ソチ五輪の開幕

一条真也です。
ブログ「洞海湾クルーズ」ブログ「西日本新聞社の集い」で紹介したイベントの後、瑞松寺の末廣石光住職と一緒に二次会に行きました。末廣住職と別れた後も、久々の夜のパトロールをして、深夜に帰宅しました。


ソチ五輪の開会式をテレビで観ました



すると、妻がリビングルームでテレビを観ていました。
わたしが「こんな遅くまで何を観ているの?」と聞くと、その番組はソチ五輪の開会式でした。そうか、第22回冬季オリンピックのことをすっかり忘れていた!
わたしは風呂にも入らず、缶チューハイ片手にテレビに釘付けになりました。



ロシアでの五輪は旧ソ連時代の1980年モスクワ夏季大会以来で、冬季大会は初開催だそうです。オリンピックといえば、わたしが一番楽しみにしているのは、じつは競技そのものではなく、開会式の演出なのです。
ブログ「ロンドン五輪の開幕」に書いたように、2012年にロンドンで開催された夏季オリンピックの開会式は英国を代表する映画監督のダニー・ボイルが芸術監督を務めました。テーマは、「驚きの島」で、中世から産業革命を経て現代に至る歴史絵巻などが繰り広げられました。「ミスター・ビーン」で知られるローワン・アトキンソンのパフォーマンスも面白かったですね。
しかし、最も心躍らせたのは「ピーター・パン」「不思議の国のアリス」「メリー・ポピンズ」、そして「ハリー・ポッター」といった英国産のファンタジーに基づいたショーでした。演出としても見事でしたし、「イギリスという国は、これまで世界中に夢を届けてきたのですよ」というメッセージの発信にもなっていました。


幻想的な演出でした



今回のソチ五輪の開会式も、ロシア史を幻想的かつ豪華絢爛に振りかえっており、素晴らしい内容でした。「さすがは芸術大国!」と思いました。1人の少女の夢の形でストーリーが進行していくというスタイルは、ロンドンでの「驚きの島」にも似ていましたね。オリンピックというのは「世界平和」という夢を見せる場所ですから、その開会式はとことんファンタジックでいいように思います。


装置の1つが開かない!

「五輪」のはずが「四輪」に・・・・・



ただ、開会式の冒頭部分で思わぬハプニングがありました。雪の結晶の形をした5つの装置が輪の形に変わって「五輪」になるはずだったのに、このうちの1つが作動せず、「四輪」になってしまうというハプニングがありました。その瞬間、テレビを観ていた妻が「あっ!」と叫んで、「これは大失敗よ」と言いました。わたしも一緒に観ていましたので、事の重大さはよくわかりました。それにしても、こんな大舞台でこんなミスが起こるものなのですね。
これが宇宙ロケットや核兵器だったら、どうなっていたのでしょうか?
また、この場面を会場で観ていた中国の習近平国家主席、日本の安倍晋三首相はどう思ったのでしょうか? 
そして、誰よりもプーチン大統領の心中は? とても気になります。
もし北朝鮮でこんな失態が起こったら、タダでは済まないでしょうね。


プーチン大統領の心中は?



開会式は世界中に生中継されましたが、ロシア国営テレビなどではこの場面は放映されなかったようです。国営テレビが開会式後に放映した映像では、この装置の形が変化し始めたところで映像が切り替わり、再度、この装置が映し出された時には五輪が完成していたとか。しかし、日本などに流れた国際映像では、そのまま「四輪」が映し出されました。なお開会式後の記者会見では、総合演出したコンスタンチン・エルンスト氏ら制作陣が「五輪の精神が伝わることが大切で、五輪マークが完成するかしないかは問題ではない」と強調したそうです。


豪華絢爛な開会式でした

幻想的に表現されたロシア国旗



たしかに、「世界平和」を謳うことが五輪の最大の目的であり、つまらない揚げ足取りをするのは控えたほうがいいでしょう。
三文オカルティストや陰謀論者などは「これは、五大陸の1つに大いなる災いが起こる予兆だ」とか「地球規模の天変地異が起こり、大陸の1つが消滅する」などと言うかもしれませんけどね。
その後の開会式も、豪華絢爛で素晴らしい演出でした。
最後は、ロシア国旗が幻想的に表現され、世界中の人々を魅了しました。


最初の入場国はギリシャ

映像の演出も素晴らしかったです

雪の女神が選手団を先導しました



その後、各国選手団の入場式が行われました。妻は「日本の入場を観てから寝る」と言っていましたが、なかなか登場しないので諦めて、先に寝てしまいました。代わりに、わたしは日本の入場をしっかりと見届けました。日本選手団の入場は開催国ロシアの前で、最後から2番目に入場しました。


日本選手団が入場しました

そのとき、東北で地震が発生!

日本選手団に手を振る安倍首相

東日本大震災を忘れるな!



スポットライトに彩られ、約4万人の大観衆に拍手を送られながら、選手は日本とロシア国旗の小旗を振りながら歩きました。そのとき、東北地方でやや強い地震が発生したのです。テレビのテロップには、地震速報と津波警告が映し出されました。それを見て、わたしは「オリンピックも良いけれど、東日本大震災を忘れてはならない」という天から日本人へのメッセージのように思いました。


最後はロシア選手団の入場でした



かつて『遊びの神話』(東急エージェンシー、PHP文庫)にも書いたのですが、オリンピックの入場行進を見るたびに、「こんな国があったのか」という発見があります。また、日々の大会では、「こんな競技があったのか」という発見もあります。五輪は「国家と民族の博覧会」であり、「スポーツの博覧会」でもあるわけです。近代オリンピックは、ピエール・ド・クーベルタンによって1500年ぶりに復活しました。詳しいことは『遊びの神話』に書きましたが、古代ギリシャにおけるオリンピアの祭典は、勇士の死を悼む葬送儀礼として発生しました。そこには、戦争の代用としてのスポーツで競い合うことによって「平和」を願う心があったのです。


遊びの神話

遊びの神話


1992年にスペイン・バルセロナ夏季五輪が開催されたとき、わたしは「産経新聞」に「冷戦終結後の五輪」というタイトルで寄稿したことがあります。その文章は、『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)に収録されています。その冒頭に、わたしは「今年(1992年)のオリンピックは湾岸戦争で亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬儀という非常に重要な意味を持つと思う。また、両大会は東西の冷戦終結後、初のオリンピックとして長く記憶にとどめられるだろう」と書きました。


産経新聞」1992年1月22日朝刊



また「冷戦終結後の五輪」の最後には、次のように書いています。
「言うまでもなく、オリンピックは平和の祭典だ。ノーベル平和賞受賞者で第7回アントワープ大会の陸上銀メダリストでもあるイギリスのノエルベイカーは、オリンピックを『核時代における国際理解のための最善のメディア』と述べた。古代のオリンピア祭典は民族統合のメディアとして利害の反する各ポリスの団結を導いた。現代のオリンピックは世界の諸民族に共通する平和の願いを集約し、共存の可能性を実証しながら発展を続けている。
最大のコンセプトは、やはり『平和』。われわれ宇宙船地球号の全乗組員は、諸宗教を超える普遍的な『平和教』の信者であるべきだ。
4年に1度のオリンピックからその未来宗教が垣間見える」


世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない



あれから、もう20年以上が経過したわけですね。
でも、わたしの考えはまったく変わりません。今回のソチ五輪には、史上最多の87カ国・地域から約2900人が参加します。次々に入場してくるさまざまな国々の国旗を見ながら、わたしは「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮澤賢治の言葉を思い出していました。
明日の9日、初の「北九州マラソン」が開催されます。
ちなみに、わたしは出場しません。悪しからず。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年2月8日 一条真也