俺がやらねば誰がやる?

 

一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「俺がやらねば誰がやる?」です。

広島で『死者とともに生きる』を持つ

長崎で『死者とともに生きる』を持つ


ずいぶん秋めいてきましたが、今年の夏は「死者とともに生きた夏」でした。上皇陛下は6月23日の「沖縄慰霊の日」、8月6日の「広島原爆の日」、8月9日の「長崎原爆の日」、8月15日の「終戦の日」を日本人として決して忘れてはならない日と述べておられます。ブログ「ひめゆりの塔」ブログ「沖縄平和祈念公園」ブログ「沖縄全戦没者追悼式前夜祭」ブログ「広島で祈る」ブログ「長崎で祈る」で紹介したように、わたしは沖縄・広島・長崎を訪れ、祈りを捧げることができました。「終戦の日」だけは父の初盆があったため、残念ながら東京に行けませんでした。それらの日についての想いは8月5日に上梓した最新刊死者とともに生きる産経新聞出版)に詳しく書きました。魂を込めて書きました。


「かまたまつり」の葬儀委員長として奉辞を読む

鎌田先生、お見事な人生でございました!

2025年9月13日、京都府亀岡の「大本みろく会館」で、わたしが葬儀委員長を務める鎌田東二百日祭「かまたまつり」が開催されました。わたしが敬愛してやまない出口王仁三郎聖師の教えを守る総本山において、わが「魂の義兄弟」の百日祭が開かれ、まことに感無量でした。「かまたまつり」は、鎌田先生ご自身が生前に「自分の死後は“かまたまつり”と呼ぶまつりをやってほしい」と語られていた構想を、遺言としてわたしたちに託されたものであります。わたしは鎌田先生より、葬儀委員長の大役を仰せつかりました。わたしは最初に奉辞を読み、「鎌田先生、お見事な人生でございました!」と述べました。


「かまたまつり」で「まつり」を熱唱♪

これが鎌田のまつり~だ~よ~♪

「かまたまつり」のフィナーレでは、鎌田先生が好きだった「まつり」を熱唱。最後の「これが日本のまつり~だ~よ~♪」の歌詞を「これが鎌田のまつり~だ~よ~♪」に替えました。興奮が最高潮に達し、歌い終わって「イエ〜イ!!」と叫ぶと、舞台の左右からジャンボクラッカーが鳴らされました。まさに「狂乱のカーニバル」そのもので、割れんばかりの盛大な拍手が起こりました。歌い終わったわたしは、「鎌田先生、そちらに行ったら、またカラオケ行きましょう! その日まで、オルボワール!」と言いました。1人で「礼楽」を実行した気分でしたが、透明人間になった鎌田先生は喜んで下さったでしょうか?

満月交命 ムーンサルトレター』(現代書林)

 

「かまたまつり」では、参加者全員に満月交命 ムーンサルトレター(現代書林)が配られました。124冊目の一条本ですが、なんと788ページあります。鎌田先生との満月の往復書簡である「シンとトニーのムーンサルトレター」を書籍化したものですが、レターは第240信を数え、20周年を迎えました。同書の最後には、 ブログ『日本人の死生観 Ⅰ 霊性の思想史』ブログ『日本人の死生観 Ⅱ 霊性の個人史』で紹介した鎌田先生の遺作の書評を掲載しました。じつに70000字を超える書評です。240信・20年にわたるレターといい、書評といい、「かまたまつり」の葬儀委員長といい、正直わたしにしか出来なかったと思います。わたしは、「俺がやらねば誰がやる?」の想いでこれらをやり遂げました。

葬式は必要!』(双葉新書) 

 

「俺がやらねば誰がやる?」の精神が最も発動したのは、2010年に葬式は必要!双葉新書)を書いたときです。当時、宗教学者島田裕巳氏が書いた葬式は、要らない幻冬舎新書)がベストセラーになっており、世間には葬式不要論の空気が漂っていました。それが、わたしは気になって仕方がありませんでした。「気になって」というのは、わたしが冠婚葬祭会社を経営しているから気になったのではありません。断じて、営業の妨害になるといった低次元の話ではありません。わたしが同書を書いたのは会社のためでも業界のためでもありません。天地神明に誓って、わたしは日本人のために書きました。

葬式不要論の最強の論客に挑む!(日経電子版より)

 

「葬式は、要らない」などと日本中が本気で思いはじめたら、確実に人間の「いのち」は軽くなり、その尊厳はなくなってゆきます。個人の倫理観は崩壊し、社会の無縁化はいっそう進行します。さらには、葬式をあげない民族も国家もないわけですから、日本人は「人の道」から外れて世界中の笑いものになるでしょう。葬式は必要です。葬式を消滅させる社会であってはなりません。わたしは『葬式は必要!』を20日間で書き上げましたが、そのときに「俺がやらねば誰がやる?」という大きな使命感がありました。その後、島田氏が0葬集英社)を発表すれば永遠葬(現代書林)を、島田氏が葬式消滅(GB)を発表すれば葬式不滅オリーブの木)を短時間で書き上げました。そして、島田氏とは葬式に迷う日本人(三五館)という対談本も上梓しました。


父が作詞した「俺はやるんだ」

 

わたしの「俺がやらねば誰がやる?」の精神は、父である佐久間進から受け継いだように思います。父は冠婚葬祭互助会の全国団体である一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会の初代会長などを務め、小笠原流礼法を振興し、日本で最も早く「ホスピタリティ」や「ウェルビーイング」の重要性を提唱しましたが、そこには常に「俺がやらねば誰がやる?」の想いがありました。その父は俺はやるんだという歌を作詞し、1972(昭和47)年の8月10日にコロムビア・レコードから発売しています。同曲がA面で、B面は冠婚葬祭という歌でした。


父が作詞した「冠婚葬祭」

 

俺はやるんだ」「冠婚葬祭」の2曲は父が「平安太郎」のペンネームで作詞を手掛けました。もともとは都はるみさんが歌う予定でしたが、結局は新人の西来路ひろみさんが歌いました。内容はまさに「世直し」の志を込めた内容で、「ピンチをチャンスに変えるんだ」とか「厭なやつほど声かけて」などのフレーズは今でも心に響きます。また、3番の「公害(ドク)だ交通事故(ジコ)だと明け又暮れる」などの歌詞は素人の作品とは思えず、素敵過ぎます! なお、歌の基本データ&歌詞は以下の通りです。

 

流行歌「俺はやるんだ」
平安太郎:作詞
福島一美:作曲
山田良夫:編曲
西来路ひろみ:歌
コロムビア・オーケストラ

一、嘘が真か 真が嘘か 
   暗い世情の世の中に 
   俺の出番と 人が言う
   ピンチをチャンスに 変えるんだ
   やろうぜドッコイ やらねばならぬ
   生きる為にも やるんだぜ

二、愚痴や不満で 一日過ごす 
   馬鹿な奴等の 多い世に
   俺は忠誠(まこと)に 生きるんだ 
   厭な奴ほど 声かけて
   やろうぜドッコイ やらねばならぬ 
   人の為にも やるんだぜ

三、公害(ドク)だ交通事故(ジコ)だと
   明け又暮れる  
   人の生命の 軽い世に
   今だ男が 奮起(たっ)てこそ 
   明るい世界が 出来るんだ
   やろうぜドッコイ やらねばならぬ 
   社会(せけん)の為にも やるんだぜ
   (演奏時間3分28秒)

『写真でつづるサンレー20年の歩み』より

 

俺はやるんだ」「冠婚葬祭」の2曲は、1972年に小倉市民会館で初めて発表されました。当時の大スターだった霧島のぼる、西来路ひろみなどが歌うコンサートも同時開催され、会場は超満員となりました。「俺はやるんだ」には、なんと振付もありました。レコードジャケットの裏に、写真付きで振付の説明があります。いつか、実際に踊りを見てみたいものです。




「俺はやるんだ」の振り付け説明図

 

西来路ひろみサンは、「俺はやるんだ」を歌った5年後の1977年に「男のみち」というヒット曲を飛ばします。この曲は、なんと映画「空手バカ一代」の主題歌で、「ゴッド・ハンド」こと極真会館大山倍達総裁(故人)と並んだ写真がレコード・ジャケットに収まっています。西来路ひろみサン、今もお元気でしょうか?


映画「空手バカ一代」主題歌🎵

 

2025年9月24日 一条真也