「哭悲/THE SADNESS」

一条真也です。
東京に来ています。21日の会議は夕方の16時半からの開始だったので、それまでに映画を観ることにしました。新宿まで足を延ばし、新宿シネマカリテで台湾映画「哭悲/THE SADNESS」を観ました。タイトルからグリーフケア映画を連想したのですが、とんでもない超弩級のホラー映画でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
シッチェス・カタロニア国際映画祭のMidnight X-Treme部門に出品されたホラー。人が感染すると凶暴化する未知のウイルスがまん延した台湾で、決死のサバイバルに挑む人々の姿を描く。メガホンを取るのは、本作が長編デビューとなるロブ・ジャバズ。『運命のマッチアップ』などのベラント・チュウ、ジョニー・ワン、ラン・ウェイホァのほか、レジーナ・レイ、アップル・チェンらが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「謎の感染症“アルヴィン”に対処してきた台湾。感染しても風邪に似た軽い症状しか現れないことからアルヴィンに対する警戒心が緩んでいたが、突如ウイルスが変異する。感染者たちは凶暴性を増大させ、罪悪感を抱きながらも殺人や拷問といった残虐な行為を行い始める。こういった状況の中でジュンジョーとカイティンの二人は離れ離れになる。感染者の群れから逃れて病院に立て籠もるカイティンからの連絡を受け取ったジュンジョーは、たった一人で彼女の救出に向かう」


いやあ、久々に「すごいものを見せられた!!」といった感じですね。まったく救いがない。残虐シーンのオンパレードなのですが、個々の行為がエグイです。フライドポテトを揚げている鍋を頭からかけて、焼けただれた顔の皮膚を搔きむしる。相手の頭が粉々になるまで消火器で叩き続ける。中年男性が傘で女性の目を突いて、負傷した目の中に自分のペニスを挿入する。「よくもまあ、ここまでやるなあ!」と呆れるくらいに目を背けたいシーンの連続でした。ちなみに、傘で目を突く中年男を演じた俳優は西村雅彦に、突き刺される方の女性は渡辺直美にそっくりでした。女性は最初マスクをしていたのですが、もう渡辺直美そのもので、わたしはてっきり渡辺直美が台湾の芸能界に進出したのだと思ったくらいです。あと、主人公のジュンジョーという男性は格闘家の朝倉海にそっくりでした。朝倉未来の弟ですね。



「哭悲/THE SADNESS」の残虐シーンは凄まじいの一言で、かのルイス・ブニュエル監督の「アンダルシアの犬」(1928年)で剃刀で目玉を切り裂いた描写を思い出させるような、映画史に残るショック・シーンでした。ブログ「Ⅹエックス」で紹介したホラー映画も残虐な殺人シーンで話題になりましたが、この「哭悲/THE SADNESS」はそんなレベルではありません。大人と子どもぐらいレベルが違うスプラッター・ムービーでしたね。スプラッター・ムービーといえば、最近あまり怖い映画がありません。観客も残虐シーンには慣れっこになって、ポップコーンを食べながら観たりしています。しかし、この「哭悲/THE SADNESS」はポップコーンなんか食べる気にもならないほどグロいです。


グロいだけでなく、「哭悲/THE SADNESS」は怖いです。それも表面的な怖さではなくて、観客は心の奥底から湧き上がってくるような恐怖をおぼえます。それは人間という存在そのものに対する恐怖であり、人類という種の存在基盤を揺るがすような不安です。映画に登場する感染症“アルヴィン”は、感染者の攻撃欲、性欲、食欲といった本能を開放します。アルヴィンに感染したものは、誰かれ構わず近くの人間をレイプし、殺し、その死体を貪り食います。感染者たちはゾンビのようですが、ゾンビではありません。生きた人間です。生きた人間が狂犬病のようなウイルスに感染して狂暴化しているのです。レイプも殺人も人食も「人の道」から外れた行為ですが、そういう外道の行いが実際に横行するシチューエーションがあります。戦争です。戦争で、兵士たちは侵略地の女性をレイプし、相手を兵士を殺し、場合によっては敵や味方の亡骸を食糧として命を繋ぎます。すなわち、アルヴィンとは戦争のメタファーなのです!


そんな超危険なウイルスが「風邪と同じ」だと楽観視されて、国は政治や経済を優先させてきたことが何よりも恐ろしいですね。また、現在の日本だって、東京や大阪や沖縄で信じられない数の感染者が出ているのに、「風邪と同じ」だと楽観する人々が多く、何の行動規制も行われないのも恐ろしい。さらには、感染者3万以上の日の東京で最大の繁華街である新宿の地下の映画館がほぼ満員の中で、恐怖のウイルス映画を観たことも、よく考えたら恐ろしい。新型コロナウイルスは、2019年12月末頃に中国にて原因不明の肺炎報告がありました。その後、日本に入ってきて、アルファ株、ベータ株、ガンマ株、デルタ株、オミクロン株、そしてオミクロンのBA.5株の存在が確認されています。これだけ短期間に変異を繰り返すウイルスならば、映画のアルヴィンのようなスーパー・クレイジーな変異株が出現しても不思議ではない気がしてきます。


新宿シネマカリテの入口


地下へ至る階段

 

2022年7月20日 一条真也

「炎のデス・ポリス」

一条真也です。
東京に来ています。20日の夜、ブログ「破戒」で紹介した日本映画を丸の内TOEIで観た後、そのまま銀座から日比谷まで歩いて、TOHOシネマズ日比谷で映画「炎のデス・ポリス」のレイトショーを観ました。「破戒」とは180度違う超B級カルトムービーでしたが、映画というジャンルの幅広さを思い知りました。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「砂漠地帯にポツンと建つ小さな警察署が、一夜にして殺りくの場と化すバイオレンスアクション。孤立無援の警官と3人の悪党たちが、壮絶なバトルを繰り広げる。監督などを手掛けるのは『コンティニュー』などのジョー・カーナハン。『バニシング』などのジェラルド・バトラー、『デス・ショット』などのフランク・グリロをはじめ、アレクシス・ラウダートビー・ハスらが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ある晩、マフィアのボスに命を狙われたテディ(フランク・グリロ)が、暴力事件で砂漠にある警察署に連行される。テディの事件はマフィアから逃れるために起こしたものだったが、マフィアに雇われた殺し屋のボブ(ジェラルド・バトラー)が、泥酔したフリをして向かいの留置所に収監され、テディの命を狙う。新人警官ヴァレリー(アレクシス・ラウダー)の活躍でテディは一旦難を逃れるが、新たな刺客アンソニー(トビー・ハス)が送り込まれる」


「これぞ痛快娯楽アクション映画!」という感じでした。「炎のデス・ポリス」という邦題はB級感がハンパありませんが、原題は「COP SHOP」です。「警察署」という意味ですね。前半は少々カッタルくて眠くなりましたが、後半の疾走感はかなりのものです。もうレビューも糞もないというか、ただただ銃を撃ち合っているシーンを延々と見せられた感じです。こういう映画が娯楽として作られるというのも、アメリカがいかに銃社会なのかが理解できますね。まあ、まさにポップコーンムービーそのものでした。ポップコーンムービーとは、ポップコーンを片手に気楽に鑑賞できるような映画のことです。シリアスな内容が極力含まれない愉快な内容の映画を指します。本格的に映画に集中すると、ポップコーンどころではありませんが、そこまで集中せずに観ることができます。というか、多少シーンを飛ばしたとしても、大筋に影響がない内容なのが、ポップコーンムービーの特徴ですね。


ポップコーンムービーといえば、ブログ「ブラック・フォン」でも紹介しました。「ブラック・フォン」はTOHOシネマズ日比谷の3番シアターで鑑賞。わたしの左横の席は空いていたのですが、上映開始直前に大きなポップコーンのカップを抱えた若い男性が駆け込んできました。「えっ、それを1人で食べるの?」と思うほどのビッグサイズでしたが、彼はずっとそれをボリボリ音を立てて食べていました。じつは、最近、5回ぐらい連続して映画鑑賞の際に左横の席の人が上映開始直前か直後に入ってきて、しかも必ずポップコーンの特大サイズを抱えているという現象が続いています。この日もTOHOシネマズ日比谷の3番シアターだったので嫌な予感がしたのですが、幸い、わたしの左横の席は空いていて、左に2席ぶん離れた女性が小さいサイズのポップコーンを食べていました。ここの3番シアターは変な座席構成になっていて苦手なのですが、この日はゆっくり映画を楽しむことができました!

 

2022年7月22日 一条真也

「破戒」 

一条真也です。
東京に来ています。日中は40度近くあって、ものすごく暑かったです。社外監査役を務める 互助会保証株式会社監査役監査および監査役会を終えた後、わたしは銀座に向かい、丸の内TOEIで日本映画「破戒」を観ました。想像していた通りに重い映画でしたが、「人間尊重」とか「尊厳」ということについて考えさせられました。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「かつて木下恵介監督や市川崑監督により映画化されたこともある島崎藤村の長編小説を、『全員死刑』などの間宮祥太朗主演で映画化。被差別部落出身という自らの出自を隠して生きる小学校教師の葛藤を描く。監督を『発熱天使』などの前田和男、脚本を『孤高のメス』などの加藤正人と『銀のエンゼル』などの木田紀生が担当。共演には『記憶の技法』などの石井杏奈、『ポンチョに夜明けの風はらませて』などの矢本悠馬のほか、高橋和也竹中直人石橋蓮司眞島秀和らが名を連ねる」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
被差別部落出身の瀬川丑松(間宮祥太朗)は、自らの出自を隠し通すよう亡き父から強く戒められており、地元から離れた場所にある小学校の教員職に就く。教師としては生徒に慕われながらも、出自を隠すため誰にも心を許せないことに苦しみ、一方で下宿先の士族出身の女性・志保(石井杏奈)に恋心を寄せていた。やがて、彼の出自について周囲が疑念を抱き始める中、丑松は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(眞島秀和)に心酔していく」


この映画、ネットでの評価が非常に高いのですが、そのわりに上映館が少ないです。やはり差別をテーマにしているので重いですが、主演の間宮祥太朗がアイドル的というか、容姿端麗で爽やかな印象ですが、ちょっとこの重い映画にそぐわないのではないかと思いました。差別の描き方も、冒頭で被差別部落出身の金持ち(石橋蓮司)が正体がばれて宿から叩き出される場面こそ酷いものでしたが、全体的にソフトです。「明治時代の部落差別はあんな優しいもんじゃないだろう」と思った人は多いはずです。最後に教師である丑松が生徒たちの前で出自を告白し懺悔する場面も違和感がありますが、生徒たちが「そんなことは関係ない。先生は先生だ」と丑松を慕い、最後は「二十四の瞳」や「3年B組金八先生」みたいになったのも「現実はそんなに甘くないだろう」と思ってしまいます。


士族出身の女性・志保を演じた石井杏奈は良かったです。E-GIRLSで踊っていた頃は派手なイメージがありましたが、着物姿で髪を結うと一気に地味な印象になりますね。本物の明治の女性のようで、良かったです。明治の女性といえば、東京から来た尋常小学校の教員が蓮華寺で女性たちから「東京の話を聴かせて下さい」とせがまれるシーンがあります。彼は「東京では、さまざまな新しい流れが起こっていますが、中でも、女性の社会進出が特筆すべきことです。これから、日本の女性は参政権も得て、男性に負けずにどんどん社会で活躍していくことでしょう」と述べます。しかし、それから100年以上経過しても、日本のジェンダー・ギャップは解決しておらず、先進国中で最下位という不名誉な現状となっています。もちろん部落差別や人種差別は言語道断ですが、まだまだ日本では女性差別が残っているように思います。いくら環境問題だけを改善しても、ジェンダー・ギャップを解決しなければ、「SDGs」は果たされないと知る必要があります。

 

破戒 (新潮文庫)

破戒 (新潮文庫)

Amazon

 

わたしが生まれ育った北九州市同和教育が盛んな土地で、公立だった小学校でも私立だった中学校でも部落差別についての教育を受けました。『破戒』の原作は中学時代に読みましたが、あまりストーリーを記憶していません。ドストエフスキーの『罪と罰』に構成が似ていると刊行当時から言われていたそうですが、わたしはドストエフスキーは好きでしたが、『破戒』と『罪と罰』が似ているとはあまり思いませんでしたね。日本近代文学の研究者で学習院大学名誉教授の十川信介は、ユダヤ人問題を扱ったジョージ・エリオットの『ダニエル・デロンダ』との関連を示唆しています。確かに、物語の冒頭で金持ちの被差別部落出身が宿を追い出される場面などはユダヤ人問題を連想させます。黒人差別などと違って、外見からはわからないユダヤ人差別は部落差別に通じるのかもしれません。


それにしても、部落差別が厳然として残っていた時代に『破戒』を書いた島崎藤村の勇気は驚くべきものです。文豪として名高い藤村は、1872年(明治5年)に生まれ、1943年(昭和18年)に亡くなりました。本名は島崎春樹。出身地は、信州木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)です。『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となりました。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父である島崎正樹をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがあります。


自費出版された『破戒』は、1913年、高額(当時の2000円)で新潮社が買い取り出版しました。その内容を夏目漱石が絶賛したといいます。次に出版されたのは、ちょうど100年前の1922年で、『藤村全集』第3巻(藤村全集刊行会)に収録されました。藤村は巻末に「可精しく訂正」したとしていますが、実際には多少の語句の入れ替えを行ったのみでした。1929年には、『現代長編小説全集』第6巻(新潮社)の「島崎藤村篇」で「破戒」が収録されました。ここでは、藤村はこの作品を「過去の物語」としました。これは当時、全国水平社が部落解放運動を展開し、差別的な言動を廃絶しようとする動きがあったことを意識したようです。これも一部の組織から圧せられて、やがて絶版になったといいます。


水平社は後に言論の圧迫を批判し、『破戒』に対しても「進歩的啓発の効果」があげられるとして評価しています。そして1938年に、「『破戒』の再版の支持」を採択しました。こうして翌年『定本藤村文庫』第10篇に「破戒」が収録されましたが、藤村はその際に一部差別語などを言い換えたり、削除しています。これを部落解放全国委員会が、呼び方を変えても差別は変わらないとして批判しました。1953年、『現代日本文学全集』第8巻(筑摩書房)の「島崎藤村集」に、初版を底本にした「破戒」が収録されました。委員会は、筑摩書房の部落問題に悩む人々への配慮のなさを指摘し、声明文を発表。1954年に刊行された新潮文庫版『破戒』も、1971年の第59刷から初版本を底本に変更しています。ちなみに、このたび映画化された「破戒」は水平社創立1100周年記念作品となっています。


島崎藤村の名作「破戒」が映画化されたのは今回が3回目で、これまでに1948年に木下恵介監督、1962年に市川崑監督がメガホンを取っています。いずれも日本映画史を代表する監督で、映画も高い評価を得ました。前2作に比べると、今回の「破戒」は明るいというか、軽い印象もありますが、ネットでこれだけの高評価を得ているということは、格差社会の閉塞感の中でこの映画を求めている人が多いのでしょう。


今回の映画「破戒」のラストシーン近くで、丑松が生徒たちに「どんなに辛い境遇であっても勉強すれば、道は開ける。あきらめずに勉強だけはやりなさい」と訴えるシーンには感動しました。確かに、運命を拓くには学ぶしかないのは真実でしょう。ただ、兄が戦死した男子生徒が泣いているときに「歯を喰い縛って耐えろ!」と言うシーンには違和感をおぼえました。もちろん軍国主義という時代性もあったでしょうが、グリーフケア的には悲しいときは我慢せずに泣くことが大切だからです。

 

2022年7月21日 一条真也

第7波の東京へ! 

一条真也です。
20日、わたしは北九州空港に向かいました。そこから、JAL373便に乗って東京に出張です。東京は新型コロナウイルスの感染者が急増し、現在は「第7波」に入ったと言われています。なにしろ3連休とも1万人を超え、今週には2万3000人超になると予測されています。

北九州空港の前で

北九州空港のようす

いつも見送り、ありがとう💛

それでは、行ってきます💛

 

今回の東京行きは、社外監査役を務める互助会保証株式会社監査役監査および監査役会への参加、副理事長を務める一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の第1回経営会議および懇親会への参加、さらには上智大学グリーフケア研究所の新所長との面談および打ち合わせ、新たに座長を拝命したグリーフケア委員会の会議への参加など、盛りだくさんです。

JAL374便の機内で

 

今日はスターフライヤーではなく、10時15分発のJAL374便に搭乗。乗客率は8割から9割ぐらいといった感じでしょうか。この日のわたしは、ポケットチーフ&不織布マスクをスカイブルーのコーディネート。クールビズなのでネクタイはしていません。ブログ「マスクを楽しむ!」のように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機に乗るときは、必ず不織布マスクを着用します。

機内では読書しました

 

機内では、いつものようにコーヒーを飲みながら読書をしました。この日は、現在ベストセラーになっている『22世紀の民主主義』成田悠輔著(SB新書)を読みました。著者は、夜はアメリカでイェール大学助教授、昼は日本で半熟仮想株式会社代表。専門は、データ・アルゴリズム・ポエムを使ったビジネスと公共政策の想像とデザイン。ウェブビジネスから教育・医療政策まで幅広い社会課題解決に取り組み、企業や自治体と共同研究・事業を行うとか。東京大学卒業(最優等卒業論文に与えられる大内兵衛賞受賞)、マサチューセッツ工科大学(MIT)にてPh.D.取得。一橋大学客員准教授、スタンフォード大学客員助教授、東京大学招聘研究員、独立行政法人経済産業研究所客員研究員 などを兼歴任。内閣総理大臣賞・オープンイノベーション大賞という気鋭の経済学者・データ科学者です。著者は、「断言する。若者が選挙に行って『政治参加』したくらいでは日本は何も変わらない。これは冷笑ではない。もっと大事なことに目を向けようという呼びかけだ。何がもっと大事なのか?  選挙や政治、そして民主主義というゲームのルール自体をどう作り変えるか考えることだ。ゲームのルールを変えること、つまり革命である」と述べます。アマゾンには「22世紀に向けて読むと社会の見え方が変わる唯一無二の一冊」と紹介されていますが、新しい民主主義の構築への具体的アイデアに富んでおり、なかなか面白かったです。

羽田空港に到着(送迎バス内で)

さあ、行動開始です!

 

11時55分に羽田空港に到着すると、気温は34度。やはり暑いです。いつもは羽田到着後は行きつけのラーメン店に入って昼食を取るのですが、この日は13時から互助会保証株式会社の監査役監査があるため、急いで赤坂見附の定宿に向かいました。猛暑の中を連日のハードスケジュールが続きますが、利他の精神で頑張ります!


2022年7月20日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「学」です。

 

 

かつて、マネジメントの世界で「ラーニング・オーガニゼーション」という言葉が流行しました。「ラーニング・オーガニゼーション」とは「学習する組織」と言う意味で、イノベーションを巻き起こすための「学習する組織」のこと。マサチューセッツ工科大学(MIT)経営学部教授のピーター・センゲの主唱する経営コンセプトです。



今日、世界はますます複雑になり、ビジネス環境は日々変容し、私たちの仕事はかつてなく「学習」が求められるものとなりました。これまでのマネジメントの枠組みはもはや通用しません。センゲの『学習する組織』は、企業、学校、地域コミュニティ、社会課題など、さまざまな実践事例を踏まえて大幅に加筆修正されており、いま個人・企業・社会に求められる真の「変革」とは何かを私たちに問いかけます。



「学習する組織」とは、目的に向けて効果的に行動するために
、集団としての「意識」と「能力」を 継続的に高め、
伸ばし続ける組織です。「学習する組織」を構築するためには、5つの要素が必要です。すなわち、1、システム思考。2、個人の視野を明確にする自己マスタリー。3、固定化されたイメージであるメンタル・モデルの克服。4、共有ビジョンの学習。5、チーム学習。この5つの要素はばらばらに展開するのではなく、システム思考によって各要素が統合されます。こうして全体がまとまり、一貫した理論と実践の総体がつくられるのです。



「ビジネスウィーク」誌では、この「ラーニング・オーガニゼーション」を「リエンジニアリング」「コア・コンピタンス」とともに三大経営コンセプトとして紹介しており、多くの欧米企業のトップが重視してきました。わたしも、センゲの著書『最強組織の法則』を一読してから「ラーニング・オーガニゼーション」という言葉に取りつかれた1人です。

わが社は、業界で初めてTQCを導入したり、やはり業界初でISO9011を取得したり、1級葬祭ディレクターの人数で国内トップクラスになったりと、もともと学習志向の強い会社でしたが、それは何よりもホスピタリティ企業として高品質のサービス、お客様の心にひびくサービスの提供を究極の目的としているからです。けっして、伊達や酔狂で学習しているわけではありません。最近では、資格認定制度が2021年より開始されたグリーフケア士の人数で国内トップになりました。

 

 

「何のために学ぶのか」という問題について、安岡正篤は「人間学」というものを提唱しています。彼は、広い意味において道徳的学問・人格学、これを総括して人間学というならば、この人間学が盛んにならなければ本当の文化は起こらず、民族も国家も栄えないと述べています。それによれば、学問というものを分類すると、3つに分けることができます。1つは「知識の学問」です。これは今日の学問を代表するものと言ってよいでしょうが、知識の学問のみが学問ではなく、学問にはもっと根本的性質の区別があります。

 

 

それは「智慧の学問」というべきものです。「知識の学問」と「智慧の学問」ではまったく違います。「知識の学問」は、わたしたちの理解力・記憶力・判断力・推理力など、つまり悟性の働きによって誰にも一通りできるものです。子どもでもできる、大人でもできる、善人もできる、悪人もできる。程度の差こそあれ、誰でもできる。その意味では機械的な能力だが、しかしそういうものではなく、もっと経験を積み、思索や反省を重ねて、わたしたちの人間としての体験の中からにじみ出てくるもっと直観的で人格的な学問を「智慧の学問」と呼ぶのです。ですから、「知識の学問」より「智慧の学問」になるほど、生活的・精神的・人格的になってくるのです。

 

 

それを深めると、普通では容易に考えられない徳に根ざした、徳の表れである「徳慧の学問」になります。これは「聖賢の学」であり、安岡の言う「活学」にも通じるものです。安岡は陽明学者として、知識よりも実行を重んじ、その理想を孔子に求めました。孔子の学問というものは、もっぱらこれを身体で実行するにあります。ですから、門人の質問する1つひとつの条目はみんな自分の為さんとするところを挙げて質問しています。知識の問題ではなく、実行の問題です。ですから、孔子の答も各人によって異なり、たいていはみな偏を矯め、弊を救い、裁縫するように長所をたち、短所を補い、以てこれを正に帰すだけです。例えば、患者の症状に応じて、名医が薬を調合するようなものだと言えるでしょう。

 

 

そして、安岡の学問に取り組む基本姿勢として、知識、見識、胆識があります。知識とは情報量のことで、理解力と記憶力があれば、誰でも身につけることができます。本を読んだり、見たり聞いたりすれば、知識を増やすことができ、いわば大脳皮質の作用です。ところが、これだけでは実行につながりません。頭の中の知識は、鍛錬を通じ、見識となっていきます。大切なことは、自己鍛錬を通して判断力が育つことです。知識に自ずからその人の人格がにじみ出て、一種の気品が生まれてきます。行動に清々しさが出てくるのです。

 

 

胆識とはさらなる鍛錬によって培われてくる度胸のことで、「あの人は肚(はら)が坐っている」と言われるのと同じことです。困難な事態に直面しても、騒がず、取り乱さず、あらゆる抵抗を排除して、断乎として闘っていく。「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾れ往かん」と『孟子』にある、あの気概です。知識は見識に至り、胆識に至って、初めて現実を変えていくことのできる実行力となるのです。

 

 

「学び」にもいろいろな学び方がありますが、これを大別すれば「人間学」と「職業学」になります。安岡によれば、この2つの学問が車の両輪になって初めて学問と言えるといいます。そして、この2つの学問を修めた人物といえば、松下幸之助でしょう。自らは小学校を4年生で中退した松下でしたが、94歳で無くなる直前、大学を建設する計画が持ち上がりました。松下の夢は、その大学の理事長になるということではなく、自分が第1号の学生になりたいということだったそうです。「まだまだ勉強せんといかんもんが、いっぱいあるわけや。勉強しようと思うんや」と本気で語り、時間割まで考えていたといいます。その学ぶことに対する姿勢と熱意には、ただただ頭が下がるのみです。なお、「学」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2022年7月20日 一条真也

儀式再生に向けて

一条真也です。九州は大雨です。
昨夜もスマホの大雨警報・避難勧告の音が鳴り響いて、眠れませんでした。完全に寝不足ですが、19日の朝、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

神事の最初は一同礼!

月次祭のようす

ソーシャルディスタンス!


玉串奉奠をしました

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

最初は、もちろん一同礼!

最初は佐久間会長の訓話です

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、訓話をしました。会長はまず、先月末で定年退職された松田常務について「47年間よく働いて下さいました。何か新しい人生を歩みなら、ぜひ応援させていただきたいと思っています」と述べました。それから創業時を回想して、全互協の初代会長に弱冠37歳で就任したこと、通産省をはじめとした官僚と交渉してきたこと、『礼を売る男』という本で「1兆円産業をめざす佐久間進」と紹介され、大きな話題になったこと、サンレーグループとして1兆円は達成できなかったが、業界としては早々に達成できたことなどを語りました。

佐久間会長訓話のようす

 

それから佐久間会長は、先日の全国葬祭責任者会議で行われた大阪大学名誉教授で中国哲学者の加地伸行先生の講演内容について言及しました。「加地先生は宗教としての儒教を強調しておられましたが、わたしはこれまで儒教には倫理・道徳のイメージが強かったです。わたしにとっての日本人の宗教といえば、やはり聖徳太子に遡る気がします」と述べ、佐久間会長は「聖徳太子神道儒教・仏教の共生戦略は素晴らしいですが、『わたしの信仰』を一言でいえば太陽信仰です!」と訴えました。そして、二見ヶ浦、仁右衛門島、久高島などの太陽の名所に言及し、最後に皇産霊神社がある門司の青浜の名を挙げました。さらには、古代エジプトの太陽神について詳しく語り、太陽信仰が人類の普遍信仰であることを説きました。

ロイヤルブルーのマスク姿で登壇


途中で、マスクを外しました

 

続いて、わたしがロイヤルブルーのマスク姿で登壇しました。まず、「17日の日曜日、JR小倉駅前にある西日本総合展示場で、「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」が盛大に開催されました。例年は11月なのですが、今年は真夏の7月開催。社長のわたしも、来賓として参加しました。わが社が長年企画を温めていたビッグイベントで、念願かなって、ついに一昨年初めて開催されました。参加人員は42チーム、210名(20級以上の方で19路盤で碁が打てる方によって勝敗が競われます。昨年が28チーム、140名でしたので、大変な躍進です。しかも、参加希望チームが多過ぎて4チーム20名の方々が涙を飲んだそうです。これまで北九州の囲碁イベントはゼンリンやTOTOといった企業が冠イベントを開催してきた歴史がありますが、紆余曲折を経て、わが サンレー囲碁大会の顔になることができ、感無量です。


わが社の囲碁大会について

 

わたしは、もともと囲碁は高齢者に向いたグランドカルチャー(老福文化)であると思っているのですが、そのことをお話しすると、SUNRAYを意味する陽光という名前の武宮六段は「まさに、そうだと思います。将棋に比べて、囲碁は負けたときの敗北感が少ないと言われています。その点、将棋の方が勝負論が強いのかもしれません」と言われました。なるほど、将棋は勝敗が一目瞭然ですが、囲碁は(黒白の石を打ちながら)白黒をはっきりとつけません。ストレスの少ない、優しい競技なのです。この日は、わが社の元取締役で、囲碁の達人として知られる朝妻貞雄さんも参加しておられました。


グランドカルチャーで碁縁を!

 

開会式の来賓挨拶で、わたしは「囲碁は、仏教の伝来と共に日本に伝わり、長きにわたり親しまれている日本の伝統文化であるとともに、長年の経験を積むことによる『老成』や『老熟』が何より物をいう文化とも言われています。わたしは、こういった文化を総称して『グランドカルチャー』とよび、八幡西区のサンレーグランドホールという施設を高齢者複合施設として位置づけカルチャー教室などを通して実践しています。いま、日本は人生100年時代を迎えています。重厚なグランドカルチャーの世界に触れて、これからの長い人生を豊かに過ごしていただくことが、老いるに幸福と書いて、『老福』という、充実した人生を過ごす一つの手段になると思っています。ちなみに、本日参加の最年長の方は94歳だそうです。競技としては勝敗も大事ですが、老若男女の皆様方に、本日の大会を通じて囲碁仲間やご友人を作っていただき、人生をこれまで以上に豊かにしていただけましたら何よりです。そう、『碁縁』という御縁がたくさん生まれますように!」と挨拶。すると、大きな拍手が起こって感激しました。


亡くなられた安倍元首相について

 

それから、15日に開催されたサンレーグループの全国葬祭責任者会議の話をしました。今回は、特別講師として、大阪大学名誉教授で中国哲学者である加地伸行先生をお招きし、小倉紫雲閣の大ホールで講演をしていただきました。責任者会議は13時45分から開始されましたが、14時40分、小倉紫雲閣の大ホールで、今月8日に逝去された安倍晋三元首相の死を悼んで、1分間の黙祷を行いました。その後、わたしが登壇し、「安倍元首相が凶弾に倒れました。謹んで、御冥福をお祈りいたします。犯人の背景にあった宗教問題にも心が痛みますが、憲政史上最長の政権を続けた偉大な政治家があんなにあっけなく世を去るとは、わたしもショックでした」と述べました。


安倍元首相の戒名には「紫雲」が!

 

12日には安倍元首相の通夜が、13日には葬儀が行われ、友人代表として麻生太郎氏が弔辞を読まれました。その内容は感動的なものでした。混乱と悲嘆の中にあった遺族や国民も、まず弔い、悼むことで心はひとまず落ち着きました。葬儀の重要性というものを思い知らされたように思います。秋に安倍元首相の国葬日本武道館で開かれることが決まったようで、本当に良かったです。やはり、偉大な政治家には家族葬よりも国葬がふさわしい。わたしの結婚披露宴にご参列いただいたり、生前は大変お世話になった安倍元首相ですが、その戒名に「紫雲」の文字が入っていることを知り、改めて御縁を感じた次第です。


『葬式消滅』について

 

加地先生の講演の後、わたしが1時間話しました。最初に一同礼をした後で登壇したわたしは、宗教学者島田裕巳氏の最新刊『葬式消滅』の内容を紹介しながら、その疑問点を指摘し、反論していきました。同書のアマゾンの内容紹介には、「自然葬、海洋葬を実際に行ない、葬送の自由を進めてきた著者が、現在、そしてこれからの葬儀のカタチを紹介。直葬などの登場でお葬式はますます簡素で小さくなってきました。見送る遺族はお骨を持ち帰らないという葬儀もいよいよ出現。高額な戒名も不要、お墓も不要となってきた新しい時代のお見送りの作法や供養の方法などこれからの時代を見据えた情報を宗教学者が教えます」と書かれています。

島田氏との関係について説明しました

 

わたしは、2010年に、島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』への反論書として『葬式は必要!』を書き、5年後の2015年には島田氏の『0葬』への反論書として『永遠葬』を執筆しました。さらに、その1年後、島田氏と対談し、その内容をまとめた『葬式に迷う日本人』(三五館)を出版しました。宗教哲学者の鎌田東二先生をはじめ、何人からの方々から『葬式消滅』に対抗して今度は『葬式復活』を書いてほしい」と言われましたが、わたしとしては、加地先生との対談本である『論語と冠婚葬祭』が島田氏への最終回答であると考えています。


「輪廻転生」から「極楽浄土」へ

 

『葬式消滅』では、インド仏教の中から浄土という考え方が生まれながらも、極楽浄土に生まれ変わるという信仰が強調されるようになったのは仏教が中国に取り入れられて以降であることが指摘されます。仏教を取り入れた中国人たちは、輪廻転生が繰り返されるという考え方を受け容れませんでした。それは仏教の核心にあるものを否定したことになります。中国で仏教は大きく変容したとして、島田氏は「その変容のなかから浄土教信仰が生まれるのですが、そこには、中国の土着の宗教である儒教が影響を与えました。儒教では、孝の観念を強調します。親孝行の孝です。子どもは親のために尽くさなければならないというわけです。したがって、親が亡くなったときには、喪に服すことになります。その期間はかなりの長さに及びます。喪の期間に生活を慎むことで、善を積み、それが先祖の霊を慰めることに通じるというわけです」と述べています。これも、その通りです。

熱心に聴く人びと

 

仏教は儒教の「孝」の考え方を取り入れて、追善供養というやり方を編み出しました。追善供養の代表が、故人の命日に行われる年忌法要です。その際には法事を行い、先祖の供養を任せている菩提寺に布施をします。これによって、亡くなった先祖は極楽往生を果たすことができるとされました。島田氏は、「こうした考え方が日本にも浸透することで、『葬式仏教』の体制が確立されることとなりました。法要がくり返されることで、先祖は極楽往生を果たすことができるとされました。一方、法要で布施をする子孫の方は、徳を積んだことになり、それは自分が死んで極楽往生を果たす際には、意味を持つと考えられるようになりました。そして、寺の方は、安定的な収入源を確保することが可能になりました。檀家が追善供養をくり返してくれれば、そのたびに布施が収入として入ってくるからです。先祖も子孫も、そして寺も、これで満足できる。そのような体制が確立されたことで、仏教は庶民の間にも深く浸透していきました」と述べます。


寺請制度で葬式仏教が確立

 

「永く残り続ける寺と檀家の関係」では、こうした体制は近世になり、村社会が生まれることで成立したとし、そこには江戸時代に生まれた寺請制度の強い影響があったと指摘します。寺請制度は、最初はキリシタンを禁制としたことで生まれましたが、やがて全体に広げられ、どの家も地域の菩提寺の檀家になることが強制されました。その寺請制度は明治に時代が変わることによっては言師されます。しかし、寺と檀家との関係は継続されました。先祖のすみやかな成仏を実現するのは、法要をくり返す必要があるという考え方がすでに浸透してしまっていたからです。「仏教の葬式はどのように変化したのか?」では、道元の開いた曹洞宗南北朝時代から室町時代にかけて異常とも思えるほどの発展を遂げ、葬式にも関与するようになったことを紹介します。


葬式仏教の本質は儒教だった!

 

曹洞宗の「禅苑清規」には禅宗の僧侶の葬式をどのように行うかという方法が記されていますが、儒教の儀式について記した「儀礼」や「開元礼」をもとにしたものでした。島田氏は「したがって、そのままだと仏教の儀式にはならず、儒教の儀式になってしまうので、それぞれの場面で、仏法の道理について述べた法語を読むことになります。故人の戒名を記した位牌も、儒教の影響を受けて成立したものです。曹洞宗の葬式を作り上げる上で、儒教の影響はとても大きいのです。それも、仏教には葬式のやり方がなかったからで、儒教から借りてくるしかなかったのです」と述べます。これは、まさに『論語と冠婚葬祭』の内容と一致しています。そう、日本の葬式の本質とは仏教ではなく、儒教なのです!


曹洞宗が発明した葬式仏教

 

曹洞宗の開拓した葬式のやり方は、他の宗派にも取り入れられていきました。同じ禅宗である臨済宗をはじめ、天台宗真言宗、浄土宗などです。しかし、浄土真宗日蓮宗は取り入れませんでした。浄土真宗日蓮宗は「戒名」という言葉も使わず、「法名」や「法号」と言います。葬式が死者の供養のために行われるようになったのであれば、それは信仰上大きな意味を持ったことになります。ところが、そうではなく、宗派の経営のために導入されたと指摘し、著者は「ほかの宗派がそれを採用したのも、葬式を担うことが、金銭を稼ぎ出す手段としてもっとも有効だと判断されたからでしょう。浄土真宗でも日蓮宗でも、形式は異なりますが、葬式を担ってきたという点ではおなじです」と述べ、さらには「葬式が消滅にむかってきたのも、結局は、葬式がもともとビジネスとしてはじまったからではないでしょうか。そして、ビジネスとしての価値がなくなれば、それは自然とすたれていくことになるのです」と述べるのでした。

コミュニティホール戦略について

 

第三章「お弔いが葬儀社異存になった理由」の「かつて葬送とはどんなものだったのか」では、日本の葬式の歴史のエポック・エーキング的な出来事となったセレモニーホールの誕生について言及します。そこで、なんと島田氏は小倉紫雲閣を「日本最初のセレモニーホール」と認めているのです。大変嬉しいことですが、島田氏は「セレモニーホールは、家族にとっては馴染のない場所で、そのときはじめて足を踏み入れたかもしれません。慣れない場所で慣れないことをするというのは相当なプレッシャーです。それに、参列者に失礼になってはいけないというプレッシャーもかかります。現在では、そのあたりの感覚は相当に薄れてきましたが、以前は、葬式では世間体ということがやかましく言われました」とも述べています。小倉紫雲閣はセレモニーホールの原点でありながら、災害避難所などを含めたコミュニティーホールとしての革新性を併せ持っています。けっして「馴染のない」「そのときはじめて足を踏み入れた」場所にはするつもりはありません。わが社は、これからも冠婚葬祭互助会の「初期設定」を大切にしつつ、「アップデート」を図っていく所存です。


熱心に聴く人びと

 

最後に、島田氏は「仏教の根本は、悟りということにあります」として、「これからの仏教は、ふたたび釈迦の悟りとは何かを問うものになっていくのではないでしょうか。もし仏教が、そちらにむかうのだとしたら、それは、仏教と葬式の関係が切れた成果なのかもしれないのです」と結論を述べます。これは意見まともな意見であるように思えますが、よく考えると、やはり突っ込み所が多いです。仏教がインドで発祥したのは事実ですが、じつは同じ神から生まれたユダヤ教キリスト教イスラム教がまったく別の宗教であるように、インド仏教と中国仏教と日本仏教も別の宗教であると思います。日本人の「こころ」は仏教、儒教、そして神道の三本柱から成り立っていますが、日本における仏教の教えは本来のインド仏教のそれとは少し違っています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきだと考えています。


グリーフケアとしての追善供養

 

『葬式消滅』の中で「追善供養はいらない」とも記されていましたが、グリーフケアにおいては追善供養ももちろん重要な意味を持っています。特に、追善供養の代表である年忌法要の「四十九日」について考えてみましょう。四十九日には、亡くなった方が旅立つための準備だけではなく、愛する人を亡くした人たちが故人を送りだせるようになるための「こころの準備期間」でもあります。幼いわが子を亡くした母親は「あの子を1人であの世にやるのは耐えられない。わたしが付いて行ってあげたい」と思い込んで、後を追っての自死を考える方もいます。しかし、周囲の人たちが「せめて、四十九日までは生きなさい。お母さんが四十九日の法要をきちんと挙げてあげないと、〇〇ちゃんが地獄に行ってしまうよ」と言って、なんとか49日間生きます。すると不思議なことに、少しだけ心が軽くなるのです。そして、「今度は一周忌までは生きよう。あの子の法要をしてあげないと」と思うのです。

日本最大のグリーフケア・システムとは?

 

ある意味で「精神科学」でもある仏教は、死別の悲しみを癒すグリーフケア・テクノロジーとして「四十九日」というものを発明したのかもしれません。亡くなった直後ならショックが大きいけれども、四十九日を迎えた後は、少しは精神状態も落ち着いています。2011年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの被災者の方々が大切な人を亡くしました。その方々は、「四十九日」や「初盆」や「一周忌」などを心の支えとして、歯を食いしばって生きてこられたのです。通夜、告別式、初七日、四十九日・・・・・と続く、日本仏教における一連の死者儀礼の流れにおいて、初盆は1つのクライマックスでもあります。日本における最大のグリーフケア・システムと言ってもよいかもしれません。


「葬式復活」から「儀式再生」へ!

 

現在、グリーフケアの舞台は寺院からセレモニーホールに移行していく流れにありますが、わたしたち冠婚葬祭互助会の役割と使命は非常に大きいと言えます。『葬式消滅』には葬儀に関わる者にとって参考になる知識やデータが満載です。ある意味で、島田氏の極論に反論していく作業の先に、コロナ後の葬儀の地平が拓けてゆくような気がします。葬儀だけではなく、七五三も成人式も結婚式も法事・法要もすべて大切です。儀式は人間の不安な『こころ』を安定させる『かたち』です。そして、目に見えない『縁』と『絆』を目に見せる魔法です。『葬式消滅』から『葬式復活』へ。さらに『儀式再生』のために、利他の精神と高い志を抱いて頑張りましょう!」と言って降壇しました。

最後は、もちろん一同礼!

 

2022年7月19日 一条真也

『和を求めて』

一条真也です。
80冊目の「一条真也による一条本」紹介は、『和を求めて』(三五館)です。「なぜ日本人は平和を愛するのか」というサブタイトルがついています。本書は、2015年10月22日の刊行です。

和を求めて』(三五館)

本書の帯

 

帯には「戦後70年、日本の心が世界を救う」「『和』は大和の『和』であり、平和の『和』である!」と書かれ、和服を着たわたしの写真が使われています。着物は父から譲られた大島ですが、ブログ「『和を求めて』撮影」に書いたように、小倉にある松柏園ホテルの茶室で撮影しました。小笠原流礼法宗家であった故小笠原忠統先生が設計に携わられた由緒ある茶室です。本書は、さまざまなテーマを取り上げながら「日本人とは何か」を追求した内容であり、『礼を求めて』および『慈を求めて』(ともに三五館)の続編です。


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は以下のようになっています。
「はじめに」
歌舞伎・能・花――日本における「いのち」のシンボル
かぐや姫と日本人――「面倒」の中にこそ幸せがある
利休の正体――「茶聖」という白魔術師
富士山――日本人の本質と誇り
桜を愛する日本人――大地の復活を祝う
笑いとは和来である――日本人の根本精神
新しい『冠婚葬祭入門』を!
        ――儀式は「文化の核」である

和の国の和婚――結婚とは結魂
仏教連合会パネルディスカッション
        ――これでいいのか、日本仏教!

天道館の孔子祭――平成の寺子屋として
天皇陛下カチャーシー――長寿祝いを世界に発信
『人間尊重の「かたち」』――礼の実践50年
「終活」から「修活」へ――人生を美しく修める
グラウンド・ゼロ――永遠のモニュメント
火山列島に生きる――噴火の脅威、温泉の恵み
古事記――天と地といのちの架け橋
空海の言葉――超天才の思想に学ぶ
永遠の知的生活――人は死ぬまで学び続ける
除夜の鐘を聴きながら――さよなら三角また来て四角
「ハートフル」と「礼」――心ゆたかな生き方
「日本人とは何か」を求めて――国学から日本民俗学
大相撲と大和魂――「こころ」を「かたち」にした土俵
白鵬横綱の品格――美しき神事としての相撲
「おもてなし」とは何か
         ――こころのジパングを目指そう!

安倍昭恵氏の平和への想い――世界平和パゴダの可能性
京都で平和について考えた――礼は究極の平和思想
北陸新幹線で金沢へ――日本を代表する「もてなし文化」
沖縄復帰で無縁社会を克服――守礼之邦は有縁社会
開創1200年の高野山へ――宗教都市のおもてなし
世界平和パゴダ戦没者慰霊祭
         ――すべての戦没者の冥福を祈る

世界同時開催「隣人祭り
         ――無縁社会を乗り越える第一歩

大いなる「永遠葬」の世界
         ――葬儀は「不死」のセレモニー

「唯葬論」とは何か
  ――問われるべきは「死」ではなく「葬」である!

和の世界遺産――和食・和紙、そして「結び」
終戦70年に思う――「カミ文明圏」と「和の文化」
「おわりに」

礼を求めて』と『慈を求めて

 

和を求めて』は、『礼を求めて』および『慈を求めて』の続編です。わたしは日本人の「こころ」は神道・仏教・儒教の三つの宗教によって支えられていると思っています。「礼」は儒教の、「慈」は仏教の、そして「和」は神道の核心をなすコンセプトです。


「礼」「慈」「和」が3冊並ぶと壮観です!

 

「和」といえば、「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の言葉が思い浮かびます。内外の学問に通じていた太子は、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立しました。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞は「和国の教主」と呼んだことはよく知られます。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありませんでした。神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたのです。

神仏儒ハンカチセット」とともに

 

聖徳太子は、宗教における偉大な編集者でした。
儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・三つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。この聖徳太子の宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭など、さまざまな形で開花していきました。


西日本新聞」2015年12月5日朝刊

「ふくおか経済」2015年12月号

 

「和」は大和の「和」であり、平和の「和」です。
終戦70年を迎えた年に上梓した『和を求めて』には「日本」と「平和」をテーマにした文章を集めました。本書を読まれたみなさんに、日本文化の素晴らしさと平和の尊さを知っていただきたいと思いました。本書は、前作の『礼を求めて』『慈を求めて』と同じく、冠婚葬祭サイトの「風のあしあと」への毎月2回の連載コラムに加えて、2015年4月からスタートした産経新聞デジタルの「終活WEB『ソナエ』」への毎月2回の連載コラムを収録しました。連載コラムの本書への転載を快く認めてくださった関係者の方々をはじめ、素敵な本を作っていただいた三五館の皆様には感謝しています。

 



2022年7月19日 一条真也