一条真也です。
広島に来ています。今日は80年目の「広島原爆の日」の前日です。世界で初めて核兵器が使用されてから、80年目を迎えました。広島の原爆では、14万人もの方々が即死しました。その事実に改めて心が凍りつく思いです。改めて、犠牲者の方々の御冥福を心よりお祈りいたします。
平和記念式典の会場入口を背に

取材陣も準備をしていました
JR広島駅からタクシーに乗ったわたしは、まずは平和記念公園に向かいました。平和記念公園では、明日6日の「令和7年(2025年)平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)」の準備が進んでいました。明日は席が固定され、自由に写真も撮影できないので、前日の今日、いろいろ撮影しました。それにしても、この炎天下の中での屋外の式典はちょっと危険ではないかと思ってしまいます。高齢者の方などは大丈夫でしょうか?

準備が進む広島平和式典会場にて

式典会場のステージ前で
平和記念公園は、旧太田川(本川)が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置し、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設された都市公園です。この場所は、江戸時代から昭和初期に至るまで広島市の中心的な繁華街でしたが、昭和20年(1945年)8月6日に人類史上初めて落とされた1発の原子爆弾により、一瞬のうちに破壊されました。被爆後、昭和24年(1949年)8月6日に公布された「広島平和記念都市建設法」に基づき、爆心地周辺を恒久平和の象徴の地として整備するため、昭和25年(1950年)から平和記念公園及び施設の建設が進められ、昭和30年(1955年)に完成しました。
原爆死没者慰霊碑の方を向く

数珠を持って祈りました

本日発売の『死者とともに生きる』を持って
公園内には平和の願いを込めて設置された数々のモニュメントがありますが、その中で有名なものに「原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して設立したもので、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪の家型に設計されました。中央の石室には原爆死没者名簿が納められており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する「ヒロシマの心」が刻まれているものです。正直、「過ちは繰返しませぬから」の主語について疑問に感じますが、この日はそんなことは忘れて一心不乱に祈りました。

「祈りの像」

「祈りの像」の前で祈る

炎天下の平和公園を歩く
「平和の灯」を背景に
広島平和記念公園内には、「祈りの像」もあります。側碑によると「子供を抱いた若い夫婦の像」と紹介されており、昭和35年8月15年に建てられています。台座の傍には、「平和を祈り御霊を鎮めん」の詩碑が設置されていました。公園内には、「平和の灯」という火および火台があります。昭和39年(1964年)8月1日建立。建立者は平和の灯建設委員会で、設計は丹下健三。反核と恒久平和実現まで燃やし続けられています。火種は、全国12宗派からの「宗教の火」、全国の工場地帯からの「産業の火」から。その火種の1つに宮島弥山の「消えずの霊火」が用いられています。以降、ずっと消えずに燃えているそうです。この炎は、1994年のアジア競技大会や1985年の夏季ユニバーシアードなど、国内で開催されたいくつかのスポーツイベントで聖火として採火されました。
動員学徒慰霊塔の前で
動員学徒慰霊塔で拝礼する
原爆ドームのすぐ南には、「動員学徒慰霊塔」が建っています。緑に囲まれた公園の1画に建てられた高さ12mの5層の塔です。第二次世界大戦中、労働力の不足を補うための勤労奉仕に動員され戦禍にたおれた学生と、原爆の犠牲者を含めた約1万人の学徒の霊を慰めるために設立された慰霊塔です。塔の下には平和の女神像が、慰霊碑の後ろには動員学徒が働く様子を描いた4枚のレリーフが設置されています。塔の建立は昭和42年(1967年)。現在も毎8月6日に塔の前で原爆追悼式が開かれています。

原爆ドームを背景に
原爆ドームを背景に

原爆ドームに向かって祈る

まるで神殿のような原爆ドームの前で

数珠を持って合掌する

本日発売の『死者とともに生きる』を持つ
それから、最大の反核・平和モニュメントとなっている「原爆ドーム」を訪れました。じつに12年ぶりの訪問です。もともとは広島県の様々な物産を展示するため広島県物産陳列館として開館され、戦時中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていました。国の史跡に指定され、国の特別史跡への指定が答申されています。また、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、広島市への原子爆弾投下による惨状、平和を訴える記念碑として、負の世界遺産の1つとされています。

「原爆の子の像」の前で合掌する

「原爆の子の像」の鐘を鳴らす

集められた千羽鶴

無数の千羽鶴に感動しました
それから、「原爆の子の像」を訪れました。広島平和記念公園内にある、佐々木禎子(像のモデル、原爆による白血病で死去)の幟町中学校の同級生らによる募金運動により作られた像です。制作者は菊池一雄。1958年5月5日完成。1955年11月8日に、新聞で禎子の死を知った男の子から「禎子さんを始め、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と、禎子の同級生に提案があり、その設置に関する活動が始まりました。募金活動の波紋が広がり、全国から3000校以上の学校が参加をするに至り、海外からも寄せられました。そうした事実に基づく映画作品「千羽鶴」(木村荘十二監督)も公開されました。

アイスコーヒーを飲んで一服

再び、黒ネクタイを着用しました

「平和の鐘」の前で合掌

「平和の鐘」を撞きました
礼服に黒ネクタイをして歩いていたら、あまりに暑いので頭がクラクラしてきました。「これは、まずい」と平和カフェに入って涼みました。そこでキンキンに冷えたアイスコーヒーを飲んだ後、再び黒ネクタイを着用しました。それから、「平和の鐘」を訪れました。平和公園内には、毎年8月6日の広島平和記念式典で鳴らされる鐘、平和公園の訪問客用に常設されている鐘、毎朝8時15分に鳴るチャイム、の3つの鐘があります。さらに隣の広島市中央公園内にもあり、爆心地近くに4つ平和の鐘が存在する。また、市内には他にも平和の鐘があります。日本の音風景100選にも選ばれています。年に一度8月6日午前8時15分平和記念式典内で鳴らされる「平和の鐘」は5代目です。1967年香取正彦から寄贈された高さ77cmの鐘で、表面の「平和」の文字は吉田茂の揮毫です。
広島平和記念資料館の前で
広島平和記念資料館のメッセージ
そして、わたしは「広島平和記念資料館」を訪れました。久々の訪問です。広島平和記念都市建設法に基づく平和記念施設で、「平和博物館」とも「原爆資料館」とも呼ばれます。重要文化財である西側の「本館」と、東側の「東館」からなり、観覧は東館から入場し、本館を見学後、東館に戻り退出するコースとなっています。東館には原爆投下までの広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景に関する展示があり、本館では広島原爆の人的・物的被害に関する展示が行われています。
広島平和記念資料館の内部(亡くなった生徒たち)
広島平和記念資料館の内部
広島平和記念資料館の内部
広島平和記念資料館の内部(人影の石)
広島平和記念資料館の内部(魂の叫び)
広島平和記念資料館の内部
広島平和記念資料館の内部
広島平和記念資料館の内部
特に、原爆投下直後の壊滅した広島市街地の縮小模型、熱線で全身の皮膚を焼けただれさせながら炎の中をさまよう被爆者の等身大ジオラマ、被爆死した三人の動員学徒が身に付けていた制服の残骸を組み合わせて一体の人形に仕立てた「三位一体の遺品」や「黒焦げの弁当箱」など被爆死した動員学徒たちの遺品、本通の住友銀行広島支店から1971年に移設された「人影の石」などがよく知られています。これらを観るたびに、わが心は凍りつきます。

展示物を観終えて廊下に出る
ひととおり展示物を観たわたしは、「広島原爆」という人類の愚行のあまりの大きさ、悲惨さに呆然としました。展示物のある暗い空間から明るい廊下に出ると、まるで闇の世界から光の世界へと移行したかのようでした。そして、わたしはブログ「オッペンハイマー」で紹介した原爆開発者の映画を作ったクリストファー・ノーラン監督にもこの平和記念資料館を訪れてほしいと強く思いました。
炎天下 原爆ドーム
前に立ち ただただ祈る
八十年(やそとせ)の夏
庸軒
2025年8月5日 一条真也拝



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