一条真也です。冠婚葬祭業界のオピニオン・マガジン「月刊フューネラルビジネス」2月号の特集は「葬祭ビジネスの変遷と今後」ですが、「『常に先行く事業展開』で業界を牽引 北九州の互助会60年の軌跡」として、わが社サンレーの歩みが8ページにわたって紹介されました。
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号の表紙
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号の特集扉
「『常に先行く事業展開』で業界を牽引 北九州の互助会60年の軌跡」のタイトルに続いて、「全国でも最大級の会館激戦地として知られる北九州市を拠点に、九州・沖縄・北陸で冠婚葬祭事業を展開する互助会(株)サンレーが、現在の『会館ビジネスモデル』にもたらしたものとは何か。代表取締役社長である佐久間庸和氏に話を伺った」というリード文があります。
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号
最初に「 激戦地・北九州市の市場環境からみる事業展開の背景」の小見出しで、以下のように書かれています。
「同社における葬祭会館などの変遷を振り返る前に、創業の地である北九州市の市場環境を俯瞰してみてみたい。なぜなら、以降で記す同社の事業展開は、まさにこの市場環境を読み解きながら推移していったものと考えられるからである。 図表1は、国勢調査や推計人口(総務省)、北九州市の市統計年鑑データならびにサンレー提供による同社の会館数、さらに編集部資料などから『北九州市における1会館当たりの人口カバー数』をみたものである。 これによると、2024年における1施設当たりの人口カバー数は、全国平均1万1,293人であるのに対し北九州市は6,985人。実に4,308人もの開きがある。
これはつまり、北九州市がいかに『会館激戦地』であることを物語る数値といえる。 その背景には、北九州市は全国の政令指定都市のなかで最も高齢化率が高い都市(25年の高齢化率は37.8%。市民の2.6人に1人が高齢者)であること。同社が葬祭に関わるあらゆるサービスを集約、かつ複数式場などを有する総合葬祭会館をいち早く開業したことで、自宅葬から会館葬へと施行場所が移行し、これに合わせて他社も葬祭会館の建設を急いだことなどがある。加えて、近年は葬送ニーズに応じた小規模葬専用および直葬対応など小規模施設の増加が相まったことも、その要因の1つにあげることができるだろう。こうしたことから、現在の同社の会館ネットワークはただ闇雲に葬祭会館の建設に着手したのではなく、いかなる時代であってもマーケットインの発想から『次なる時代の葬送のあり方(ハード&ソフト)』を提案してきたからこその結果であると推測できる」
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号
また、「互助会事業を『天命』と感じ 1966年に創設、事業参入」の小見出しで、以下のように書かれています。「1966年11月18日、北九州市小倉区(現・小倉北区)に『北九州市冠婚葬祭互助会』が誕生した。結婚式や葬儀など、人類にとって共通の儀式や文化を研究する民俗学を学んでいたサンレーグループ名誉会長である佐久間進氏(故人/以下、進会長)が、“助け合い、支え合い、譲り合い”という日本民族のなかにある相互扶助・人間尊重という精神と互助会事業を結び付け、それを『天命』と強く感じたことが、創業のきっかけだった。創立時の陣容は、名誉職である理事長に進会長の義父・栗田光十郎氏(故人)を据え、専務理事の進氏のほかは営業職1人と事務職1人。実質3人での船出だった。当時の月掛金は200円(60回)、300円(同)、500円(36回)の3種類。1万2,000円から1万8,000円の掛金を納めれば、挙式から披露宴、記念撮影までができるという(当時とすれば)画期的な内容だったことから大きな注目を集めた。
しかし、『そんなわずかな金額でできるわけがない』といった誹謗中傷などにより、創業半年での会員数はわずか326人。この窮状を打開すべく、翌67年には進会長が名古屋市冠婚葬祭互助会(現名古屋冠婚葬祭互助会)や広島市冠婚葬祭互助会(現ユウベル)などで営業活動を学ぶとともに、『地区相談役制度』や『街頭結婚衣裳展』といった斬新なアイデアを実践。なかでも地区相談役制度は、のちに『北九州方式』と呼ばれるほどの注目を集め、実際、同年9月には会員数は1万人超を達成した。これを機に、施行会社である(株)三福を設立(94年にサンレーと統合)。それまで施行会社をもたなかったため、ときには霊柩車の貸出しを拒否されることもあったようだが、今後の発展を図るうえで、『会員募集と施行が表裏一体となるだけでなく、将来的には“心のこもった”施行サービスが必要になる』と判断した進会長の先見の明が、今日の同社繁栄の礎となる。
順調に会員数を伸ばした同社は、68年3月、創立わずか1年3か月足らずで全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の公認団体となり、69年には北九州市の黒崎と若松に支部を創設。同年末には会員数が10万人を突破するなど急成長を遂げる。70年には隣接する福岡県田川・行橋両市に互助会を設立するなど、その勢いはとどまることを知らず、71年には大分県中津市に中津豊前冠婚葬祭互助会(大分県中津市・現サンレー大分)、金沢市冠婚葬祭互助会(石川県金沢市・現サンレー北陸)を発足するなど、初の県外進出を果たす。さらに、物品仕入れ、不動産、食品仕入れ、写真、司会など、それぞれに長けた関連会社を設立。一気通貫のサービスを提供する体制を構築した」
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号
続いて、「互助会事業の躍進に弾みをつけた発展期」の小見出しで以下のように書かれています。
「72年1月には、総合結婚式場『ウェディングプラザ小倉平安閣』をオープン。奈良時代の正倉院の校倉造りをイメージした地下1階地上3階建て(延床面積3,141㎡)の建物は、それまで施行を外部に委託していた同社にとって初の結婚式場でもあった。 同年6月には、葬祭部門の名称を『紫雲閣』として統一。いまや『紫雲閣』は、同社の会館ブランドとして幅広く認知されている。
翌73年は、冠婚葬祭互助会が一業界として国に認められる年となる。割賦販売法改正による互助会の法制化がそれだ。このとき、進会長は当時の中曽根康弘通産大臣(72~74年)と頻繁に互助会法制化の交渉役を務めていたが、以来2人は昵懇の仲として強い絆で結ばれていく。
当時、互助会は全互連(全国冠婚葬祭互助会連盟)、日冠連(日冠連経営者協議会)、全冠協(全日本冠婚葬祭互助支援協会)という3団体があったが、それらを一本化した全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)が創設された際には進会長が初代会長に就任。通商産業省(現・経済産業省)との法制化交渉、保全コストの低減、消費者保護施策の策定など、互助会業界全体に関わる諸問題の解決にあたっている。割賦販売法に基づく法制化が本格的にスタートした74~77年、北九州市をはじめ福岡・沖縄・大分・石川4県にブライダル施設『平安閣』をつぎつぎにオープンするなど、施設展開を加速させる。78年開設の総合葬祭会館からはじまる成熟期 従来型の『葬儀ビジネス』を変えるきっかけにそうしたなか、78年、8億円が投じられた地下1階地上5階建てで1,000人収容の大式場を有する延床面積5,431㎡の規模を誇る総合葬祭会館『サンレープラザ紫雲閣』(現小倉紫雲閣)が誕生する。この会館こそが同社第1号であり、以降、図表2に示した会館ネットワークを構築していく。
すべては小倉紫雲閣から始まった!
この開業について佐久間社長は、『サンレープラザ紫雲閣は、複数の式場、控室、会食・法要会場、浴室を完備しました。このことが当時の自宅葬に代わる画期的な複合施設として注目を集め、会館建設ラッシュのきっかけになったと分析されています。複合機能を有する葬儀専門施設としては初期の事例であり、現代のワンストップのセレモニー施設の原型となるのではないかと考えられます。その後、核家族化や都市部の住宅事情が激変したことにより、自宅葬が困難になり、“会館葬”が市民権を得るようになっていきました。加えて、90年代の会館建設ラッシュが後の葬祭業の発展へとつながり、互助会においても婚礼型から葬祭型へと比重が変化していく大きな転機となりました』と語る。なお、現社名への名称変更も同年11月のこと。『讃礼(礼儀作法を讃える)』『産霊(新しい儀礼文化を創造する)』『SUN RAY(太陽の光)』という3つの意味が込められている。
続く80年代前半は同社が突き進むべき道筋に突入した時期といえる。同社の互助会事業発祥の地である『松柏園ホテル』の新築建替え(80年3月)にはじまり、大分県湯布院町(現由布市)や福岡県飯塚市などに大型ホテルを開業したほか、84年には石川県金沢市に『金沢紫雲閣』を、北九州市八幡東区に『戸畑枝光紫雲閣』、福岡県福間町(現福津市)に『宗像紫雲閣』を矢継ぎ早に開設。冠婚葬祭事業を基軸に、人生の通過儀礼すべてにわたって施行の輪を広げる『トータルライフサービス産業』への転換が具現化されていった5年間だった。80年代後半は、同社の成熟期に位置づけられる。創立20周年を迎えた86年には、グループ最大の『松柏園グランドホテル』をオープン。宿泊機能はもちろん、プール完備のフィットネスクラブ、カルチャーセンターなどからなる健康型複合開発だったが、この着眼点は、まさに昨今話題のWell Being(ウェルビーイング)に通じる。同社はこの頃からすでにその考えに着目し、87年にはその実践に向けた『サンレー21世紀プラン』を提唱していた。葬祭会館では、北九州市若松区に『若松紫雲閣』、石川県金沢市に『泉が丘紫雲閣』を開業する。
90年代は、効率的な運営を図ることでさらなる飛躍を目指す新生サンレーの幕開けといえる時期となった。その象徴が94年の(株)サンレー(互助会部門)と(株)サンレー総合サービス(施行部門)の合併である。葬祭関連のトピックとしては、98年の『生前社葬』があげられる。これは、金沢市内の建設会社社長が、金沢紫雲閣で約200人の参列者のもとで行なったもの。多くのマスコミも取材に駆け付けたことで知られている。ここまでを振り返ると、同社は、サンレープラザ紫雲閣(現小倉紫雲閣)という時代を象徴する大型会館を皮切りに、北九州市を含む県内各地に葬祭会館を開設するとともに、石川・沖縄両県へ進出。現在のサンレーグループの拠点たる基幹店を進出地で展開したうえで、全国展開を見据えた基盤づくりを行なってきたといえる。
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号
続いて、「『会館建設』『高齢者対応』『グリーフケア』の3軸を加速させた第2の創業期」の小見出しでは、以下のように書かれています。
「2001年10月、当時、専務職にあった佐久間庸和氏が社長に就任してから09年までをみると、生活者へのアプローチ策に大きな変化が起きたことがわかる。その背景にあるのは、葬祭会館の普及(建設ラッシュ)などで『会館葬』が広く市民権を得ていったことだ。 同社が見直したのは『イベント』のあり方である。佐久間社長は、『それまでのイベントは会館へ来場いただくこと、つまり、会館葬の浸透が目的でした。いわば、葬祭会館というハード面の訴求が第一だったといえます。しかし、この頃になると、一定層の浸透は図れていました。そこで、当社はいち早く会員様への感謝の気持ちを込めた、喜んでいただけるイベントにシフトチェンジしたのです』と語る。つまり、多様な会館葬の普及とともに、自社ファン=互助会会員向けに高いライフタイムバリューを提供するソフト(サービス)の充実を目指すものという考えと捉えられる。その1つが、高齢社会への対応である。01年4月に発足した『NPO法人ハートウェル21』は、高齢者の憩いの場を提供することが目的。もちろん、同社ではそれ以前から高齢者サポートを展開、その代表例が87年に発足した『サンレーライフ』(サンレーライフ生活協同組合)である。これは、高齢者が会員組織をつくって交流するなか、元気な会員はほかの会員の世話役を買って点数換算する『シルバーバンク』方式を盛り込んだものだ。これにより、『高齢社会に備え、元気で生きがいのある晩年を送る』高齢者サポートが同社の事業軸となっていく。
こうしたサポート事業を最も象徴するのが、04年の『松柏園グランドホテル』のリニューアルによって誕生した『サンレーグランドホテル』と『北九州紫雲閣』(現 サンレーグランドホール)である。ホテルと葬祭会館が一体となったこの開発は、過去に前例のないケースとして各方面で話題になった。さらに、06年には沖縄県浦添市に葬儀施設と高齢者向け施設が融合した『サンレーグランドホール中央紫雲閣』を開設。いずれも、急速な高齢化に伴う社会環境の変化にいち早く対応した施設といえるだろう。
2010~20年は、新規出店の加速とグリーフケア、介護事業への参入など、同社にとっての第2創業期といえる。なかでも、遺族らのグリーフケアをサポートするために発足した『月あかりの会』(2010年)は、翌11年3月11日に発生した『東日本大震災』で何の前触れもなく突然、『人の死』と直面した多くの遺族らの出現により、その後、同社が取り組むサポート事業の中核に位置づけられた。
葬祭会館では、17年10月、北九州市小倉南区に新ブランド『三礼庵』の第1号『くさみ三礼庵』(現・こくら三礼庵)をオープン。葬儀だけを行なうセレモニー施設ではなく、“葬儀も行なう“コミュニティハウスとして位置づけられたもので、従来のコミュニティに代わる新たな仕組みの創出という、社会的課題に取り組んだ意欲的な開発といえる(同ブランドは現在、グループで4店舗展開中)。以降は、コロナ禍を含め多様化する葬送ニーズに対応する会館展開を中心とした動きとなる。
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号
そして、「地域に開かれた『コミュニティホール』としての会館展開」の小見出しで、「以上のように、同社はどの時代にあっても、“常に先行く施設展開”を実践してきたことが容易に理解できる。しかも、その多くが業界内外から注目を集め、結果として全国に同様のビジネスモデルが派生するきっかけとなったといえるだろう。 こうしてみると、同社は社会環境の変化に応じた異業種(特に福祉分野)との複合展開をはじめ、既存会館等のコンバージョン・リニューアル。さらには、家族葬や直葬などの増加に伴う小規模会館の展開とともに、新ブランド『三礼庵』が目指す、新たな葬送空間=コミュニティホールといった多様な用途に使用される施設づくりを先駆けて実行してきたといえる。もちろん、葬送のあり方や供養などへの取組みも見逃せない。たとえば、1986年に開催された『第1回大葬祭博』(小倉紫雲閣)は、葬儀をテーマとするイベントとして当時は全国でも例がなく、いまなお『サンクスフェスタ』として継続開催されている。そのほか、89年には日頃から会員とのコミュニケーションを密にし、役立つ情報を届けることを目的とした『エリアコミューター』制度を導入」と書かれています。
「月刊フューネラルビジネス」2026年2月号
2004年には『サンレーグランドホテル』(現サンレーグランドホテル)で、亡くなられた方の魂をレーザー光線で月に直接送り届ける『月への送魂』を行なった。08年には『隣人祭り』(サンレーグランドホテル)、14年には『笑いの会』として地域住民が気軽に集まれる機会を毎月開催し、累計120回を超えるロングランとなるなど、すべての時代において、希薄化する供養のあり方や地域コミュニティに対応すべく、さまざまなイベントなどを開催することで、先に記した地域の『コミュニティホール』たるポジショニングを確立している。また、19年には北九州市との災害時支援協定を締結し、小倉紫雲閣・北九州紫雲閣が指定避難所に、21年には社会貢献活動として『児童養護施設入所者に振袖を無償レンタル』するとともに、『温泉で子ども食堂』を開催するなど、地域に開かれた事業を数多く手がけている。佐久間社長は、『当社は今年創業60周年を迎えますが、今後も、マーケットニーズをいち早く取り入れ、かつ対応していくことで、地域になくてはならない存在としてあり続けることが大切だと感じています。当社が掲げる最大のミッションは“人間尊重”であり、“冠婚葬祭を通してよい人間関係づくりをお手伝いする”ことですが、このミッションは今後も継続してまいります。葬祭会館については、基幹店の近隣に中規模会館をサテライト会館として開業するドミナント戦略でシェア拡大を目指します。“葬儀だけを行なう施設ではなく、地域に開かれたコミュニティホール”としての役割を推進し、60周年のアニバーサリーイヤーである今年中に100会館までネットワークを拡大すべく、邁進していく所存です』と力強く言葉を結んだ」
これからも前進します!
*よろしければ、佐久間庸和ブログもお読み下さい!
https://tenkafurei.hatenablog.com/
2026年1月29日 一条真也拝