死を乗り超える鎌田東二の言葉

 

死は光源である
鎌田東二

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、宗教哲学者の鎌田東二(1951年~2025年)の言葉です。1951年、徳島県生まれ。京都大学名誉教授であり、わが‟魂の義兄”でした。その魂の兄は、5月30日18時25分、ご自宅で奥様に見守られながら、その偉大な生涯を閉じました。享年74。故人はステージ4のがん患者でありながら、八面六臂の大活躍でした。宗教哲学、日本民俗学国学、神智学、スピリチュアリズム、スピリチュアルケア、グリーフケア、そしてアート・・・「こころ」と「たましい」に関わる、あらゆるジャンルを自由自在に駆け巡った精神世界の巨星でした。

 

 

ブログ『日本人の死生観Ⅱ 霊性の個人史』で紹介した遺作の第一章「死に臨む」の「1、ステージⅣのがんになって『死を光源として即身を生きる』」では、ステージⅣのがんになってから元気になったとして、鎌田東二は「元気が出た。覚悟が定まり、余分なものが削がれて、スッキリしたことは確かだ。生のかたちがシンプルになり、いのちのいぶきに素直になったのだ。だから、ずいぶん楽になったし、ある意味、楽しくなった。というより、たのしいことしかしたくない。私にとって、たのしいことの二大『楽(しい)行動』が比叡山登拝と、『ガン遊詩人・神道ソングライター』として、能の『諸国一見の僧』のように、全国各地を旅して廻り、行脚御祈祷・朗唱歌唱していくことである。後者をやり抜く基礎行として、前者の比叡山登拝=東山修験道(2024年11月25日現在946回)が必要なので、両者の連繋・連結は不可欠である。それが、自分にとって、死を光源として、死を活源として生きることだと思っている」と述べています。


アマゾンより

 

また、死が目の前にあることによって、それによって生のかたちもいのちのいぶきもより鮮明になったそうです。鎌田東二は、「解像度が格段に上がる。ぼんやりしていられない。いつも、『一期一会』という言葉が口を突いて出て来るようになった。これが最後かもしれない、という気持ちがどこかで生まれることによって、今ここのありようがかけがえのないもので、とてもありがたく思えるのである。そして、すべてに感謝したくなる。そんな気持ちにスッと入れる。てらいもなければ、気どりもなしに。ありのままの自分の素でそんな感じにスッとなるのだ。だから、じつに楽である。いろいろと考えもしなければ、思い悩むこともない。なるようになる。なるようにしかならない。おまかせ。そんな気楽な気持ちである」と述べます。

朝日新聞」2023年6月14日(夕刊)

 

「死は光である」では、「死は光である。死は光の元、すなわち、光源である。それは、くっきりと生を、いのちを照らしてくれる。自分の全体ばかりではなく、『在る』、ということの全体を照らしてくれる。なぜなら、死は自分の生と思っているもの、いのちと思っているものが『無い』ものとなる、なくなってしまう、消滅してしまうと思える事態だからである。死ねば無に帰すと思っている人も多い。それに対して、死んだら、肉体を離れて、自由になった霊魂がホンモノの世界に生きることになる、と思っている人もいる。死生観も、一様ではないし、さまざまな考え方、捉え方がある。だが、死生観はさまざまだとしても、死を光源としていのちの輪郭やありようが鮮明になるということは事実である」と述べています。これを読んで、このシンプルにして、深い思想に感銘を受けました。これは後世に残る卓越した死生観であると思います。


 

また、鎌田東二は「死を光源とし、鏡とすることで、生きることが鮮明になり、それによって、より楽しくなったり、より苦しくなったり、よりいとおしく、感謝の思いに包まれたり、その反対に、慚愧の思いにかられ、いてもたってもいられないような不安や恐怖を感じることもある。つまり、死に臨む際の思いもありようもさまざまだということである。そしてそのどれが正しいとか、立派だとかという基準はない(あるという人もいるが)、ということだ。だから、『死に臨む態度』などという決まったガイドラインやマニュアルはないということになる。むしろ、死に逝くすべてのプロセスが『死に臨む態度』で、それに優劣を付ける基準はないのだ」とも述べます。超一流の宗教哲学者が到達した極上の死生観であると思います。

 

 

2025年8月25日  一条真也