「ライオンキング」

一条真也です。
ブログ「ハリー・ポッター展」ブログ「LOVE展」で紹介した2つの展覧会を鑑賞した後、わたしは六本木から浜松町の近くにあるJR東日本アートセンター・四季劇場[春]に向かいました。そこで、劇団四季の「ライオンキング」を観ました。


四季劇場[春]の前で

ライオンキング」を観ました



ライオンキング」は、1998年12月20日に東京公演が開幕しました。
ブロードウェイに続く海外初のプロダクションとして、また劇団四季の専用劇場・四季劇場[春]の柿落し公演として公演前から大きな話題を呼びました。公式HPの「イントロダクション」には、「ミュージカル『ライオンキング』が日本中を生命の歓喜に包みこむ!」とのタイトルで以下のように書かれています。
「太陽煌めくアフリカの大地を舞台に、『サークル・オブ・ライフ(生命の連環)』をテーマとして繰り広げられる壮大なミュージカル『ライオンキング』。
その歴史は1997年、ニューヨーク・ブロードウェイで始まりました。開幕と共に『ライオンキング』は空前のブームを巻き起こし、1998年には演劇界最高の栄誉とうたわれる世界最大の演劇賞・トニー賞の中でも最も優秀な作品に贈られる最優秀ミュージカル賞を受賞。その他、最優秀演出賞、振付賞、装置デザイン賞、照明デザイン賞、衣裳デザイン賞の計6部門を受賞し、さらにトニー賞のみならずグラミー賞からドラマ・デスク賞など数々の賞を受賞しました」


ライオンキング」が大ブームになった背景には、天才女流舞台芸術家であるジュリー・テイモアの存在がありました。ジュリーの演出によって、ディズニー映画「ライオンキング」が最上級のミュージカルへと生まれ変わったのです。
ジュリーの前には、アフリカの大自然に生きる動物たちを人間が演じるという難題が立ちはだかっていました。その難題に対して、彼女はアフリカンアートをはじめ、日本の文楽や歌舞伎、インドネシアの影絵といったアジアの伝統芸能を融合したマスク(仮面)およびパペット(人形)を使用するといったユーモラスな手法を取り入れ、見事に舞台を成功させたのです。



音楽は、ポップス界の巨匠エルトン・ジョンが作曲を、ミュージカル界の重鎮ティム・ライスが作詞を担当しました。舞台版では映画版より新たに8曲が追加されていますが、特に南アフリカ出身のレボ・Mらアーティストが新たに曲を提供したものも含まれています。それらの楽曲には、アフリカの言語である「ズールー語」が用いられており、観る者の魂を震わせるように力強く響きます。
第1幕冒頭のナンバーは有名な「サークル・オブ・ライフ」で、“生命の連環”の意味を謳い上げます。また、第2幕冒頭のナンバーは「ワン・バイ・ワン」で、アフリカ民族の誇りを高らかに謳います。それらの楽曲によって、観客の心は広大なサバンナへと一気に誘われてしまいます。



ライオンキング」のあらすじは、ディズニーのアニメでもよく知られていますね。
公式HPの「ストーリー」には、以下のように書かれています。
「アフリカの広大なサバンナ。ラフィキが巡りめぐる生命の賛歌を歌い上げる中、あらゆる動物がシンバの誕生を祝うためにプライドロックに集まる。しかし一人だけ未来の王の誕生を快く思わない者がいた。
光に満ちた王国:プライドランド全土を目の前にして、父王ムファサは息子に『サークル・オブ・ライフ(命の連鎖)』の理念を教える。
『ライオンも死ねば草となり、その草を草食動物が食べ、その草食動物をライオンが食べる。全てのものはこのめぐりめぐる偉大な生命の調和に結びついている。王としてそれを理解し、全ての生命を尊重すべきである』と。
好奇心旺盛なシンバは叔父スカーから聞いた禁断の場所へ踏み込む。そこで待っていたのは、ライオンの支配が面白くないハイエナ3匹。強がるシンバだが歯が立たず、あわやという時、危機一髪で父に助けられる。
未来の王としてあるまじき勝手な振る舞いを叱る王。しかし星空の下、王はすっかり意気消沈した息子に父として語りかける。
『過去の偉大なる王たちが、あの星からお前を見守っている。そしてお前を導いてくれるだろう。彼らはお前の中に生きているのだ』と。しかしその裏では、ハイエナたちがライオンの王国を乗っ取ろうという陰謀を企てていた。
ある日、スカーは『父さんからプレゼントがある』とシンバを峡谷へ誘い出す。
父を待つシンバを、ハイエナに追われたヌーの大群が襲う。
駆けつけた父ムファサは、シンバの救出には成功するものの、逆に彼自身がヌーの大群にのみ込まれ、息子の前で命を落とす。
『お前さえこの場にいなければ父さんは死なずにすんだのだ』、悲しむシンバにスカーが冷たく告げる。
父の死に責任を感じたシンバは、プライドランドを去る。
深く傷ついたシンバは、ミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァに出会う。2匹は「ハクナ・マタタ(気にするな)」という言葉でシンバを励まし、奇妙な3匹の共同生活が始まる。
成長したシンバは、幼なじみのナラに出会う。彼女からスカーの悪政下にあるプライドランドの荒廃ぶりを聞かされる。彼女は王国を何とか元の平和な姿に戻すため、助けを求めて旅していたのだ。しかし、未だ父の死の原因が自分にあると信じるシンバは、祖国に帰る決心がつかない。そこに父ムファサの亡霊が現れ、正当な王の血を受け継ぐ息子を励まし、奮い立たせる。
自分の置かれた立場を自覚し、とるべき道を悟ったシンバは、かつての光り輝く王国を取り戻すべく、プライドランドに戻る」


観終わって、「非常に臨場感のある素晴らしい舞台だ!」と思いました。
わたしは、これまで何度も劇団四季のミュージカルを観てきました。
劇団四季の創設者は浅利慶太氏ですが、東急エージェンシー時代には「浅利慶太君を励ます会」というイベントにも携わらせていただきました。発起人には、石原慎太郎氏などが顔を並べておられたことを記憶しています。
また、じつは今から15年くらい前に北九州の門司港劇団四季の専用劇場とわが社のホテルを一緒に作るというプランがありました。伊藤忠商事の不動産開発部門が企画したもので、当時の伊藤忠の部長さんが大の四季ファンだったのです。その方のお誘いで、いろんな四季のミュージカルを観ました。
伊藤忠さんには本当にお世話になりました。なつかしい思い出です。


いよいよ15年目突入!



わたしが好きなのは「キャッツ」、「オペラ座の怪人」、「異国の丘」です。
今年で15年目に突入した「ライオンキング」もいいのですが、正直言って「子ども向け」という印象はあります。ストーリーも、アニメとほぼ同じです。
そういえば、今夜の舞台は修学旅行生がたくさん来ていました。
男性トイレで中学生同士が交わしている会話を耳にしたのですが、福島や岐阜の中学校の生徒たちも来ていました。他にも、高校の修学旅行生の姿もあり、満員の劇場の3分の2は修学旅行生だったのではないでしょうか。それを見て、毎日同じ演目をやっていても満員になる秘密がわかったような気がしました。「劇団四季よ、なかなかやるな!」と思いましたね。はい。



「子ども向け」と言いましたが、もちろん「ライオンキング」は大人が観ても感動できる作品です。わたしも感動したシーンがいくつかありました。
昔、ディズニーのアニメでこの物語を初めて観たとき、まだわたしは社長になっていませんでした。それで、父との間の事業継承について想いを馳せた記憶があります。今回もまた、そのときのことを思い出しながら、「真の事業継承とは」「帝王学とは」といったテーマが心に浮かんできました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年6月27日 一条真也