一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「策」です。
「策士、策に溺れる」の言葉のように、どうも「策」という言葉にはネガティブな印象があります。しかし、リーダーにとって、策は必要なものです。常に、何か問題が発生したら、すぐさま対策を立てなければなりません。つまり、策を講じなければならないのです。古代中国には壮大な「策」の体系が存在しました。それをまとめた書物が『戦国策』です。中国史の戦国時代とは、秦の始皇帝が天下を統一するまでの約180年間をいいます。「戦国の七雄」と呼ばれた7つの国によって、血みどろの争覇戦が展開された時代です。戦国時代といっても、文字通り戦(いくさ)に明け暮れた日本とは違い、中国の場合、武力抗争のみならず活発な外交合戦が繰り広げられました。
当時の外交戦略を総称して「合従連衡」といいますが、このような外交を推進したのが、現代の経営コンサルタントにも相当する「説客」と呼ばれる人々で、それぞれに秘策を各国の王に説き、王の意向で政策の実現に当たりました。彼ら「説客」たちの発言やエピソードを記録したものが、『戦国策』なのです。ですから、現代にも通用する普遍的な「策」のオンパレードで、その中には、「百里を行く者は九十を半ばとす」とか「鶏口となるも、牛後と為(な)るなかれ」などの有名な言葉も多いです。
日本において史上に名を残す「策」といえば、坂本龍馬の「船中八策」が思い浮かびます。幕末の慶応3(1867)年、長崎から京都に向かう船中で、龍馬が海援隊員である長岡謙吉に筆記させて後藤象二郎に示したといわれる新国家体制論です。大政奉還を前提に、議会開設・官制刷新・外国交際・法典制定・海軍拡張・親兵設置・貨幣整備など八カ条を提唱したものです。後藤は雄藩連合に道を開くこの龍馬の八策に賛成し、京都でこれを高知藩の藩論とすることに決め、西郷隆盛らと会談のうえで薩土盟約を結び、大政奉還の方針を内外に明らかにしました。
作家の童門冬二氏は、龍馬の偉大さについて、「勤皇か佐幕か、あるいは開国か攘夷かという国論分裂の中にあって、革命に至る戦略構想と、革命後の政体についてのプログラムを持っていたこと」だと、著書『坂本龍馬「自分」を大きくする法』で述べています。そのプログラムこそ、「船中八策」でした。先のプログラムもなく、ただ倒せばいいというような感情的な倒幕ではありませんでした。しかも、それを龍馬は絶妙のタイミングで示したのです。
龍馬の大いなる「策」が、人類史上の奇跡と呼ばれた社会的イノベーションとしての「明治維新」実現を呼び込んだと言っても過言ではありません。龍馬こそ、日本史上最高の策士でした。相次ぐ企業の不祥事を見てもわかるように、その場しのぎの思いつきで有事に対応すれば、さらに傷口を拡げて、取り返しのつかない事態になります。それで自滅した企業がどれだけあったことでしょうか。真の「策」とは、囲碁や将棋の名人のごとく、数手、いや数十手先まで見通して、打たねばなりません。そして、龍馬のように絶妙のタイミングで打たねばならないのです。
なお、「策」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。
2024年9月19日 一条真也拝