は『循環させる』ことが大事です。呼吸するときに酸素を吸い、二酸化炭素を吐いて体の中を空気が循環するように、読書もインプットとアウトプットが循環するようになって、初めて本の内容が活きてくるのです。川や海は絶えず流れているので淀みませんが、水がたまっている沼や池は淀みます。本で得た情報や知識も流さないと、頭の中で淀んでしまうのです」



3章「読書を最高の『自己投資』にする技術」では、「情報は『受け取る』ものではなく『取りに行く』もの」として、次のような事例が紹介されています。
熊本県蒲島郁夫知事は、人気キャラクター『くまモン』の生みの親でもあります。たいてい、自治体の長は官僚や政治家出身ですが、蒲島知事はもともと東大の教授をされていたという、異色の経歴の持ち主です。
蒲島知事は政治学の権威であり、自分の研究をもとに選挙戦を戦ったといいます。教え子たちは、「負けたら蒲島理論が否定される」と気が気ではなかったようですが、見事圧勝して知事になりました。
そして知事になってからは、自分が理想としていた政治を行なうべく、川辺川ダムの建設を中止したり、水俣病の問題を解決に導いています。
学者時代にインプットした知識を、政治家になって実行に移し、アウトプットしているという、きわめて珍しい例です。アウトプットしたことで、ご自身の研究が血肉になったと言えるのかもしれません」



4章「『お金を稼ぐ人』は、本をこう読む!」では、「読書は『上に立つ者』の仕事」として、著者は次のように述べます。
「私の知る限り、大企業の経営者で本をまったく読まない人は、あまりいないと思います。本を読まない人が大企業のトップになれるとは考えられません。
日本に限らず、世界中のエリートはおしなべて読書家です。欧米のエリートはシェークスピアを読んでいるのは当たり前なので、海外でビジネスをする日本人も、読んでおかないと話を合わせられないでしょう」
そして、さらに著者は「ある意味、本を読むのが経営者の仕事でもあります。経営者は、世の中の絶え間ない変化に対応しなくてはならないので、常に最新の情報を自分自身にインストールしなければなりません。読書はそのための水先案内人になります」と述べます。



「感動をアウトプットできるか」では、次のように書かれています。
「私は、人間としての幅がないと、ある一定レベル以上の人物にはなれないと考えています。人は結局のところ、感情で動く動物です。テクニックや知識を学んで会話がうまくなっただけでは、人を動かせません。何かに心を動かされる、感動させられることが、人を動かす何よりの吸引力となるのです。
そう考えると、自分が感動できる人間でなければ、いい仕事をなし遂げることはできません。感動を知るからこそ、人を感動させることができるのです。
感動を得られるのは圧倒的に文芸書であり、ビジネス書では知識どまりです。この両方を読むことで初めて、人間力のバランスがとれるのではないでしょうか」


本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする?読自?の技術   「教養」を最強の武器にする読書術


わたしも、この文芸書とビジネス書を両方読むことが必要だと思います。
ブログ『本を読んだら、自分を読め』ブログ『「教養」を最強の武器にする読書術』にも書きましたが、わたしの周囲にはかなりの数の読書家の方がいるのですが、小説は読まないという人がけっこういるのです。それと、小説が苦手でどうしても読めないという人もいます。多いのはビジネス書あるいは自己啓発書の類を読み漁っている人です。



わたしは小説などの文学作品を読まない人は惜しいと思うのですが、反対に小説しか読まない人も残念な人だと思います。このタイプも周囲に多いので書きにくいのですが、物語の世界に遊ぶことは人生を豊かにしますが、それだけではやはり偏ってしまいます。というか現実の諸問題に対応する思考が育ちません。ここは「貧しい」というよりも「もったいない」と言ったほうが適切でしょう。小説しか読まない人は、もったいない。


あらゆる本が面白く読める方法―万能の読書術


わたしは『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)を2009年に書きましたが、本書『読書は「アウトプット」が99%』の内容と重なるところが多いと思いました。というのも、「アウトプット」の重要性をわたしも同書で力説したのです。
読書によって、わが事業へもたらされた利益は限りなく、わたしは人生のあらゆる難問を読書によって切り抜けてきたと思っています。これが経営と読書とを結びつける、わたしなりのアウトプットのイメージ化です。しかし、実際の読書においては、アウトプットが明確になっていないことも多々あります。



そんなときにはどうしたらいいのか? どんな人でも実行できるアウトプットは、「こんな本を読んだよ」「この本はこんな趣旨のことを指摘していたよ」などと、近くの人に話すことです。友人でも会社の同僚でも家族でもいいから、読んだ本がどういう本だったかを手短にまとめ、3分程度で説明するようにしてみてはいかがでしょうか。すると、これがなかなか難しいことに気づきます。



さっきまでしっかりと読んで、きちんと理解をしていたはずなのに、さらに「この考え方はすごい!」なんて感心して、自分でも実行してみようと決意したはずなのに、人に伝えようとすると、しどろもどろになってしまって、どこがよかったのかを端的にまとめられない。そして、「あれっ? 本当にこの本で感嘆したんだっけな?」などということになります。自分の中で内容がきちんと整理され、重要な部分とそうでない部分が明確になっていないと、3分で相手に伝えることはまずできません。こうして人に伝えることを前提として、読書に臨むと、相当の集中力を持って取り組めることに気づきます。これもアウトプットの意識化なのです。
 


次の方法論としては、書くことです。読んだら、書く。読んだら、書く。これの繰り返しで、身につけていきます。400字詰め原稿用紙、数枚ぐらいで充分でしょう。何を書いたらいいかわからなければ、書評を書いてみる。
感想文でもいいでしょう。または「あらすじ」でもかまいません。
じつは「あらすじ」を書くというのは相当に難しい作業であると、橋本治氏と内田樹氏が述べています。なるほど、それは事実でしょう。「1000字で、『坊っちゃん』のあらすじを書け」と言われたら、わたしでも難しいものです。
とにかく書くというアウトプットのイメージ化が大切ですね。「あらすじ」や感想文、書評を書いた時点で、その本を自分のものにしていることになるはずです。自分で書いたことは必ず頭に残ります。



発表するあてがなくても書いておくことは重要です。書くことで、頭の中が整理され、どの引き出しに何が入っているかがはっきりとしてきます。どの引き出しに何が入っているのかを忘れてしまって、あっちを引っ張り、こっちを引っ張り・・・・・・。これならまだマシなほうで、引き出しに入れていたことすら忘れてしまって、「ああ、そうなんですか」なんて感心しているだけ。本当はそのことについての本を読んでいたはずなのに・・・・・・。
これではせっかくの読書がもったいないです。こうして書き溜めていった資料、そしてなによりもそうした訓練はいつかあなたを助けてくれるはずです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年3月21日 一条真也