北九州市民映画祭開幕!

一条真也です。東京から北九州に戻りました。
そのまま、12月1日開催の「北九州市民映画祭」のイベントに参加しました。本当は、16時からの「青山真治」のテープカットをするはずだったのですが、ブログ「『グリーフケアの時代に』公開!」で紹介した宮内庁の公式行事と重なったため諦めました。


チラシの表


チラシの裏

 

第6回となる「北九州市民映画祭」は青山真治監督特集で、「才能と情熱を体感せよ!」がテーマです。カンヌ国際映画祭をはじめ国内外から高い評価を受け、音楽家、小説家、舞台演出家としても活躍しながら、昨年早逝した青山真治監督の才能と熱量を体感する上映を監督の故郷・北九州市で開催。2023年12月2日(土)~17日(日)に北九州市立美術館分館5階で開催予定の青山真治クロニクズ展」連動企画として開催されます。青山監督の業績の中でも、とりわけ故郷・北九州への思いは強く、「北九州サーガ」と称される名作群を映画史に残した他、「北九州市民映画祭」そのものが青山監督の声掛けにより2010年より始まりました。そして監督自身もコロナ禍前まで企画コーディネーターとして携わるなど、映画製作に留まらず北九州での映画文化振興にも努めていました。

青山真帆(とよた真帆)さんと


主催者の吉武あゆみ氏と


築城則子先生と


とよた真帆&北九州クザ連の記念撮影

 

16時から北九州芸術劇場での「青山真治展」のテープカットには間に合いませんでしたが、17時半からのパーティーには間に合いました。パーティーでは、青山監督の真帆夫人、「青山真治展」主催者の吉武あゆみ氏、同展覧会の発起人である染色家の築城則子先生らと歓談、青山作品の魅力について語り合いました。わたしが青山監督の作品で一番好きなのは、ブログ「東京公園」で紹介した2011年の三浦春馬主演の映画です。そのことを真帆夫人にも申し上げました。



じつは、当時の「北九州映画祭」にこの作品が出品されることになり、わが社にスポンサーにならないかという打診が某新聞社からあったのです。ちょうど小倉コロナシネマワールドで上演されていたので、早速、関係者と一緒に観に行きました。新聞社の方が、わが社に声をかけてきたのには2つ理由があるそうです。1つは、この映画が「死」をテーマにしていること。もう1つは、青山真治監督が北九州の出身だということです。わが社の企画部長は、青山監督とわたしが新聞紙上で対談するプランを考えていると言われていました。青山監督は、北九州市立緑丘中学から福岡県立門司高校の出身だそうです。1964年生まれですから、わたしの1学年下ですね。わたしは中高ともに違う学校に通っていましたが、北九州のどこかで会ったことがあるかもしれませんね。



門司高校から立教大学に進んだ青山監督は、映画研究会に所属しました。在学中は、かの蓮實重彦先生に学び、深い影響を受けたそうです。卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット黒沢清といった監督につきました。ちなみに、黒沢監督はわたしの大好きな監督で、彼の「降霊」はホラー映画の最高傑作であると思っています。その黒沢監督のもとで修行した青山監督は、オリジナルビデオ「教科書にないッ!」で初監督を務め、故郷である門司を舞台にした「Helpless」で商業映画デビューを果たしています。代表作である「EUREKA」カンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞します。また、自身でノベライズ小説『EUREKA』を書き、第14回三島由紀夫賞を受賞するという多才ぶりを見せています。

 

「東京公園」ですが、第64回ロカルノ国際映画祭で金豹賞審査員特別賞を受賞しています。主人公であるカメラマン志望の大学生・光司を三浦春馬が演じ、彼の義理の姉に小西真奈美、親友の元カノを榮倉奈々、彼が写真を撮るミステリアスな女性を井川遥が演じています。光司は東京の公園を巡り、家族写真を撮りためていました。ある日、いつものように被写体に向けてシャッターを切っていると、突然現れた男性に難癖をつけられ、光治はその男に連絡先を教えます。しばらくして、その男性から連絡が入り、2人は再会します。男は、光治に奇妙な依頼をしてきました。それは、娘連れで公園を散歩する女性を尾行し、その写真を撮ってほしいという内容でした。この作品には、いくつかストーリーにサプライズがあります。ですので、ネタバレにならないように、これ以上書くのは控えます。

 

観終わって、わたしの心に残ったのは、ただただ主役の三浦春馬の魅力でした。いま、日本人男性で一番美しいのは三浦春馬ではないか・・・・・そう思えるぐらい、彼はキラキラ輝いていました。この映画には、井川遥榮倉奈々小西真奈美といった美女が登場しますが、はっきり言って、三浦春馬の輝きの前では影が薄かったですね。まさか、三浦春馬が2020年にあのような非業の死を遂げるとは思ってもみませんでした。その日、午後からドラマ「おカネの切れ目が恋のはじまり」の撮影の仕事が入っており、マネージャーが自宅へ迎えに行ったそうです。しかし、応答がなく、メールなどを送信しても返事がなかったため、管理会社が部屋の鍵を開けて入室すると、意識のない状態で発見され、病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されたのでした。30歳でした。青山監督は2022年、3月21日、頸部食道がんのため死去。57歳でした。青山監督も三浦春馬もその肉体は滅びましたが、その精神は永遠です。彼らの魂は映画の中に生きています。



2023年12月2日  一条真也