和布刈神社

一条真也です。
今日はホワイトデーということで、ブログ再開1ヵ月になります。
昨年11月1日、ブログ『人生で大切な五つの仕事』で紹介した本の著者である井上ウィマラさんが「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二さんと一緒に北九州に来られました。お2人とも「世界平和パゴダ」を運営する日緬仏教文化交流協会の理事です。同じく理事であるわたしが門司のパゴダにお連れするべく、小倉駅まで迎えに行きました。
すると、パゴダに行く前に、鎌田さんがちょうどパゴダの麓にある和布刈神社(めかりじんじゃ)に寄りたいと言われました。
わたしは、お2人を関門海峡の突端に立つ和布刈神社にご案内しました。


和布刈神社

鎌田・井上両氏と関門海峡を背景に



和布刈神社では、毎年大晦日の夜の虎の刻(午前4時)に海中に入ってワカメを採ってご神前にお供えする「和布刈神事」が行われてきました。これは福岡県の無形文化財に指定されています。神社名となっている「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意なのです。神道研究の第一人者である鎌田さんは「とても美しく由緒のある聖地であり神社」と言われています。
社伝で伝えられる限りでは神功皇后の「三韓征伐」の後に奉祀されたもので、仲哀天皇9年(200年)創建とされます。古くは「隼人明神」とも呼ばれました。


鳥居の向うは海です

海に向かう鎌田・井上両氏



この和布刈神社の近くには、わが皇産霊神社があります。その近くにある大山祇神社は、全国の水天宮の本宮で、安徳天皇とその母の建礼門院平清盛の娘・平徳子)その安徳天皇の外祖母の二位の尼平清盛の妻・平時子)を祭神としてお祀りしています。かの壇ノ浦のすぐ近くに位置する大山祇神社のあたりは、玄界灘から打ち寄せる波の加減で、平家の武士の死骸や落武者が流れ着き、「河童」になったとかと伝えられています。ちなみに、「壇ノ浦の戦い」の前夜には、平家一門が和布刈神社で酒宴を開いたと伝えられています。


関門海峡に向かって法螺貝を奏上する鎌田氏

3人で和布刈神社を参拝しました



関門海峡に向かって立つ鳥居を見た鎌田さんは、うもむろに海に向かって下っていきました。そして海水が足にかかる場所まで進み、持参した法螺貝を吹き鳴らしました。それを井上さんが黙って見ていました。わたしもお2人と一緒に海辺まで行きたかったのですが、前年に足を骨折しており、足元に不安があったので踏みとどまりました。海から戻った鎌田さんと井上さんをお迎えして、わたしたち3人は神社に参拝しました。ここでも鎌田さんが法螺貝を吹き鳴らしたことは言うまでもありません。バク転神道ソングライターは、よほど和布刈神社を気に入られたようです。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年3月14日 一条真也