鐘の音に祈りをこめて

一条真也です。
29日、ブログ「グリーフケア資格認定制度説明会」で紹介したZOOMイベントが行われた日の夜、わたしは驚くべきネット記事を目にしました。「『広島平和の鐘』『国連の鐘』など製造 梵鐘製造最大手の老子製作所が民事再生」という記事です。

f:id:shins2m:20210630084338j:plainヤフーニュースより 

 

「国内シェア約70% 世界の『OIGO』として知られる」という見出しの記事によれば、富山県高岡市にある(株)老子製作所(代表=老子平氏)が6月28日に富山地裁高岡支部民事再生法の適用を申請し、同日保全処分を受けました。同社は、1868年(明治元年)創業、1946年(昭和21年)4月に法人改組した梵鐘製造業者です。記事には、「梵鐘製造では国内最大手で、これまで数万個以上の梵鐘を製作し、大型和鐘の製造技術は世界でもトップクラスと称されていた。日本国内のみならず海外でも相応の知名度を有しており、国内シェアの約70%を占めているほか、銅像や仏像、モニュメントを含む社寺建築金物の製作なども行っていた。これまでの納入実績には、『広島平和の鐘』『国連の鐘』『皇居二重橋青銅製高欄』『沖縄平和祈念堂梵鐘』『靖国神社国旗掲揚塔』『長野善光寺忠霊殿相輪』などがある」と書かれています。



高い技術力が裏づけとなって全国各地の寺院から受注を得て1989年3月期には年売上高約11億400万円を計上していたそうですが、リーマン・ショック後に各寺院などからの受注が伸び悩み、売り上げは低迷しました。原材料価格の高騰などもあり収益面も低調で、長年にわたり債務超過の状態が続いていました。さらに昨年来、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い受注は低調で、世界初となる鋳物のウイスキー蒸留器の開発にも取り組んだものの、2020年3月期には年売上高約2億1000万円にまでダウンしたそうです。年商を大幅に上回る金融機関からの借入金も重荷となっていたことで自力再建を断念し、民事再生法の適用を申請することとなったということです。


この記事について、日本総合研究所調査部マクロ経済研究センター所長の石川智久氏は、「先日、京都のお寺の方にお聞きしたところ、国宝や重要文化財には修理に大変コストがかかり、国の補助は全て出るわけではないので、景気が悪い時には文化財の保存が出来なくなるとのことです。そして補修の業者さんが倒産すれば、その技術が失われてしまうことに危機感を持っておられました。景気に左右されずに文化財関係の職人の技術を次世代に伝えていく方法を考える必要があります」と述べておられますが、まったく同感です。単なるIOCの商業イベントである東京五輪の開催のために数兆円のお金を使うくらいなら、国はもっと文化財の補助に力を入れるべきです!



わたしは、この記事を読んで、いろんなことに非常に驚きました。まず、日本に「老子」という姓を持つ方がいて、「老子製作所」という社名の会社が存在したことに驚きました。次に、この会社が「広島平和の鐘」「国連の鐘」「皇居二重橋青銅製高欄」「沖縄平和祈念堂梵鐘」「靖国神社国旗掲揚塔」「長野善光寺忠霊殿相輪」などを製造していたという事実、さらには新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経営難の中で世界初となる鋳物のウイスキー蒸留器の開発に取り組んでいたこと、そして何よりも驚いたのは、6月28日に民事再生法の適用を申請し、同日保全処分を受けたという事実です。

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多々良紫雲閣竣工式での挨拶のようす

 

6月28日といえば、ブログ「多々良紫雲閣竣工式」で紹介したように、福岡市多々良の地にわが社の新施設がオープンした日です。竣工式の主催者挨拶で、わたしは「多々良の地名は諸説ありますが、最も有力とされているのが、鉄の生産技法で使う鞴(ふいご)がタタラと呼ばれたことからきているとの説で、鋳物を製する踏鞴(たたら)があったことに由来しています。ジブリアニメの『もののけ姫』などでも知られますね。多々良(タタラ)が始めて書物に出てくるのは、『日本書紀』のヒメタタライスズヒメノミコトのくだりで、神武天皇の后、大国主命の娘とされ、鉄器製造に関わる神と言われています。古代の多々良には鉄の製造所が多くあったようです」と述べました。

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多々良紫雲閣の禮鐘 

 

また、わたしは「除夜の鐘で知られている太宰府の国宝、観世音寺の梵鐘は京都妙心寺の国宝の鐘と兄弟鐘であり、この鐘には「糟屋で・・・鐘を鋳る」との銘記があることから、『筑前国風土記』では多々良を鋳造地と推定しています。鐘といえば、紫雲閣のシンボルともいえる禮鐘があります。わが社の創立55周年の記念すべき年に、ゆたかな歴史と伝説に彩られたこの素晴らしい多々良の地に新しい施設をオープンできることは本当に幸せであると述べてから、「神代より たたらの姫に護られし この地に鳴るは 禮の鐘なり」という道歌を披露いたしました。わたしが挨拶で「梵鐘」という単語を使ったのは生まれて初めてです。それと同じ日に梵鐘製造最大手の会社が民事再生を受けたというのは、驚き以外の何物でもありません。まさに、「意味のある偶然の一致」としてのシンクロニシティではないでしょうか。

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横浜でのグリーフケア講演のようす

 

じつは、ブログ「グリーフケア講演in横浜」で紹介した講演の最後に「グリーフケアの時代が来ました!」と発言してとき、わたしは一種の至高体験のような感覚をおぼえました。いわゆる「ZONE(ゾーン)」に入るような感覚です。それ以来、毎日、シンクロニシティがバンバン起こるのです。心理学者ユングによれば、シンクロニシティとは個人の運命を変える鍵であり、世界によって使命が与えられた印であると述べています。

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グリーフケアの時代が来ました!

 

この日の講演内容を紹介した シンとトニーのムーンサルトレター195信で、宗教哲学者の鎌田東二先生は「『グリーフケア士』の取り組みですが、大変重要な動きが始まっていますね。これまでは、宗教がケアの重要な担い手でした。確かに、今もなお宗教は重要なケアの担い手です。が、しかし、宗教離れしてきた近代以降の社会の中で、医療や看護や精神医学や心理学と関わる領域の中で、スピリチュアルペインに対する認識が広く一般社会に拡充され、WHOの健康の定義の中にもspiritualtyについての観点の必要が指摘されてきたこの25年ほどの動向の中で、宗教・非宗教を問わず、スピリチュアルケアやグリーフケアに対する一般社会的要請が次第に強くなり、高まってきているとわたしも日々感じています」と書かれています。


サンデー毎日」2013年11月10日号より

 

わたしは、グリーフケアの中心が宗教から葬儀へ移行しているように感じています。そして、そのシンボル的な存在が、わが社の「禮鐘」であるとも考えています。ブログ「禮鐘の儀」でも紹介したように、2013年10月2日にオープンした、サンレーグループ の「霧ヶ丘紫雲閣」で初めて「禮鐘(れいしょう)の儀」が行われました。これは、葬儀での出棺の際に霊柩車のクラクションを鳴らさず、鐘の音で故人を送る新時代のセレモニーです。「サンデー毎日」2013年11月10日号にも取り上げられ、そこには「宗教哲学者で、京都大学こころの未来研究センターの鎌田東二教授は『葬儀にせよ、結婚式にせよ、時代の要請でスタイルは変わってきている。大事なことは死者を送る人たちの心がなぐさめられること。私もクラクションは気になっていた。神社仏閣の鐘を知っている人たちにとっては、鐘の響きは違和感がないのでは』と評価する」と書かれています。宗教儀礼研究の第一人者である鎌田先生からのお墨付きを頂き、勇気百倍でした!


これが禮鐘です

 

同記事は、禮鐘についても詳しく説明しており、「鐘は直径48センチ、厚さ10センチ弱。仏堂前で参拝者が鳴らす鰐口と呼ばれるもので、会館正面に建つ鐘楼につり下げられた。鐘の音はクラクションに比べて低く、響きが少ない。出棺前に司会者から『この鐘は故人からの“感謝、祈り、癒やし”の三つの礼を込めたものです』と案内があり、最初の鐘で霊柩車が発車。『出棺でございます』のアナウンスに続いて2、3度目がたたかれる。佐久間社長によると、クラクションにはいわれがなく、かつて野辺の送りの時に鳴らされたカネの代わりに使われた慣習という」と書かれています。


現在、日本全国の葬儀では霊柩車による「野辺送り・出棺」が一般的です。大正時代以降、霊柩車による野辺送りが社会全体に広まり、現在に至るまで当たり前のように出棺時に霊柩車のクラクションが鳴らされています。このクラクションを鳴らす行為には、さまざまな説があります。出棺の際に故人の茶碗を割る慣習(現在ではほとんど行われていないが、地方によっては必ず行われている)や、車輌を用いた野辺送りが一般的になる以前では、遺族・親族・有縁の者が葬列を組んで鐘や太鼓の音と共に墓地まで野辺送りを行っていた風習の名残りなど諸説があります。


ラクションは鳴らしません

 

出棺時に鳴らされる霊柩車のクラクションには意味はありません。一般的には“別れの合図”や“弔意を表す為の弔砲がわり”や“未練を断ち切るための音”などとして認識されています。たとえば、船舶における汽笛は出航時や帰港時、航海中の安全の為に鳴らします。また、船舶にはマリンベル(号鐘)と呼ばれる鐘が必ず設置されています。これは日常的には時間を知らせる為に使用されています。緊急時における使用もありますが、航海中に死人が出た場合の“水葬”を執り行う際にもこの号鐘が鳴らされます。


代わりに、鐘を3回鳴らします

 

紫雲閣では、昨今の住宅事情や社会的背景を考慮し、出棺時に霊柩車のクラクションを鳴らすのではなく、禮の想いを込めた鐘の音による出棺を提案します。使用する鐘は、宗教に捉われない鰐口を使います。また、サンレー独自のオリジナル出棺作法として、3点鐘(3回叩く)による出棺とします。この3回というのは「感謝」「祈り」「癒し」の意味が込められています。あと、「サンレー」に通じる「三禮」という意味もあります。

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新時代のセレモニー「禮鐘の儀」

 

正確に言うと、禮鐘は「鰐口(わにぐち)」という鐘です。金属製梵音具の一種で、鋳銅や鋳鉄製のものが多いです。鐘鼓をふたつ合わせた形状で、鈴を扁平にしたような形をしています。上部に上から吊るすための耳状の取手がふたつあり、下側半分の縁に沿って細い開口部があります。仏堂や神社の社殿などで使われており、金口、金鼓とも呼ばれる事もあります。


残心でお見送りします

 

古代の日本では、神社にも寺院にもともに鰐口が吊るされていました。その後、時代が下って、神社は鈴、寺院は釣鐘というふうに分かれていったのです。ですから、鰐口は神仏共生のシンボル、さらには儒教の最重要思想である「禮」の文字が刻まれた「禮鐘」は神仏儒共生のシンボルとなります。神道儒教・仏教が日本人の「こころ」の三本柱であることは繰り返し述べてきました。3回鳴る鐘は、「感謝」「祈り」「癒し」の意味もありますが、「神」「儒」「仏」でもあります。

 

 

わたしは、7月7日の七夕の日に、わが国の儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生と対談いたします。その予習として、毎日、加地先生のご著書を読み返しているのですが、現在は『孝経 全訳注』(講談社学術文庫)を読んでいます。『論語』と並ぶ儒教の最重要古典である同書には、「人の道」としての葬儀の重要性が徹底的に説かれています。そして、そのコンセプトは「孝」です。孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。加地先生によれば、祖先祭祀とは「祖先の存在を確認すること」であり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅しますが、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。人は死ななくなるわけです!



iPS細胞の発見者で、ノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥先生ともタ対談された加地先生によれば、「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなく、文字通り「遺した体」であるといいます。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。親から子へ、先祖から子孫へ、孝というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということなのです。孔子はこのことに気づいていたのだが、2500年後の日本人である加地伸行氏が「孝」の真髄を再発見したわけです。そして、この「孝」というコンセプトは日本において、儒教から神道と仏教にも受け継がれました。

 

 

拙著『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)では、わたしはコロナ禍の中で社会現象といえる大ブームを巻き起こした「鬼滅の刃」には神道儒教・仏教の精神が流れていると述べました。そして、それらの共通要素として先祖崇拝があることも指摘しました。その真髄は「孝」の一字に集約されます。先祖から子孫への継承である「孝」という字は2つに分解できます。「老」と「子」です。すなわち、「老子」です。なんと、老子製作所に繋がりました!

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日本人の「こころの三本柱」である神儒仏の精神が集約された禮鐘が鳴るたびに、故人の魂が安らかに旅立たれ、愛する人を亡くした方々の深い悲しみが癒され、さらには日本人の心が平安になることを願ってやみません。わたしは、「広島平和の鐘」「国連の鐘」「皇居二重橋青銅製高欄」「沖縄平和祈念堂梵鐘」「靖国神社国旗掲揚塔」「長野善光寺忠霊殿相輪」などを製造され、日本人の祈りを支え続けてきた老子製作所に最大の敬意を払いたいと思います。そして、同社が守り続けてきた「鐘の文化」というものを、ささやかながら継承させていただきたいと思っています。梵鐘から禮鐘へ・・・わが心の中には、グリーフケアの時代の到来を告げる銅鑼の音が鳴り響いています。

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わが社の葬祭責任者会議のようす 

 

わたしは、わが社の葬祭責任者たちが同じ志を抱いてくれていることが何よりも嬉しく感じています。このブログ記事の冒頭に紹介したヤフーニュースを紹介したところ、サンレーの東専務からは「まさに意味のある偶然の一致ですね、凄い! です」、また黒木取締役からは「何かの縁だと感じます。この老子製作所調べて見ましたら見ましたら、他にブロンズ像や銅像など数多くつくられていました。作品は半永久的に残ると思いますが歴史ある会社なので残念です。梵鐘や鐘を含む詩や俳句は記録として永久的に残っています。形や記録として残るものは素晴らしいものが多いです」とのメッセージが届きました。

f:id:shins2m:20181126170929j:plainわが社の葬祭責任者会議のようす 

 

企画本部の石田執行役員からは「このシンクロニシティの連続は、今後も確実に連続すると思います。社長が頑なに進められてきたことが集大成へ向けてどんどんと現れてきているような印象です。拙者も微力も微力ですがお手伝いすることができればと思っております」、営業推進本部の小谷部長からは「大型和鐘の国内シェア70%を占める会社が民事再生を申請することに大変驚きました。また、鉄の製造に縁深い多々良の地で紫雲閣をオープンし、禮鐘を普及していくことに特別な使命感を感じました。多々良の地に一人でも多くの会員様を増やせるよう営業活動に邁進致します」とのメッセージが届きました。

f:id:shins2m:20210628101719j:plain完成した多々良紫雲閣の前で

 

多々良紫雲閣の鶴田支配人からは「禮鐘の響きは、浦田紫雲閣では、親族をはじめ、宗教者に至るまで「優しい、とても奥ゆかしい音」等とお褒めの言葉を多数頂いております。多々良紫雲閣では本日、早速ご葬儀のお手伝いをさせていただき正午に禮鐘の音が響きます。福岡市に、尚一層、グリーフケアの時代の到来を告げる銅鑼の音を響かせる事が出来るよう、常に精進し、尽力して参ります!」とのメッセージが届きました。

f:id:shins2m:20210628110332j:plain多々良紫雲閣竣工式の挨拶のようす

 

そして、グリーフケア推進課の市原課長からは「明治から続くこのような日本独特の会社が無くなることは寂しく感じます。鐘が結んだ縁だと思って多々良紫雲閣をますます発展させるようがんばっていきたいと思います。まさにシンクロニシティを感じる記事でした」とのLINEメッセージが届きました。同志たちから続々と届くメッセージの数々はまことに心強く、「天下布礼」の手応えというものを感じました。最後に、わたしは、わが社から最も多くのグリーフケア士が誕生することを信じています。

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鐘の音に祈りをこめて・・・・・・

 

2021年6月30日 一条真也