令和最初の総合朝礼  

一条真也です。
ようやく長かった10連休が終わりました。
5月7日の朝、サンレー本社で「令和」になってから最初の総合朝礼を行いました。
わたしは、社長訓示で以下のように述べました。

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総合朝礼のようす

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社長訓示のようす

 

ついに令和の時代が到来しました。改元で、大きく社会の様子が変化する現在だからこそ守っていかなければならないものがあります。それこそ、元号に代表される古代からの伝統であり、わが社が業とする儀式です。冠婚葬祭・年中行事に代表される儀式は、これまで日本人が培ってきた文化の淵源すなわち「文化の核」であり、元号と同じく、携わる人間が想いをこめて紡ぎ上げてきた、かけがえのない存在です。そのように重要な存在を、効率化や文明化の美名を被った「面倒くさい」という意識のもとになくしてしまうことは、決して許されるものではありません。

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文化を繋げるということ

 

そもそも、現代のわたしたちが「改元」や「儀式」を体験できることは、過去のご先祖様たちがわたしたちへ、この文化を繫いできてくれたからです。いわば、リレーのようなものです。それをリレーの中継者に過ぎないわたしたちが勝手に途切れさせてしまうことは「おこがましい」としか表現のしようがありません。世の中には本当に意味のない、ムダな作法「虚礼」が存在することも事実です。このようなものは淘汰されてしかるべきですが、不易と流行の間にある線引きをどこに置くかについて、新時代を迎える今、わたしたちは慎重の上にも慎重に考えを巡らせなければなりません。

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儀式は文化の核である!

 

平成が終わって新元号となったとき、さまざまな慣習や「しきたり」は一気に消え去ります。しかし、結婚式や葬儀、七五三や成人式などは消えてはならないものです。それらは「こころ」を豊かにする「かたち」だからです。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。天皇陛下の継承儀式という、日本文化の核ともいえる儀式群が幕を開けました。儀式に携わる者として、いま、この時に立ち会えた幸運に感謝し、その推移を見守らせていただくとともに、これから迎える新たな御代が誰にとっても平穏で、そして儀式の花開く時代となることを心より願う次第です。

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令和は冠婚葬祭の時代だ! 

 

天皇陛下の継承儀式は内外のメディアで中継されましたが、ここまで、儀式というものに国民の関心が集まったことは過去に例がないように思います。やはり先帝の生前退位によって「お祝い」ムードが強いことも一因でしょう。ぜひ、この流れの中で至るところで冠婚葬祭が大切にされ、「おめでとう」と「ありがとう」の声が行き交うハートフル・ソサエティを実現したいものです。「令和」の出典である『万葉集』に収められている和歌で最も多いのは相聞歌と挽歌、つまり恋愛と鎮魂がテーマです。まさに冠婚葬祭そのものではありませんか。

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令和最初の道歌を披露しました

 

明仁天皇の退位儀式が無事に終わり、徳仁天皇の即位儀式も順調に進行しています。ついに「平成」から「令和」へのバトンが渡されたわけですが、皇位継承儀式だけでなく、結婚式も葬儀も、すべての儀式とはバトンを渡すことではないでしょうか。4月18日の天道塾で佐久間会長は今年の見事な初日の出に言及し、「まんまるく まんまるまるく まんまるく まんまるまるい 令和の日の出」という歌を詠みましたが、どうか、令和の時代にまんまるまるい儀式の輪、そう「礼輪」を広げたいものです。
最後に、わたしは以下の道歌を披露しました。

 

まんまるくまんまるまるい礼の輪は 

 令和の御代を儀式で照らす 庸軒

 

 2019年5月7日 一条真也