一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。
今回は、『人生の卒業式入門』をご紹介します。2014年4月27日に刊行したブックレットです。同日、ブログ「終活〜今を生きる」で紹介した劇団青春座の講演会が開催されたので、参加者に配布しました。このブックレットの目次構成は、以下の通りです。
- 自分の葬儀をイメージする
- 葬儀は何のためにあるのか
- 愛する人の心を葬儀が守る
- あなたは、永遠に生きられる
- 「遺体」の本当の意味とは
- 享年について考える
- あの世には時間がない
- この世には、すべてに時がある
- 死はけっして不幸ではない
- そして、また会える
わたしは、「死」を「人生の卒業」と呼び、「葬儀」を「人生の卒業式」と呼んでいます。政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学・・・・・人類が生み、育んできた偉大な営みは、なぜ生まれ、なぜ発展したのか。それは、「人間を幸福にするため」という一点に集約されます。
さらにはその人間の幸福について考え抜くと、その根底には「死」が厳然として存在します。その「死」を、日本では「不幸があった」と表現することが、わたしには納得がゆきません。人間は、みな必ず死にます。「死」が不幸なら、人生は最初から負け戦なのでしょうか。わたしは、「死」を絶対に「不幸」とは呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来必ず「不幸」になるからです。死は決して不幸な出来事ではないのです。
葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化であり、人類の存在基盤だと言えます。あらゆる生命体は必ず死ぬ。もちろん人間も必ず死ぬ。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことです。しかし、決して不幸なことではありません。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければならないのです。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえるのです。葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないでしょうか。つまるところ、葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思うのです。
卒業式というものは、本当に深い感動を与えてくれます。それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからだと思います。わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。 そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。
結婚式も卒業式!
結婚式というものも、やはり卒業式だと思います。なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業する娘を愛しく思うからです。 そして、葬儀こそは「人生の卒業式」ではないでしょうか。最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。
2022年6月23日 一条真也拝