思い出の喪失

一条真也です。
能登半島地震から、今日で1ヵ月が経過しました。
今朝、ブログ「2月度総合朝礼」で紹介したように、わたしは金沢紫雲閣の大谷賢博総支配人の話をしました。すると、その記事を読んだ本人からLINEが届きました。


災害ゴミを運ぶトラックの群れ(撮影:大谷賢博)

 

LINEには、「総合朝礼にてご紹介して下さりありがとうございます! 『お祈りする場所』の必要性が皆様に伝わることは、本当に大切なことだとあらためて思いました。実は祖母のお参りした『玄関の下駄箱』には後日談があります。家の取り壊しに向けて処分せざるを得なかったので、先日『災害ゴミ置き場』と呼ばれる場所に出してきました。お参りという重要な役割を果たした下駄箱を処分しなければならない感情は、今でもどう表現していいか分かりません。母親も静かにずっと黙ったまま見送っており、私も何も言わずただ二人のそばに寄り添っていました。『物』の喪失とは『思い出』の喪失ではないだろうか、と思いました」と書かれていました。


トラックに積み込まれた下駄箱(撮影:大谷賢博)

 

大谷総支配人からのLINEには、災害ゴミを運ぶトラック、トラックに積み込まれた下駄箱の写真が添えられていました。彼は日本初の上級グリーフケア士の1人ですが、実際に被災地の避難所に入り、高齢のご両親をはじめ多くの方々をケアしてきました。2月16日に開催される「天道塾」では、ぜひ、「避難所で何をしたか・何を感じたか・何を考えたか」について話してもらう予定です。また、30日に東京で開かれたグリーフケア委員会で彼の話をしたところ、上智大学グリーフケア研究所の客員所員である伊藤高章先生、同研究所の客員研究員である粟津賢太先生のお二人が非常に興味を抱いておられました。結果、彼が話した内容を録画して、その動画をグリーフケアファシリテーターのみなさんと共有し、さらには冠婚葬祭文化振興財団の理事会、全互協のブロック会議でも流す運びとなりました。まことに不幸な震災でしたが、日本におけるグリーフケア普及の扉が開く予感がしています。

実家の下駄箱の上に設えた祭壇(撮影:大谷賢博)

 

2024年1月6日 一条真也