『ブッダという男』

ブッダという男 ――初期仏典を読みとく (ちくま新書)

 

一条真也です。
ブッダという男』清水俊史著(ちくま新書)を読みました。「初期仏典を読みとく」というサブタイトルがついています。著者は2013年、佛教大学大学院博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD、佛教大学総合研究所特別研究員などを務めました。著書に、『阿毘達磨仏教における業論の研究――説一切有部上座部を中心に』『上座部仏教における聖典論の研究』(ともに大蔵出版)があります。


本書の帯

 

本書のカバー表紙には、「・・・・・・まさにブッダ研究は、仏教学においてもっとも重要な主戦場であった。・・・ブッダの歴史性を明らかにしようとする際に、最大の障害となっているのは、仏典の神話的装飾でも後代の加筆でもなく、我々の内側にある『ブッダの教えは現代においても有意義であってほしい』という抗いがたい衝動である・・・・・・」と書かれています。帯には、「万人の平等を唱えた平和主義者ブッダは、人々の期待が生んだ神話にすぎない――」「誤謬と偏見を排し、その実像に迫る!」と書かれています。

 

カバー前そでには、以下のように書かれています。
ブッダは本当に差別を否定し万人の平等を唱えた平和主義者だったのか? 近代の仏教研究は仏典から神話的装飾を取り除くことで、ブッダを平和主義者で、階級差別や男女差別を批判し、業や輪廻を否定した先駆的人物として描き出してきた。だがそれは近代的価値観を当てはめ、本来の内容を曲解したものにすぎない。では、ブッダの真の偉大さは一体どこにあるのか。これまでのブッダ理解を批判的に検証し、初期仏典を丹念に読みとくことでその先駆性を導き出す革新的ブッダ論」

本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第一部 ブッダを知る方法
第1章  ブッダとは何者だったのか
第2章  初期仏典をどう読むか
第二部 ブッダを疑う
第3章  ブッダは平和主義者だったのか
第4章  ブッダは業と輪廻を否定したのか
第5章  ブッダ階級差別を否定したのか
第6章  ブッダは男女平等を主張したのか
第7章  ブッダという男をどう見るか)
第三部 ブッダの先駆性
第8章  仏教誕生の思想背景
第9章  六師外道とブッダ
第10章 ブッダの宇宙 
第11章 無我の発見
第12章 縁起の発見)
  終章 ブッダという男
「参考文献――より深く学ぶために」
「あとがき」



「はじめに」の冒頭を、著者は「今日、全世界に5億人もの信者を擁するともいわれる仏教。この宗教は、ブッダと呼ばれるただ一人の男を出発点としている。そもそもブッダという男は何者であり、何を悟り、何を語ったのであろうか。本書の目的はこれを明らかにすることである」と書きだしています。瞬間移動や空中浮遊などの超常現象が実際に起こったとは信じがたい以上、そのような装飾の背後に見え隠れしている歴史的事実としてのブッダを知りたいと願うのは当然のことでしょう。これが仏典の記述を批判的に検討する学問としての仏教学の登場だといいます。

 

以後、およそ150年もの長きにわたり、あまたの学者たちがブッダという男の探求に心血を注ぎ、数えきれないほどの専門書や一般書が刊行されてきました。著者は、「まさにブッダ研究は、仏教学におけるもっとも重要な主戦場であった。だが、この試みは、中村元が仏典から神話的装飾を取り除くことで描き出した“人間ブッダ”を一つの到達点とした後、方向性を見失いつつあるようにみえる」と述べています。



著者は、仏典のなかに神話と歴史という二項対立を読み込む従来の研究手法から脱却してこそ、ブッダの歴史的文脈をより豊かに描き出すことが可能であると確信しているといいます。そして、「ブッダの歴史性を明らかにしようとする際に、最大の障害となっているのは、仏典の神話的装飾でも後代の加筆でもなく、我々の内側にある『ブッダの教えは現代においても有意義であってほしい』という抗いがたい衝動である。結果として、これまでの専門書や一般書の多くが、歴史のブッダを探求しているはずが、彼が2500年前に生きたインド人であったという事実を疎かにして、現代を生きる理想的人格として復元してしまうという過ちを犯してしまっている」と述べるのでした。



第一部「ブッダを知る方法」の第1章「ブッダとは何者だったのか」の「『歴史のブッダ』を問い直す」では、そもそも当初の仏教教団は、ブッダの生涯にほとんど関心を持っていなかったことが指摘されます。初期仏典(三蔵)には、ブッダが生前に語った教えが、時系列を無視して収められています。仏伝と呼ばれるブッダの一代記が著されるようになったのは、仏滅から数百年経ってからであり、しかも、その仏伝は、当時の教団にとってさえ文学作品の類として扱われており、聖典としては認められていなかったといいます。



19世紀以降、宗学ではなく学問としての仏教研究が始まるとともに、多くの学者がブッダの生涯とその教えを歴史問題として扱うようになりました。つまり、初期仏典を“信じる”のではなく“批判的”に考察し、そこから神話的装飾や後代の加筆を削除することで「歴史のブッダ」を復元しようとする試みであると指摘し、著者は「結局のところ、これら『歴史のブッダ』と称されるものは、研究者たちが、単に己が願望を、ブッダという権威に語らせてしまった結果にすぎない。端的に言えば、19世紀になって初めて誕生した“新たな神話”なのである」と述べるのでした。



「『神話のブッダ』を問い直す」では、ブッダは歴史の先駆者であり、それまでのインドを否定し、新たな宇宙を打ち立てた先駆者であったことを指摘し、著者は「その先駆性があまりにも鮮烈であったため、ブッダが亡くなると、仏弟子たちはその記憶を『初期仏典』としてまとめ、仏教が生まれた。この先駆性そのものは、たとえ神話的装飾を帯びるものだとしても、歴史的文脈のなかに位置づけることが可能である。本書の目的は、このブッダという男の先駆性を解き明かすことにある」と述べています。



第2章「初期仏典をどう読むか」の「初期仏典とは何か」では、ブッダを知ろうとするならば、「三蔵」と呼ばれる資料を検討する必要があると指摘しています。この三蔵というのは、仏滅後に、残された弟子たちがブッダの教えが散逸しないようにまとめげたものです。三蔵は師から弟子へと口承されていくものであり、この伝統は今も続いています。というのも、現在では書物としても刊行されていますが、それは三蔵にとって副次的な役割しか果たしていないからです。著者は、「あくまで三蔵の聖典性は、人々によって記憶・実践・暗誦されているものにこそある。この事情は、イスラム教が奉じるクルアーンの正典性の本質はその内容にあるのであって、書物という媒体(ムスハフ)にあるわけではない点に比されよう」と述べます。



三蔵といえば、多くの人は玄奘三蔵や『西遊記』の「三蔵法師」を思い浮かべるでしょう。三蔵法師とは、三蔵をすべて修めた仏教者のことです。三蔵は、律蔵・経蔵・論蔵という三つから構成されます。このうち、律蔵は、出家教団の生活規則や罰則規定を収載したものです。ただし、それだけではなく、ブッダが悟りを得てから伝道の旅に出て、弟子を得て出家僧団が成立し、さらにビンビサーラ王など有力な在家信者の庇護を得るまでの仏伝なども、このなかに含まれています。これはブッダの生涯を知るうえで重要な資料となります。



次に経蔵は、ブッダやその弟子らによる教えを収載したものです。さらにこの経蔵のなかには、長い経典を収めた『長部』、分量が中くらいの経典を収めた『中部』、短めの経典をテーマごとに収めた『相応部』、1から11までの数にちなんだ経典を収めた『増支部』の4部と、種々雑多な経典(おもに韻文)を集めた「小部」とのあわせて5つがあります。この「小部」には、『スッタニパータ』や『ダンマパダ』など古い仏典とともに、『義釈』や『アパダーナ』など四部より新しい仏典も含まれます。最後に論蔵には、経蔵に説かれている種々の教えを分析・体系化したものが収載されています。

 

 

「韻文優先説と人間ブッダ」では、『スッタニパータ』『ダンマパダ』などの韻文資料に含まれる詩について、ジャイナ教聖典などの沙門文学(苦行者文学)のなかに多くの並行句が確認されることが報告されていることが紹介されます。つまり、仏典に説かれている、仏教と外教との詩が一致しているという記述は、現実にあった状況を反映しているわけです。したがって、仏典の編纂者たちは、ジャイナ教などの沙門宗教と共通の基盤を持ち、多くの詩を共有していたことを自覚していました。著者は、「このような事情から、当初の仏教教団において、韻文資料は傍系のものと見なされ、聖典(三蔵)として認められていなかったのだと考えられる」と述べます。



第二部「ブッダを疑う」の第3章「ブッダは平和主義者だったのか」では、著者は「ある研究者の発見によれば、ブッダは平和主義者であり、慈悲と非殺生を説き、いかなる暴力をも許さなかったという。別の研究者の発見によれば、カースト制度の根づくインドにあって、ブッダは現在における行為のみを重視し、生まれによる差別を認めない平等主義者であったという。また、別の研究者によれば、ブッダの教えには、男女差別の激しいインドにあってジェンダー平等を説くという画期性があったという。しかし、そのようなブッダへの評価は、本当に正当なものなのであろうか。仮に正当なものであったとして、本当にそれらはブッダの先駆性だったのだろうか」と述べています。



「『善なる殺人』は肯定されるか」では、多くの仏教者が「仏教は慈悲の教えである」と口を揃えますが、長い歴史の中で、仏教が殺生や戦争を何らかの形で許容してきたことは事実であると指摘します。仏滅から500年ほどしてから成立した大乗経典には、「慈悲の殺人は功徳を生む」といった記述さえ説かれるようになります。そして、それを根拠にして、アジア・太平洋戦争において日本の仏教教団は、「空」や「一殺多生」などの教理を援用しつつ暴力や戦争を肯定し、戦時体制を翼賛し続けたのです。



一方、初期仏典において、殺人は一貫して悪業であり、最も忌むべき行為として説かれています。そして、その初期仏典を法源とする上座部仏教においては、大乗経典の場合とは異なり、「慈悲による殺人は不可能」と考えられています。つまり、善なる殺人はあり得ないのです。にもかかわらず、歴史を振り返ると、古代や中世のスリランカや、現代のミャンマーにおいて、上座部仏教は戦争を肯定し協力してきました。



初期仏典においてブッダが禁じているにもかかわらず、どうしてスリランカミャンマー上座部仏教は、暴力や戦争を肯定できるのでしょうか。それは、次の2つの理論が組み合わさっていると、著者は指摘します。
●徳の少ない者や非仏教徒の殺害は、悪業ではあるが重大なものにはならない。
●仏教教団に布施するなどの善業を積めば、その悪業の報いを打ち消すことが可能である。



第4章「ブッダは業と倫理を否定したのか」の「無記と輪廻」では、「無記」について言及されます。無記とは、一般の概説書において、「世界は時間的に有限であるか、無限であるか」とか、「完成者(如来)は死後に生存するか、あるいは生存しないか」といった形而上学的な問題について、ブッダが解答を与えることを拒否して沈黙を守ったこと、として紹介されています。具体的には、次の10の質問を受けてもブッダは回答を差し控えたとされる。
①世界は常住である。②世界は無常である。〔時間的に限定されているかどうか〕③世界は有辺である。④世界は無辺である。〔空間的に限定されているかどうか〕⑤身体と霊魂は同一である。⑥身体と霊魂は別である。⑦完成者(如来)は死後に生存する。⑧生存しない。⑨生存し、かつ生存しない。⑩生存するのではなく、かつ生存しないのでもない。



「中道と輪廻」では、「中道」について言及します。有と無を離れた中道とは縁起にほかならなりません。そして縁起とは、生あるものが過去・現在・未来へと輪廻を繰り返して苦しみに至る原因を探り、恒常不変の自己(アートマン)が輪廻しているのではなく、原因と結果の連鎖によって輪廻しているさまを明らかにしたものです。著者は、「したがって、中道の立場から、ブッダが過去世や来世に対して判断停止していたと主張するのは、まったくの錯誤である」と述べています。



第6章「ブッダは男女平等を主張したのか」の「仏教徒女性差別」では、男女平等の理念が広まるにつれて、仏教における女性蔑視の問題が徐々に顕在化してきたことを指摘。とりわけ、1990年代に、フェミニスト側(大越愛子・源淳子など)から「仏教には性差別的な体質がある」と糾弾する書籍が立て続けに出版されたことが、大きな転機となったといいます。著者は、「この批判の動きに反応する形で、仏教学者や宗派など体制側からも、この性差別問題を総括する動きが現れはじめる。彼らはフェミニスト側からの批判に対して、何らかの対応をするように迫られたのだが、興味深いことにブッダその人が女性差別をしていたという結論はほとんど見られない」と述べます。



第7章「ブッダという男をどう見るか」の「現代人ブッダ論」では、本書が、①ブッダは平和主義者であった、②ブッダは業と輪廻の存在を否定した、③ブッダ階級差別を否定し、平等思想を唱えた、④ブッダ女性差別を否定した、という4つのありがちな現代人ブッダ論を再検討し、そのいずれも歴史的文脈から外れることを明らかにしてきたことを確認します。著者は、「およそ2500年前に生きたブッダという男は、輪廻を当然の前提として受け入れており、この世の貧富や差別、そして理不尽な死の原因は過去世の業(カルマ)であると考えていた。確かにブッダは、当時差別されていた隷民や女性にも出家を認め、彼らにも悟りを得る可能性があると主張した。だが、この主張は、当時のインド思想において決して先駆的なものではなく、類似した考え方がすでに起こっていた」と述べます。

 

 

「『歴史のブッダ』と『神話のブッダ』」では、今を生きるわたしたちが、伝統的解釈を否定して、初期仏典から「歴史のブッダ」と名づけられた「神話のブッダ」を新たに構想することは、決して無意味な営為ではないと訴えます。インドでカースト制度の撤廃に尽力したアンベードカルは、差別撤廃の思想的根拠をブッダの教えに求めました。アンベードカルの仏教理解は、必ずしも公平で客観的なものではありませんでした。しかし、彼が構想した平等主義者という「神話のブッダ」は、たとえ歴史上存在したことがなくても、間違いなく現実世界を動かす原動力になったことを指摘し、著者は「このように考えるならば、古代から現代に至るまで、『歴史のブッダ』ではなく『神話のブッダ』こそが、我々にとって重要なのであり、必要とされてきたのである」と述べるのでした。

 

 

第三部「ブッダの先駆性」の第8章「仏教誕生の思想背景」「沙門宗教としての仏教」では、仏教がバラモン教と対立する沙門宗教の1つとして生まれたことが指摘されます。沙門宗教が共通して持つ原風景としては、
●不可触民の生まれであっても、修行によって聖者となりうる。
ヴェーダ聖典に基づく祭祀の効力を否定する。
●遊行の生活を基本とし、乞食によって生命を維持する。
という3点が挙げられます。著者は、「沙門宗教の1つである仏教は、ヴェーダ聖典の新層(ウパニシャッド)において展開された輪廻や解脱といった世界観を共有しながらも、それと批判的に対峙し、真の理想の修行者像を探求した結果、生まれたのである」と述べています。



第9章「六師外道とブッダ」では、仏教が生まれた2500年前のインドは、宗教の改革期であり、沙門と呼ばれる自由思想家たちが次々と世に現れたことが紹介されます。彼らは輪廻や解脱といった当時の世界観を共有しながらも、ヴェーダ聖典バラモン教の伝統から解き放たれ、自由に新たな思索を組み立てることができました。当時、唯物論者や懐疑論者など、さまざまな哲学者が生まれていたことが明らかになっていますが、そのなかで、今日まで残っている沙門宗教は仏教とジャイナ教のみです。それ以外の諸派については、断片的な引用からその実態がわずかにうかがい知れるだけです。

世界をつくった八大聖人』(PHP新書)

 

初期仏典のなかには、当時、仏教以外に次の六つの沙門集団(六師外道)が興隆していたと記録されている。
●プーラナ・カッサパ・・・・・・道徳否定論
●アジタ・ケーサカンバラ・・・・・・唯物論
●パクダ・カッチャーヤナ・・・・・・要素論
●マッカリ・ゴーサーラ(アージーヴィカ教)
 ・・・・・・決定論
マハーヴィーラジャイナ教
 ・・・・・・宿作因論と苦行論
●サンジャヤ・ベーラッティプッタ
 ・・・・・・懐疑論
拙著世界をつくった八大聖人(PHP新書)の「ブッダのライバルたち」でも、六師外道を紹介しました。



第10章「ブッダの宇宙」の「梵天と解脱」では、ブッダが語った宇宙の姿について紹介しています。わたしたちが住む天地は、無始の過去から破壊と創造を繰り返しており、破壊の後、天地が再び創造される際には、最初にブラフマンが住む世界(大梵天)が現れます。そのため、ブラフマンは自分自身が創造神であるかのように錯覚し、後から生まれた者たちは先にいたブラフマンを恒常不変の不死なる存在であると誤解してしまいました。つまり、バラモン教ブラフマン最高神や宇宙原理と評価してしまっているのは、宇宙のありようを近視眼的にしか見ていない結果であり、繰り返される宇宙の生滅を俯瞰して見れば、ブラフマンは中級の階層に属する神にすぎません。これが仏教におけるブラフマン観であるというのですが、これは『長部』二四経「パーティカ経)に拠っています。



「生天と祭祀」では、著者は「バラモン教では、ヴェーダ聖典に記された祭祀を実行することで、人々は来世で天界に再生できると説いた。裏を返せば、人々が来世の繁栄を手に入れるためには、司祭階級が独占する祭祀を実行してもらわなければならず、そのためには、多額の布施が必要であった。ブッダが登場した頃には、善業によって天界に生まれるという業報輪廻の思想が浸透していたが、そもそもバラモン教における善業とは『祭祀の実行』に他ならない。ヴェーダ聖典において、業(カルマ)という語は、主として『祭祀』を意味していた。よって、人助けなどの道徳的な行為をいなしても、祭祀を実行しなければ、バラモン教にとってその人は生天に値しない」と述べます。



「瞑想と悟り」では、日本における上座部仏教の伝播に伴い、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想というセットに、一般人も触れる機会が多くなっていることが紹介されます。このうち、サマタは、「精神集中」を深める瞑想そのものであり、これを通して初禅から非想非非想処に至ることになります。これに対し、ヴィパッサナーは、「悟りの知恵」であり、厳密には瞑想そのものではなく、瞑想を通じて起こす洞察力(知恵)です。つまり、サマタ瞑想を深めるだけでは悟りを得ることはできず、解脱するためにはヴィパッサナー瞑想で知恵を磨く必要があるのです。



「現象世界と解脱」では、ブッダは、いずれの天界であろうとも現象世界の内側にいる限り解脱(不死)はあり得ないと考えたことが指摘されます。つまり現象世界の外側に解脱を求めたのです。この姿勢は、バラモン教が「天界での不死」を目指したことと対照的です。仏教の理解に基づくなら、天界に再生することが叶い、長寿と繁栄を享受できたとしても、それは現象世界の内側にあるため決して不死ではなく、そこで死ねば再び苦難の多い地上に戻らなければなりません。著者は、「ブッダは、現象世界との関わりが断たれたことこそ解脱の境地であると考え、それを得るためには現象世界を分析して正しい知恵を起こす必要があると説いた。一切皆苦(現象世界のすべては苦しみである)、諸行無常(現象世界を構成する諸要素は因果関係をもって変化し続ける)、諸法無我(一切の存在のうち恒常不変なる自己原理に相当するものはない)という、よく知られたブッダの教えは、現象世界の正しいあり方を端的に示している」と述べるのでした。



第11章「無我の発見」では、ブッダは、当時のバラモン教やその他の沙門宗教が主張していた瞑想や苦行を否定して、知恵により現象世界のあり方を正しく認識することで解脱できると主張したことが指摘されます。著者は、「それでは、ブッダが発見した現象世界のあり方とはいったい何なのであろうか。その1つが、自己原理(アートマン)が存在しないという『無我』の発見である」と述べます。また「個体存在の分析」では、バラモン教において、恒常不変である自己原理は、「老い」「死なない」「恐れない」といった属性を持つ安楽なものとして説かれることが紹介されます。ジャイナ教においても、自己原理に相当する霊魂(ジーヴァ)は、恒常不変であり、本質的には清浄なものであると理解されています。これに対してブッダは、個体存在を構成する五要素(五蘊)に分解し、そのいずれも変化し壊れるという属性(無常)を持つゆえに苦であるから自己原理ではあり得ない、つまり無我であると主張しました。



ブッダの無我観」では、インド諸宗教において、輪廻の主体である恒常不変の自己原理を否定したのは、唯物論者と仏教だけであったことが指摘されます。唯物論者が、物質からのみ個体存在が構成されると説き、業報輪廻の存在を認めず、結果として道徳否定論者であったのに対し、ブッダは、感受作用(受)や意思的作用(行)などの精神的要素も個体存在を構成していると説き、無我を説きながらも業報輪廻のなかに個体存在を位置づけることに成功しました。このことについて、著者は「これは他には見られない、ブッダの創見であると評価でき」と述べるのでした。



第12章「縁起の発見」では、縁起とは「縁りて起こる」という意味であることが説明されます。「AがあればBがあり、BがあればCがあり・・・・・・」という連鎖が輪廻する個体存在のありようを、そして「AがなければBがなく、BがなければCがなく・・・・・・」という連鎖が悟りへと向かう個体存在のありようを明らかにしたものとして、初期仏典の随所にこの縁起の教えが説かれています。また、この縁起はブッダの悟りの内容そのものであると初期仏典に記されていることが紹介されます。



著者は、「まだ悟りを得る前の菩薩であったブッダは、どうすれば輪廻の苦しみから出離できるかを分析した結果、老いと死の苦しみの生じる根本的原因が無知であること、そしてその無知を断じればその苦しみを終極させることを発見し、悟りを得た(『相応部』12章10経)。また、悟りを得た直後に、ブッダは、菩提樹下で縁起を観察して過ごし、解脱の喜びを味わったという(律蔵「大品」)。このため、この縁起は、古来より仏教思想の根幹をなす教えであると理解されてきた」と述べます。「煩悩・業・苦」では、著者は「ブッダは、輪廻する個体存在のありようを観察し、まず順観において、廻の根本的原因が無知(無明)にあることを突き止め、そして逆観において、無明とそれ付随する煩悩を断じることで輪廻の苦しみも断じられることを発見した。これが縁起である」と述べます。



ブッダの縁起説」では、業報輪廻の苦しみを終わらせるために、インドの諸宗教はそれぞれ独自の思索を重ねたことが紹介されます。著者は、「そのなかでブッダは、原因と結果の連鎖によって個体存在が過去から未来へと輪廻していること、そして輪廻が起こる根本原因が煩悩であることを突き止めました。そして、業が来世を生み出すには、煩悩という促進剤が必要であること――裏を返せば、すべての煩悩を断じれば、これまで積み上げてきた業もすべて不活性化することを看取した。この構造をまとめたものが縁起である。輪廻の苦しみが起こる原因を順々に辿り、無知(無明)がその根源にあること、そして悟りの知恵を起こして無知を滅せば、業(意思的作用)も滅し、輪廻は終極へと向かう。これをブッダは悟ったのである。このように、輪廻の苦しみを終わらせるためには、無知(無明)をはじめとする煩悩を断じなければならないとの主張は、他宗教には見られない。つまり、縁起の逆観こそが、インド史上におけるブッダの創見であると評価できる」と述べるのでした。



終章「ブッダという男」の冒頭を、著者は「およそ2500年前、インドとネパールの国境付近にあるルンビニの地に、ゴータマ・シッダッタ(S.ガウタマ・シッダールタ)は生まれた。彼は武士階級の出身であり、若くして世を厭い出家した。当時のインドでは、司祭階級が支配する伝統的なバラモン教に対抗する沙門と呼ばれる自由思想家たちが闊歩していた。彼もその一人として道を求めて修行し、35歳で悟りを得て、ブッダと呼ばれるようになった。このブッダという男は、それまでのインドを否定し、新たな宇宙を提示した先駆者であった」と書きだします。



ブッダは、個体存在を分析しそれが五要素(五蘊)から成り立つこと、しかもその要素すべてが無常であり苦であるから、バラモン教ジャイナ教が想定するような恒常不変の自己原理など存在しないことを主張しました。無我説です。著者は、「その無我なる個体存在は、原因と結果の連鎖によって過去から未来に生死輪廻し続けているのであり、この連鎖が続く根本的原因は無知である。したがって、悟りの知恵によって無知を打ち払い、すべての煩悩を断てば、輪廻も終極する。ブッダは、輪廻を引き起こす主要因が業であることを認めながらも、煩悩こそが業を活性化させる燃料になっていることを突き止めた」と述べています。



そして、著者は「すなわち、瞑想を通して個体存在や現象世界を観察し、一切皆苦(現象世界のすべては苦しみである)、諸行無常(現象世界を構成する諸要素は因果関係をもって変化し続ける)、諸法無我一切の存在のうち恒常不変なる自己原理に相当するものはない)と認識することこそが悟りの知恵であり、これによって煩悩が断たれて輪廻が終極するのである」と述べるのでした。本書は、これまでのブッダ像を一新する革新的ブッダ論であり、大きな学びを得ました。正直言って、仏教は難しいです。その難しい仏教を本書はわかりやすく解き明かしてくれます。また、初期仏典を丹念に読みとくことの大切さを痛感しました。わたしはいずれ聖典論』という本を書くつもりなので、初期仏典をじっくり読んでみたいと思います。

 

 

2024年8月21日 一条真也