老後を豊かにするための「修活ノート」

一条真也です。
月刊「清流」3月号が送られてきました。「主婦たちへ贈るこころマガジン」として有名な雑誌です。表紙には新井苑子さんのかわいい人形のイラストが描かれています。

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月刊「清流」2019年3月号の表紙

 

「清流」3月号には「いまから始める“明るい”終活」として、わたしのインタビュー記事が掲載されています。「老後を豊かにするための『修活ノート』」のタイトルで、未来工房さんが記事をまとめて下さいました。リード文には、「作家の一条真也さんは中高年に『修活ノート』づくりをすすめています。これは単なる『エンディングノート』ではなく『自分史』の項目も入っています。“財産目録”中心の部分は遺された家族への配慮ですが、自分史は『老いを豊かに過ごす』ために役立つからです」とあります。

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「清流」2019年3月号より

 

最初に、「『終活』ではなく『修活』の精神で」として、わたしはこう述べています。
「わたしは、世間一般でいう『終活』の言葉は、あえて使いません。なぜなら『人間は死んだら終わりではない』と思っているからです。『終』という言葉には、まるでその瞬間に、一切が消滅してしまうような響きがあります。しかし、たとえ肉体は滅びても、故人が生きてきた歴史まで消えてしまうわけではありません。その人が抱き続けた〝思い〟は必ず残された人たちに影響を与え、そうして人間の営みが受け継がれていくのです。ですから死は決して終わりではありません。
また、死を『ご不幸』などと表現しますが、これも間違っています。すべての生物は、必ず死を迎えます。もし『死ぬ者』と『死なない者』に分かれるのなら、『死』に当たった者は不幸だといえますが、死は誰にも平等に訪れるので、『幸』も『不幸』もありません。死とは“いまの人生”を卒業することです。いつかは必ずやってくる死に向かって、どう人生を収束させていくか、そのために老いの時間をどう有意義に過ごすか・・・・・・。この心構えをもって老い支度、死に支度を整える姿勢が、人生を美しく飾ってくれるのだと思います。だから、わたしは『終活』ではなく『修活』という言葉を使っています」

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「清流」2019年3月号より

 

次に、「自分の人生を整理するためのノート」として、以下のように述べています。
「老い支度、死に支度というのは、言い換えれば『死生観』の表現です。わたしはこれこそが、人間の“究極の教養”ではないかと思います。確かに、誰でも死ぬのは怖い。まして、苦しみながら死にたくはありません。
でも死を前にしてうろたえ、必要以上に嘆いたら、やがて残されるご家族の悲しみはいっそう深くなるでしょう。しかし、『死は誰にでも来るのだから、怖がらなくていい』『いままで精一杯生きてきたのだから思い残すことはない』と、落ち着いて死を迎えることができたら、自分も遺族も心安らかになるはずです。自分自身はもちろん、周囲の人たちのストレスを軽くし、むしろ幸福な気持ちにさせるためにも、美しく人生を修める・・・・・・。『修活』とはこういうものだと思います。わたしは世界各地の葬送儀礼を研究してきましたが、日本人は世界有数の“死を怖がる”民族だと思います。神道の“穢れを嫌う”思想の影響もあるようですが、それと同時に近代化以降、『死』を毛嫌いし、深く考えることを避けてきたからではないかと思います。
しかし、死をタブー視して遠ざけてしまうと、不安が増すばかりです。反対に、『死はこの世での役目を終えて別な世界への旅立つこと』だと考えれば、悠然と最期を迎えることができるのではないでしょうか。
死は、キリスト教では『帰天』(天に帰ること)であり、イスラム教は『アッラー(神)に召されること』です。仏教でも『成仏』(仏になること)と考えます。たとえ病に倒れて苦しんだとしても、死はその不幸から解放されることにつながるので、むしろ喜ばしいことと思えるはずです。

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「清流」2019年3月号より

 

また、「“向かって”いけば死が怖くなくなる」として、こう述べました。
「しかし、一朝一夕にこの心境に達することはできません。準備が必要です。その手助けになるのが『修活ノート』です。そこに『人生を卒業する準備』として、これから起こることを想定して記しておく。例えば保険証券、預貯金、通帳の保管場所といった『財産』的なものや、葬儀やお墓のことなど。遺された人たちが困らないように項目を整理し、一目瞭然にしておくことは旅立つ者の責任です。
ただ『修活ノート』に書き入れる要素はこれだけではありません。『自分の死後の手続き』も大事ですが、残った時間を有意義に過ごすことのほうが、より重要だからです。そのために、ノートに自分の人生を振り返る項目をつけ加えてほしいのです。例えば『幼い頃や青春時代の記録』『楽しかったこと』『これまで読んできた本や映画のベスト10』『これから読みたい本、見たい映画』など・・・・・・。
いわば『自分の歴史』です。自分が生きてきた行程を振り返ると同時に、『やり残したこと』『必ずやっておきたいこと』を整理する。これが、残された時間を有意義に生きていくための備忘録の役割を果たします。
もし残された人たちが、その記録に目を通してくれれば、『故人はこんな人だったのか』と、知らなかった一面にふれることができます。そして故人をしのぶだけでなく、『こういう考え方もいいな』と感じてくれたら、故人の“意志”や“想い”が、遺された人たちに受け継がれるかもしれません。

人生の修活ノート

 

「効用はまだあります。人生を克明に振り返る“記憶ノート”としての役割も果たすので、読み返せば認知症予防にも役立つはずです。
元気なうちに、辞世の句をつくっておくことや、『遺影(葬儀用の写真)』の準備もおすすめします。考えてみれば、葬儀というものはたくさんの花に囲まれ、大勢の参会者がお別れを告げにきてくれる、人生最後の晴れ舞台です。その主役になるのですから、自分らしい個性を演出しましょう。輝いていた時代の写真を飾って、それでみんなが微笑んでくれれば、残された人たちへの、すてきな思い出のプレゼントになります。
女性の場合は、元気なうちに、できればお気に入りのお召し物を着て髪型を整え、写真館で撮影してもらいましょう。それをノートにはさんでおいて、実際に葬儀で使ってもらうのです。あるいはその一枚と、若い頃の写真を並べて飾るとか、結婚式のようにフォトアルバムで見せる方法もあります。このように『自分はこの写真で見送られたい』と思えば、心構えができ、死が怖くなくなるはず。

 

人生の修め方

人生の修め方

 

 

「ちなみに最近、『家族葬』という葬儀の形態が流行っているようですが、わたしはこれには反対です。遺族が『家族葬』を選ぶのは『迷惑をかけたくない・・・・・・』というのが主な理由のようですが、でも、よく考えてみてください。人間は一人では生きていけない存在なのですから、故人も友人、先輩、同僚、ご近所の方など、いろいろな人に支えられてきたに違いありません。中には、故人にお別れをいいたかった人もいるはずです。それを無視して『家族だけで執り行いました』と、一片の通知だけですますのは、故人が生きてきた歴史を否定するのと同じなのです。義理で来てもらう必要はありませんが、家族といえども、故人と親交が深かった方々の『最後のお別れをしたい』という気持ちを無視してはいけないと思います。
葬儀に参列する人たちの立場になって考えると、それは故人にお別れを告げるという目的のほかに、参列した人自身に『死の準備』をしてもらうためのお手伝いでもあるのです。例えばあなたは、親しい人の葬儀に参列して、『自分のときはこうやってほしいな』と思ったことはないでしょうか。自分の葬儀を考えることは、いずれ来る死を受け入れられるきっかけになるかもしれません。また、『故人の分まで、私は残りの人生を生き切ってやろう』と、前向きな気持ちになれるはずです。そうした思いもノートに書き入れましょう。ぜひ『修活ノート』を活用して最後まで“自分らしい時間”を充実させてください。(談)」

 

人生の修活ノート

人生の修活ノート

 

 

2019年2月2日 一条真也