サムライの涙

一条真也です。
本当に残念でした。ブログ「日本、よく頑張った!」にも書いたように、ワールドカップ決勝トーナメントで、日本はPK戦でクロアチアに敗れました。前田大然が値千金の先制点を奪取し、大きなアドバンテージを得て前半を終了しました。後半10分にクロアチアが1点を返すまでは、日本のサッカーの歴史の中で最も輝いた時間でした。



しかし、前大会の準優勝国・クロアチアは強かった! 
最後は、悪夢のようなPKでの幕切れでした。でも、日本はよくやりました。強豪を相手にもっと苦戦するかと思っていましたが、まったく互角の死闘を演じました。

涙の色サムライブルー

 

選手たちは泣いていました。観客も泣いていました。多くの日本人も深い喪失感に包まれることでしょう。ある意味で、今日の日本人はグリーフケアが必要かもしれません。日本は、いま、「悲縁」で包まれています。そして、選手たちの涙の色サムライブルー。この涙は日本人の「こころ」を1つにしてくれたのではないでしょうか?

涙の色サムライブルー

 

わたしは非常に涙もろいです。感動する話を聞いても、悲しい映画を観ても、涙が溢れ出ます。長女の結婚式では、ボロ泣きしました。社員の頑張りや仕事への熱い想いなどに触れたときにも、涙腺がよく緩みます。でも、わたしの涙に気づいた社員は、何か悪いものでも見たかのようにあわてて目をそらすことが多いです。おそらく、「社長ともあろう者が、泣くなんて」と驚いているのでしょう。



一般に大人の男は涙など流すものではないとされています。しかし、昔の武士などはよく泣いたようです。武田信玄の『甲陽軍艦』には、「たけき武士は、いづれも涙もろし」とあります。戦に勝ったといっては泣き、仲間が生き残っていたといっては泣いたようです。偽りや飾りのきかない、掛け値なしの実力稼業。それは、情緒、感動においてもむきだしのあるがままに生きることだったのです。



時代は下って江戸時代の末期、つまり幕末の志士たちもよく泣いたようです。吉田松陰なども泣癖があったとされています。松陰は、仲間と酒を飲み、酔って古今の人物を語るのを好みましたが、話題が忠臣義士のことにいたると、感激のあまりよく泣いたといいます。わたしは松陰ほど純粋な心の持ち主はいなかったと考えており、彼の真心が明治維新を呼び起こしたと思っています。



坂本龍馬もよく泣いたそうです。司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』(文藝春秋)にそのあたりの様子が生き生きと描かれています。かの薩長連合がまさに成立せんとしたとき、薩摩藩西郷隆盛を前にした桂小五郎が、長州藩の面子にこだわりを見せました。その際、龍馬は、「まだその藩なるものの迷妄が醒めぬか。薩州がどうした、長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」と、すさまじい声で呼び捨てにし、「われわれ土州人は血風惨雨……」とまで言って、絶句したという。死んだ土佐の同志たちのことを思って、涙が声を吹き消したのです。

 

 

そして、「薩長の連合に身を挺しておるのは、たかが薩摩藩長州藩のためではないぞ。君にせよ西郷にせよ、しょせんは日本人にあらず、長州人・薩摩人なのか」という有名な言葉はおそらく泣きじゃくりながら言い放たれました。この時期の西郷と桂の本質を背骨まで突き刺した龍馬の名文句であり、事実上この時に薩長連合は成ったと言えますが、西郷や桂を圧倒した龍馬の涙の力も大きかったのではないでしょうか。



龍馬をめぐるエピソードで涙に関するものがもう1つあります。徳川幕府の最後の将軍、徳川慶喜が古い政治体制の終焉によって大きな混乱と犠牲が日本の社会に強いられることを避けようと大政奉還する決意をしたとき、それを後藤象二郎からの手紙によって知った龍馬は、顔を伏せて泣いたといいます。龍馬が泣いていることに気づいた周りの志士たちは、無理もないであろうとみな思ったそうです。この一事の成就のために、龍馬は骨身をけずるような苦心をしてきたことを一同は知っていたからです。



しかし、龍馬の感動は別のことでした。やがて龍馬は、泣きながら「大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」と言いながら慶喜の自己犠牲の精神をたたえて、さらに涙を流したといいます。そのときの言葉と光景は、そこにいた中島作太郎や陸奥陽之助たちの生涯忘れえぬ記憶になったといいます。龍馬が画策した革命の流れのなかで、大方の革命に必然な血なまぐさい混乱を慶喜が自ら身を退くという犠牲によって回避したということを、革命の仕掛け人である龍馬こそが他の誰よりも評価したに違いありません。



司馬遼太郎が言うように、徳川慶喜坂本龍馬は、日本史のこの時点でただ2人の同志でした。慶喜はこのとき坂本龍馬という草莽の士の名も知らなかったでしょう。龍馬も慶喜の顔を知りません。しかし、この2人はただ2人だけの合作で歴史を回転したのです。もちろん『竜馬がゆく』は小説ですから、以上のエピソードは完全な史実ではないでしょう。しかし、坂本龍馬という人の感情の豊かさをよく表わしていると思います。同じく司馬の『翔ぶが如く』を読むと、西郷隆盛もよく泣いたことがわかります。

 

 

維新の志士たちは司馬の言葉を借りれば、「感情量が大きかった」のでしょう。人間は近代に入ると泣かなくなりました。中世では人はよく泣きました。中世よりもはるかに下って松陰や龍馬や西郷の時代ですら、人間の感情量は現代よりもはるかに豊かで、激すれば死をも怖れぬかわり、他人の秘話を聞いたり、国家の窮迫を憂えたりするときは、感情を抑止することができなかったようです。

 

 

涙を流すと、人は心をさらけ出し、この上なく人間らしくなります。「聖人」として多くの人々に仰がれた孔子も感情量の豊かな人だったようです。『論語』の「先進」篇には孔子が大泣きした場面が登場します。愛弟子である顔淵が死んだとき、「ああ、天はわれをほろぼした」と叫んで人前もはばからず慟哭したのです。周囲の者は驚きましたが、孔子は「この人のために泣かなくて、一体誰のために泣くのか」と言ったといいます。弟子たちの感動ぶりが目に浮かぶようです。

 

 

人間が泣くと、涙が出ます。この涙には大きな秘密が隠されているように思います。涙とは、つまるところ、共感のかたち。童話作家アンデルセンは、「涙は人間がつくるいちばん小さな海」という有名な言葉を残しています。わたしたちは、小さな海をつくることができます。その小さな海は大きな海につながっているように、それぞれの人間の心も深い人類の集合的無意識でつながっています。

 

 

たとえ人類が、民族や国家や宗教によって、その心を分断されていたとしても、いつかは深海において混ざり合う。泣くこと、そして涙を流すことは、人間同士がつながっていることの証なのです。そして、人類はSDGsからウエルビーイングを経て、悲しみを共にする「コンパッション」の次元へと向かっていくのではないでしょうか。なお、「涙」については、『孔子ドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


本当にお疲れ様でした!

 

それにしても、サムライジャパンはよく頑張りました。ドイツとスペインを連破し、ある意味で「新しい景色」を日本人に見せてくれました。森保監督には「夢をありがとう!」と言いたいです。日本代表のみなさん、本当にお疲れ様でした。立派な戦いぶりでした。この悔しさと経験をぜひ未来につなげて下さい!

 

2022年12月6日 一条真也