能登半島からの3通のLINE

一条真也です。
昨日、能登半島志賀町の避難所にいる大谷賢博さんからLINEが届きました。ブログ「能登半島からのLINE」ブログ「被災地のウェルビーイング」ブログ「お祈りする場所」などでも紹介した大谷さんは、金沢紫雲閣の総支配人で、日本初の上級グリーフケア士の1人です。

「災害ゴミ」の回収現場(撮影:大谷賢博)

「災害ゴミ」を運ぶトラック(撮影:大谷賢博)

 

大谷総支配人は、元旦に能登半島志賀町の実家に帰省していました。そのときに地震が発生し、実家が全壊したのです。現在は高齢の両親と現地の避難所で生活しています。自力でテレビを設営したり、自衛隊員と一緒に簡易トイレや簡易風呂を設営したりと大活躍です。そんな彼から昨日送られたLINEには2枚の写真が添えられていました。彼が避難所で毎日書いているという日記の一部である「新聞やテレビで目にする『瓦礫』や『災害ゴミ』。被災者自身はそんな呼び方はしない。瓦礫やゴミと見えるものは、生まれ育った家の一部であったり、大切な思い出のある品ばかりだ」という言葉とともに。

一昨年の実家のリビング(撮影:大谷賢博)

地震直後の実家のリビング(撮影:大谷賢博)

 

昨日、彼はもう1通のLINEメッセージも送ってくれました。そこには「携帯の写真を整理してて絶句する。何故か一昨年の10月に実家の写真を撮影している。何故、撮影したのかまったく覚えていない。はるか昔、こうして予言や占いが生まれたのではないか、と思った」という日記の一部が転送されていました。そして、一昨年に撮影した自宅の居間と台所の写真、能登半島地震の発生直後に撮影した写真4点が添えられていました。

一昨年の自宅のキッチン(撮影:大谷賢博)

地震直後の自宅のキッチン(撮影:大谷賢博)

 

今日、彼から新しいLINEメッセージが届きました。かなりの長文でしたが、冒頭には「金沢に戻って、明日から仕事復帰しようと思います」と書かれていました。彼によれば、今は日に日に行政の支援が充足してきて、毎日避難所の様子を見に来てくれる保健師さんもいるそうです。保健師だけではなく、医師、警察、自衛隊など、県を越えていろんな県外のスペシャリスト達が支援してくれるようになったとか。彼は、「そんな人たちを見ていると自分も早く復帰したいという想いが強くなりました。親はまだ避難所にいて、実家の片付けや取り壊しのこと、今後の避難先、そして今後の住居をどうするか、など。そして同じように近所の独居高齢者のそれらも。まだまだ問題は山積みですが、それは金沢から通ってサポートしていく方向にシフトチェンジいていきます。総支配人としては完全復帰とは言えず申し訳ございません」と書いていました。

MRO(北陸放送)「ハッピーフライデー」より

 

また、彼は「これだけ長くお休み頂き、自分の背中を押してくれた社長のおかげで、生まれ育った地域の人達の支援を出来たことは感謝の限りです。ブログで現状を発信してくれた事は、避難所の方にも大きな励みとなっていました。また不在の間に頑張ってくれた会社の仲間にも本当に感謝しております。新聞やテレビのニュースでは『復興』や『再建』という言葉をよく目にするようになりました。そればかりクローズアップされて、現実は多くの被災者がまだ不安と恐怖の中で生活しております。今後とも力の限り支援していきたいと思います。ありがとうございます」とも書かれていました。


自力で避難所に設置したテレビ(撮影:大谷賢博)


実家の下駄箱の上に設えた祭壇(撮影:大谷賢博)

 

今回の震災は不幸な出来事でしたが、上級グリーフケア士である彼にとっては学びも大きかったのではないかと思います。ぜひ、その学びを多くの悲嘆されている方々の「こころ」を守るために生かしてほしいと願います。わたしも、全力で彼をサポートしていく覚悟です。元旦の地震発生以来、わたしもこれまで以上にブログに大量のメッセージを書いてきましたが、彼が「ブログで現状を発信してくれた事は、避難所の方にも大きな励みとなっていました」と書いてくれて、少しは報われた思いがします。大谷、よく頑張ったな! これからも、みんながついているぞ! 「月あかりの会」のスローガンだって、「『わたし』から『わたしたち』へ」だろう。 君は1人じゃないぞ!

地震発生直後のLINE

 

2024年1月21日  一条真也