お祈りする場所

一条真也です。金沢に来ています。
18日の夜、冠婚葬祭互助会業界の先輩経営者の訃報に接しました。前日、全互協の理事会で積極的に発言され、その後もわたしに能登半島地震のお見舞いの言葉を直接かけて下さったばかりなので本当に驚きました。「人はいつ亡くなるかわからない」という事実を痛感しました。わが社も、わたし個人も、非常にお世話になった方なので、お葬儀、お別れ会には必ず参列したいと思います。

R&Rツインブックスの装丁案

 

いま、わたしは新しい葬儀や供養の「かたち」について考えています。次回作『ロマンティック・デス~死をおそれない』『リメンバー・フェス~死者をわすれない』(サブタイトル仮題、オリーブの木)のR&Rツインブックスを書き上げ、初校ゲラを校正しているところなのですが、前者は「新しい葬儀」、後者は「新しい供養」についての本です。ブログ「東京より金沢へ」で紹介しましたが、北陸新幹線はくたか563号の車内で両書の装丁案をチェックしました。その写真を見た金沢紫雲閣の大谷賢博総支配人から「めちゃくちゃ格好いいです! そして、どちらも今のこの状況の中で、最も重要な本だと思います」とのLINEメッセージが届きました。本が完成したら、真っ先に彼に読んでほしいと思います。日本初の上級グリーフケア士の1人である彼は、元旦に能登半島志賀町の実家に帰省していました。そのときに地震が発生し、実家が全壊したのです。現在は高齢の両親と現地の避難所で生活しています。自力でテレビを設営したり、自衛隊員と一緒に簡易トイレや簡易風呂を設営したりと大活躍です。

玄関の下駄箱に設えられた祭壇(撮影:大谷賢博)

 

そんな大谷総支配人は、「まさに昨日から供養について考えていました」として、LINEで写真1点と以下のメッセージを送ってくれました。
「今年の1月10日が祖母の一周忌で、被災した大谷家はすぐに菩提寺と料理店にキャンセルを伝えました。それでも。当日が来ると、何としてでも祖母のお参りはしなければならないという思いにかられました。そして、自宅の中でも被害の少なかった玄関の下駄箱でお参り出来るようにして、ここで住職にお経をあげて頂きました。後で考えると『供養』とはまさに人間の本能ではないか、と思います。それと同時に、珠洲市輪島市の惨状を目にすると、これから法要を予定していたけど出来ない方がたくさんいるのだと思いました。それを考えると、被災地には『お祈りする場所』が必要なのかもしれません。これは私を含め、今後グリーフケア士が災害支援を行う上での、大きなヒントとなるような気がしました」

供養には意味がある』(産経新聞出版

 

大谷総支配人からのLINEメッセージに添えられた写真は、玄関の下駄箱の「お祈りする場所」でした。彼が言うように、わたしも「供養」は人間の本能だと思います。拙著供養には意味がある産経新聞出版)にも書きましたが、わたしは、供養とはあの世とこの世に橋をかける、死者と生者のコミュニケーションであると考えています。そして、供養においては、まず死者に、現状を理解させることが必要です。僧侶などの宗教者が「あなたは亡くなりましたよ」と死者に伝え、遺族をはじめとした生者が「わたしは元気ですから、心配しないで下さい。あなたのことは忘れませんよ」と死者に伝えることが供養の本質だと思います。供養には、故人のあの世での幸福を願う追善と、子孫である自分たちを守ってくれていることに対する感謝の気持ちが込められています。「おかげさま」という言葉で示される日本人の感謝の感情の中には、自分という人間を自分であらしめてくれた直接的かつ間接的な原因のすべてが含まれています。そして、その中でも特に強く意識しているのが、自分という人間がこの世に生まれる原因となった「ご先祖さま」なのです。供養で大切なのは何よりも「こころ」です。その「こころ」を表す「かたち」は華美なものである必要はありません。いま・ここで可能な「かたち」でいいのです。そこに「こころ」さえあれば、「かたち」はどんなものでも構いません。

大切なのは、祈る「こころ」です!

 

下駄箱に設えられた祭壇からは、亡くなられたお祖母様への大谷総支配人の気持ちが伝わってきます。今回のような災害でご冥福を祈る意味でも、生かされたことに感謝する意味でも「お祈りする場所」は心の拠り所となると思います。能登半島の全壊した自宅に素晴らしい祭壇を設えた大谷総支配人はさすが上級グリーフケア士です。最後に、彼をはじめとした被災者の方々が早く日常生活に復帰できることを心から願っています。合掌。

 

2024年1月19日 一条真也