映画とグリーフケア 

一条真也です。
シルバーウィークが明けた19日の早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。わが社は「礼の社」を目指していますので、何よりも儀式を重んじるのです。コロナ禍も落ち着いてはきましたが、万全を期して全員マスクを着けてソーシャルディスタンスを十分に配慮しました。


神事の最初は一同礼!

月次祭のようす

まだまだ感染対策への配慮を!

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、この日も祭主であるサンレーグループ佐久間進会長が不在でしたので、代わりにわたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。


玉串奉奠しました

心をこめて拝礼しました

東専務に合わせて拝礼

 

この日は、わたしに続いて東専務が玉串奉奠をしました。東専務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。その拝礼は素晴らしく美しいものでした。わが社が「礼の社」であることを実感しました。儀式での拝礼のように「かたち」を合わせると「こころ」が1つになります!

「天道塾」の開催前のようす

最初は、もちろん一同礼!

マスク姿で登壇しました

マスクを外しました

 

神事後は恒例の「天道塾」です。この日も佐久間会長が欠席でしたので、最初にわたしがダークグレーの不織布マスク姿で登壇し、開塾の挨拶をしました。わたしは、「おはようございます! まだまだ残暑厳しいですね。今日は映画の話をしたいと思います。拙著愛する人を亡くした人へ(現代書林)を原案としたグリーフケア映画君の忘れ方が作られることはご存じでしょうが、今月からクランクインしています。10日の日曜日、わたしは埼玉ロケを訪れ、同作に出演しました」と言いました。

映画「君の忘れ方」について

 

撮影場所の「セレモニー浦和ホール」は、埼玉県に本社を置く冠婚葬祭互助会の(株)セレモニーさんの施設です。同社の志賀司社長は映画業界でも有名な方で、「君の忘れ方」のゼネラルプロデューサーです。この日もお会いしましたが、ブログ「埼玉の結婚披露宴」で紹介した今月2日の祝宴でお会いしたばかりでした。12日にも川越で行われる全互連の総会で会いました。今月、わたしは埼玉をじつに3回訪れたのでした。会場に着くと、作道監督に挨拶。小倉の銘菓である湖月堂の「祇園太鼓」の30個入りを差し入れると、とても喜んで下さいました。じつは映画の撮影現場に差し入れをするというのは長年の夢だったので、それがようやく叶って嬉しかったです。


出演シーンについて解説

 

今回のわたしの役は、なんとフューネラル・ディレクター。いわゆる「おくりびと」ですね。黒の礼服に紫雲閣のネクタイを着用しました。わが社のみなさんがスクリーンでわたしの姿を見たとき、「社長が紫雲閣のネクタイをしている」と気づいてくれれば嬉しいです。撮影会場入りしたとき、助監督から「フューネラル・ディレクターの佐藤役で、この映画の原案者でもある一条真也先生入ります!」との紹介があり、俳優やエキストラ、スタッフのみなさんが盛大な拍手をしてくれました。わたしがある登場人物の遺影を祭壇に飾って、そのままタイトルインするという重要な役です。所作の美しさや気品が求められるということで緊張しましたが、なんとかやりきりました。


祭壇への一礼シーンを解説

 

撮影の翌日、作道監督より「一条先生、昨日はありがとうございました。一条先生に現場に来ていただけて嬉しかったというのが一番の感想です。遺影を祭壇に置き、タイトルを出すというこの映画の要のポイントは、グリーフケアや映画への思いがある方に全うしていただきたいと思っていましたので、それが叶いました。ありがとうございます。祭壇への一礼もそうですし、はけていかれるときのお顔つきもとても良かったです」とのLINEが届きました。良かったです。わたしの出演シーンは2箇所でしたが、いずれもテイク2でOKでした。志賀社長は「まるで大物俳優の貫禄がありますね」と言ってくれました。残念だったのは、プロデューサーから「当日は黒の革靴でお願いします」との連絡があったので、とっておきのジョン・ロブを履いていったのですが、結局は会館にあったスリッパを使用して演技したことです。


グリーフケアへの想いを述べました


熱心に聴く人びと

 

撮影後はインタビュー取材を受けました。映画の公式メイキング動画とDVD&Bluerayの特典に収録するためです。インタビュアーから「感想をお願いします」と言われたので、「わたしが『愛する人を亡くした人へ』を書いたのは2007年ですが、当時は誰も『グリーフケア』という言葉を知りませんでしたが、15年が経過して、グリーフケアが全国に普及し、資格認定制度も立ち上がり、こんな素晴らしい映画まで作られて、本当に感無量です!」と言いました。あとは、出演者や関係者への感謝を述べました。チョイ役ながら、今回でわたしの映画出演も4回目になりました。大の映画好きなので、少しでも映画作りに関われることが嬉しいですね。2025年正月の公開予定ですが、その前に各地の映画祭を回る予定です。完成した作品を早く映画館で観たいです!



その3日後の13日の午前7時、「君の忘れ方」の情報がついに解禁され、主演が坂東龍汰西野七瀬の二人であることが明かされました。Yahoo!ニュースでは、「『君の忘れ方』は、『愛する人を亡くした人へ』(一条真也・現代書林)が原案のラブストーリー。”死別の悲しみとどう向き合うか”をテーマに、恋人を亡くした構成作家の青年が、悲嘆の状態にある人に、さりげなく寄り添う『グリーフケア』と出合い、自らと向き合う姿を描く」と紹介されています。リリースには、「監督・脚本は、国際映画祭で数々の賞を受賞し、第79回ヴェネチア国際映画祭VENICE IMMERSIVE部門の正式招待を果たしたVRアニメーション『Thank you for sharing your world』、ほか映画『光を追いかけて』『アライブフーン』の脚本を担当した作道雄。本作で初めての映画単独主演を務めるのは、若手実力派俳優として振り幅の大きい演技で存在感を発揮している坂東龍汰。映画、ドラマ、CM、舞台と八面六臂の活躍をみせる西野七瀬がヒロインを演じる」と書かれています。



また、リリースには「坂東は『作道監督の過去の経験も含まれた脚本を読ませていただき共感する部分が随所にありました。その世界観を丁寧に演じるために撮影前から監督と色々な話を重ねて良い準備期間をもって、いよいよクランクインします。自分なりの主人公を表現出来るように全力で悩み、答えを決めすぎず、力みすぎず、楽しみながら挑戦できたらと思います』と撮影への意気込みを語る。また、作道監督は、『難しいテーマでしたので、脚本を書くのにとても苦しみました。いつもは悩むと、一人籠りがちになるし、今作も企画立ち上げの頃はそうでした』と脚本執筆を振り返り、『たくさんの意見や励ましをもらい、3年をかけて脚本を書き上げ、スタッフの力と支えで撮影を開始することができました。その経験はそのまま、人は辛い時に一人になりたがる生き物だが、人の中で生きていく道を消してはならないという、今作へのテーマへ結び付きました』と作品に込めた思いを明かした」とあります。撮影は東京ではじまり、ブログ「君の名は。」で紹介した日本アニメ映史上に燦然と輝く大傑作の舞台にもなった岐阜県飛騨市高山市雄大な自然を背景にも行われます。


これまで秘密だった超人気女優とは、西野七瀬さんです。言わずと知れた、乃木坂46で最多のセンターを務めた絶対エースです。もう一人の絶対エースである白石麻衣さんの方がわたしは好きだったのですが、彼女はグリーフケア映画の主演にしては色気がありすぎるのと、西野さんはなんていっても演技力が素晴らしいことから、今回のヒロインが西野さんに決まって良かったです。なにしろ、彼女は「孤狼の血2」の演技で日本アカデミー賞の優秀女優賞を受賞しているのですから。そこから、ブログ「春に散る」ブログ「バカ塗りの娘」で紹介した坂東龍汰の出演映画、ブログ「恋は光」で紹介した西野七瀬の主演映画、さらには西野さんがアカデミー賞主演女優賞に輝いた孤狼の血2」などを紹介し、彼らの魅力を述べました。

 

さらに、グリーフケア関連ということで、ブログ「ほつれる」で紹介した日本映画も紹介しました。平穏だった日常が狂い始め、妻が、自分自身の過去と向き合っていく物語です。夫の文則との関係が冷め切っていた綿子(門脇麦)は、友人の紹介で出会った木村(染谷将太)と頻繁に会うようになる。しかし、綿子と木村の仲を揺るがす出来事が起きてしまう。平穏だった日常が徐々に狂っていく中、過去を振り返る綿子は夫や周囲の人々、自分自身に向き合っていくのでした。この映画は、不倫相手との死別とその悲嘆について描いています。いわゆる「公認されない悲嘆」と呼ばれるものです。

「公認されない悲嘆」について

 

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に、わたしは「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」と書きました。この言葉は、よく知られているようです。不倫相手や愛人といっても基本的には恋人であり、その愛する人を亡くした人は「自分の一部を失う」のではないでしょうか。不倫相手との死別による悲嘆は、いわゆる「公認されない悲嘆」です。これは、ケニス J.ドカ(アメリカ)によって「権利を剥奪された悲しみ」という言葉で提唱された概念です。人は誰しも失ったものごとや別れに対して悲しむ権利があって、その権利は侵されるものではありません。しかし社会的に認められにくいとされるグリーフもあり、それらは「公認されない悲嘆」といわれます。


「公認されない悲嘆」について解説


熱心に聴く人びと

 

ケニス J.ドカ 博士は、「公認されない悲嘆」を以下の5つに分類しました。
1.関係が認められていない場合。
これには不倫相手、LGBTQ、元配偶者などの関係性がある場合の悲嘆。
2.喪失が認められていない場合。
流産・死産、中絶は喪失自体を知ってもらえない場合や、知ってもらえても通常の死別と同等には認識してもらえないことが多く、家族が失踪した場合なども含まれます。
3.悲嘆者が認められていない場合。
残された者が知的障害者発達障害者、精神疾患者、幼い子ども等の場合悲嘆していることがわかってもらえないことがあります。重度の認知症の者や幼い子どもの場合、死を理解していないだろうと周囲が勝手に解釈してしまうこともあります。
4.死に方がしかるべきものでない場合。
故人の死の状況が社会的に共感を持たれにくい場合も、公認されない悲嘆となることがあります。自死、アルコール依存による死、事件の加害者、死刑者などのほか、喫煙者が肺がんで亡くなった場合なども含まれます。
5.悲嘆の仕方が異なる場合。
悲嘆の仕方は文化によって異なるために、異なる文化的背景を持つ者が、その文化にふさわしい悲嘆の仕方をしても他の文化的背景を持つ者には、その悲嘆がなかなか理解してもらえないことがあります。


グリーフケアは難しい・・・

 

東京大学名誉教授の島薗進先生、京都大学名誉教授の鎌田東二先生、わたしの3人の共著グリーフケアの時代(弘文堂)では、愛する人を亡くした人への心のケアがいかに重要であるかをさまざまな視点から訴えました。しかしながら、不倫に代表されるように社会に公認されないということは、社会の中でその悲しみを分かち合えないということです。そこにはグリーフがケアされる仕組みがなく、悲しみを抱えていても誰にも相談できず、1人で抱え込むことになり、孤独・孤立に陥る、社会と断絶するという状況にもつながります。社会的なサポートの欠如は複雑性悲嘆を発現する重要な危険因子となります。そういった社会との繋がりがない死別を経験した人は、集団療法や支援グループによって非常に助けられる可能性があります。

 

このようにグリーフケアもなかなか奥が深いのですが、死別という悲嘆について考えると、やはり葬儀が最大のグリーフケアであることに気づきます。ブログ「6月0日 アイヒマンが処刑れた日」という映画は、弔いの重要性ついて考えさせられました。第2次世界大戦でユダヤ人大量虐殺に携わった、重要人物アドルフ・アイヒマンの処刑の裏側を描いた歴史映画です。イスラエルの定めに基づいて行われた処刑を、ホロコースト生存者たちの目を通して描いています。ユダヤ人大量虐殺に関わったアイヒマンは、戦後、潜伏先で捕らえられました。1962年にイスラエルの定めにより、5月31日から6月1日の深夜に死刑が執行されます。処刑後、遺体焼却のため、火葬が忌避されるイスラエルで焼却炉を作ることになったのでした。


「6月0日 アイヒマンが処刑された日」のテーマが火葬と宗教ということで、わたしは、ブログ「サウルの息子」で紹介した2016年の映画を思い出しました。第68回カンヌ国­際映画祭にてグランプリに輝いた大傑作です。強制収容所ユダヤ人の同胞をガス室に送り込む任務(ゾンダーコマンド)につく主人公サウルに焦点を当て、想像を絶する惨劇を観客に見せます。ある日、サウルは、ガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見します。少年はサウルの目の前ですぐさま殺されてしまうのですが、サウルはなんとかラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって手厚く埋葬してやろうと、収容所内を奔走します。ユダヤ教では火葬は死者が復活できないとして禁じられているのです。そんな中、ゾンダーコマンドたちの間には収容所脱走計画が秘密裏に進んでいました。

直葬」や「0葬」に潜む危険さとは?

 

かつて、わたしはユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教(だいわ文庫)で、ユダヤ教キリスト教イスラム教の三大一神教のことを「三姉妹宗教」と表現しましたが、好戦的な次女のキリスト教に比べて、長女のユダヤ教と三女のイスラム教は非常に似ている部分が多いと言えます。イスラム教が火葬を禁じているルーツは、ユダヤ教にあります。ユダヤ教では、死後、救世主メシアが死者を復活させるために死体をそのままの状態に保つ必要があり、火葬は禁忌です。現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増え、あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」までもが注目されています。しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。

葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守る!

 

「0葬」への反論の書である永遠葬(現代書林)、同時期の戦後70年となる2015年に上梓した唯葬論(三五館、サンガ文庫)にも書きましたが、わたしは、葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じています。故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。もし葬儀が行われなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きるでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。


最後は、もちろん一同礼!

 

しかし、映画サウルの息子を観たとき、頑なに火葬を拒み土葬に執着するサウルの姿に深く考えさせられました。一神教の信者である人々にとって、葬儀という宗教儀式は故人が神の御許に帰ることができるかどうかという最重要問題です。わたしたち日本人は、葬儀というと、すぐに残された人びとの心の問題を考えてしまいますが、一神教の人々からすれば、そんなことは二の次であり、あくまでも神と人間との関係が最優先されるのです。そして、この作品ではサウルが必死になって、ユダヤ教の聖職者であるラビを探していました。ラビを見つけたサウルは「息子を埋葬したい」と頼み込みます。困惑したラビたちは、とりあえず祈るしかないのですが、このような場面を観て、わたしは「儀式とは何か」「祈りとは何か」ということを考えました。それらの問題について考え続けた結果、書き上げたのが儀式論(弘文堂)です。最後に、わたしは「このように儀式やグリーフケアといった問題に映画はさまざまな学びやヒントを与えてくれます。芸術の秋は、映画の秋。みなさんも、ぜひ、心をゆたかにする映画を観て下さい!」と言ってから降壇しました。

 

2023年9月19日  一条真也