人生の卒業式入門

一条真也です。
15日、ブログ「終活セミナーのご案内」で紹介したイベントが開催されました。会場は、北九州市男女共同参画センター「ムーブ」5階大セミナールームでした。いま話題の「終活セミナー」ということで、多くの参加者が集まりました。そこで、わたしは基調講演を務めました。
主催は、社会福祉法人もやい聖友会さんです。
先月、権頭喜美惠理事長から講演依頼がありました。


終活セミナーの基調講演を務めました

テーマは「人生の卒業式入門」

終活の流れを説明する

「死」についての考えを話しました



基調講演のテーマは、ずばり「人生の卒業式入門」です。わたしは、「死」を「人生の卒業」、「葬儀」を「人生の卒業式」と呼んでいます。
まず、「死」についてのわたしの考え方をお話しました。
政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学・・・・・人類が生み、育んできた偉大な営みは、なぜ生まれ、なぜ発展したのか。
それは、「人間を幸福にするため」という1点に集約されます。


「死」は「不幸」ではありません!

終活は人生の卒業準備



さらにはその人間の幸福について考え抜くと、その根底には「死」が厳然として存在するのです。その「死」を、日本では「不幸があった」と表現することが、わたしには納得がゆきません。人間は、みな必ず死にます。
「死」が不幸なら、人生は最初から負け戦なのでしょうか。
わたしは、「死」を絶対に「不幸」とは呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来必ず「不幸」になるからです。
死は決して不幸な出来事ではないのです。


セミナールームが満員になりました!

冠婚葬祭とは何か

葬式は必要!

人間の幸せについて



今日はムーブで最も広い会場が使用されたのですが、おかげさまで満員になりました。さらに、わたしは以下のようなことをお話しました。
葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化である。
いや、葬式は人類の存在基盤だと言ってもよい。
昔、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」というポスターの標語があったが、わたしは、「葬式やめますか、そして人類やめますか」と言いたい。日本人が葬式をやらなくなったら、人類社会からドロップアウトしてしまう。
あらゆる生命体は必ず死ぬ。もちろん人間も必ず死ぬ。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことだ。でも決して不幸なことではない。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければならない。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえるのである。葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになる。
つまるところ、葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思う。


すべての儀式は「卒業式」

「死」が不幸でなくなる日をめざして



卒業式というものは、本当に深い感動を与えてくれます。 それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからだと思います。 わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。 七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。
そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのですね。
結婚式というものも、やはり卒業式だと思います。
なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業する娘を愛しく思うからです。 そして、葬儀こそは「人生の卒業式」ではないでしょうか。
最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。


さまざまな送られ方

自分の葬儀を想像しよう!



さらに、「さまざまな送られ方」として、新時代の葬儀についても話しました。
日本の葬儀は、実にその8割以上を仏式葬儀によって占められています。
ところが最近になって、仏式葬儀を旧態依然の形式ととらえ、もっと自由な発想で故人を送りたいという人々が増えています。今のところは従来の告別式が改革の対象になって、「お別れ会」などが定着しつつあります。
やがて、通夜や葬儀式にも目が向けられ、故人の「自己表現」や「自己実現」が図られていくに違いありません。


葬儀は故人の「自己表現」であり「自己実現」である

鎮魂の森プロジェクト」に会場が驚く!



新しい葬儀のスタイルとしては、まず自然葬を思い浮かべる人が多いでしょう。これは、火葬後の遺灰を海や山にまくという散骨のことです。海に遺灰をまく方法は、一般に「海洋葬」と呼ばれています。
また、「死んだら木になって森をつくろう」という「樹木葬」も最近よく耳にします。サンレーでは、今秋に「鎮魂の森プロジェクト」を実現する予定です。
わが社では「人間尊重」のミッションを掲げ、冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いを続けてまいりましたが、高齢社会を迎え、いま「住まい」への不安が深刻になっています。「衣食足りて礼節を知る」という言葉もありますが、「人は老いるほど豊かになる」という理念を実現するためにも、「住まい」への新たな提案が求められています。わが社では、ご高齢の皆様に安心して余生をお過ごしいただくため、「隣人館」をすでに運営していますが、この「終の棲家」は、いわば仮の宿です。桜は咲き誇り、やがて散っていく。人の営みも美しき花のようにありたい。その想いを託し、「永遠の棲家」として構想されたのが、この「鎮魂の森」なのです。


心のままを語りました



「身寄りがなくて、死んでも入る墓がない」と嘆いておられる方々がいます。
もともと、「無縁社会」という言葉は「無縁仏」に由来します。このままでは、日本は無縁仏だらけになってしまうと言われています。いや、無縁仏でさえ入る墓があるわけですが、それすらない「死後のホームレス」が大量発生する可能性があるのです。万人が平等に安眠できるように、「鎮魂の森」では、なんと5万円からの価格設定を考えている次第です。
「人生の卒業式」ともいえる葬儀を終え、体は緑豊かな地球に戻り、魂は天空に浮かぶ美しい月に還っていく・・・・・。
自然に抱かれるエコロジカルな「樹木葬」と“魂のエコロジー”を実現する「月への送魂」が織りなす慈しみに満ちた「鎮魂の森」は、必ずや多くの方々に永遠の安らぎをもたらすことでしょう。
さまざまな葬儀スタイルを紹介した後で、わが社が構想している「月面葬」についてもプレゼンさせていただきました。
みなさん、たいへん興味深い様子で聴いて下さいました。


著書販売コーナー



最後に、『思い出ノート』(現代書林)の話をし、その意味や使い方についてお話したところ、大きな反響がありました。今日は会場に数十冊を用意して販売させていただきましたが、飛ぶように売れました。
その他にもわたしの著書の販売を行ったのですが、よく売れたようです。
講演が終了すると、盛大な拍手を頂戴し、感激しました。
自らの死をイメージして、より良い生を送る時代の訪れを実感しました。


思い出ノート ([バラエティ])

思い出ノート ([バラエティ])

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年2月15日 一条真也