「久高オデッセイ」シンポジウム   

一条真也です。
6月5日、ブログ「小倉昭和館」で紹介した名画座において、ブログ「久高オデッセイ」で紹介した映画の完結篇「風章」の上映会が行われました。
あいにくの大雨でしたが、多くの方が来場されて満員になりました。この映画には株式会社サンレーが協賛し、わたし個人も協力者の1人です。上映会には父であるサンレーの佐久間進会長も来てくれました。


上映前の小倉昭和館

上映直前に法螺貝を吹く鎌田先生



映画の上映前には、製作者である「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が法螺貝を吹かれました。映画の上映後はシンポジウムが開催されました。テーマは「久高の魂と自然島の霊性」で、「古代以前の時代、先人たちの足跡、人々の生と死、育まれる命の息吹、死にゆく命の鼓動、人生儀礼としての祭祀。人間の魂が身体を脱ぎすて、海の彼方へ、原郷へ」などが語り合われました。ブログ「小川裕司氏」で紹介した写真家の方がコーディネーターで、パネリストは鎌田東二先生、作曲家の藤枝守氏、そして小生の3人です。


エンドロールには「サンレー」の名が!

シンポジウムのようす

パネリストの3人



登壇したわたしは、映画を観た感想を聞かれ、以下のように述べました。
わたしは「久高オデッセイ 風章」を観て、まず、「これはサンレーのための映画だ!」と思いました。サンレー沖縄は、沖縄が本土復帰した翌年である1973年(昭和48年)に誕生しました。北九州を本拠地として各地で冠婚葬祭互助会を展開してきたサンレーですが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。サンレーの社名には3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接に関わっています。


鎌田先生から感想を聞かれました

「久高オデッセイ」は“SUN‐RAY(太陽の光)”の映画でした



まず、サンレーとは「SUN‐RAY(太陽の光)」です。
沖縄は太陽の島。太陽信仰というのは月信仰とともに世界共通で普遍性がありますが、沖縄にはきわめてユニークな太陽洞窟信仰というものがあります。「東から出づる太陽は、やがて西に傾き沈む。そして久高島にある太陽専用の洞窟(ガマ)を通って、翌朝、再び東に再生する。その繰り返しである」という神話があるのです。おそらく、久高島が首里から見て東の方角にあるため、太陽が生まれる島、つまり神の島とされたのでしょう。
そして久高島から昇った太陽は、ニライカナイという海の彼方にある死後の理想郷に沈むといいます。紫雲閣とは魂の港としてのソウル・ポートであり、ここから故人の魂はニライカナイへ旅立っていくのです。


「久高オデッセイ」は“産霊(むすび)”の映画でした



次に、サンレーとは「産霊(むすび)」です。
生命をよみがえらせるという意味です。産霊といえば何といっても祭りですが、沖縄は祭りの島といわれるほど祭りが多い。特に村落単位で行なわれる伝統的な祭りが多く、本土では神社が舞台ですが、沖縄ではウタキ、神アシャギ、殿(トゥン)といった独特の祭場で行なわれます。司会者はノロやツカサなど女性が多いのですが、八重山アカマタ・クロマタや中部のシヌグなど男性中心の祭りもあります。また、本土のように「みこし」を担ぐ習慣はなく、歌や踊りといった芸能が非常に発達しています。産霊といえば、生命そのものの誕生も意味しますが、沖縄は出生率が日本一です。15歳以下の年少人口率も日本一で、まともな人口構造は日本で沖縄だけと言っても過言ではありません。「久高オデッセイ第三部 風章」でも、久高島に新しい生命が誕生していましたね。


「久高オデッセイ」は“讃礼”の映画でした



そして、サンレーとは「讃礼」(礼を讃えること)です。
言うまでもなく、沖縄は守礼之邦。礼においても最も大事なことは、親の葬儀であり、先祖供養です。沖縄人ほど、先祖を大切にする人はいません。
1月には16日(ジュールクニチー)、3月には清明祭(シーミーサイ)。ともに墓参りの祭りですが、最大の墓地地帯である那覇の識名の祭りも壮観だし、糸満の幸地腹門中墓は沖縄最大の清明祭が行なわれます。沖縄の人は、先祖の墓の前で宴会を開く。先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間となる。本当に素晴らしいことです。子どもの頃から墓で遊ぶことは、家族意識・共同体意識を育て、縦につながる行事です。これは今の日本人に最も欠けていることだと思います。


「本土復帰」ではなく「沖縄復帰」を!



このように「太陽の島」であり「祭りの島」である沖縄はまさにサンレーの理想そのものです。わたしはサンレーが沖縄で40年以上も冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた「人の道」があり、それこそ日本人の原点であると確信します。戦後70年の今こそ、本土は「沖縄復帰」すべきではないでしょうか。「久高オデッセイ 風章」を観て、そんなことを考えました。


キーワードは「儀式」と「涙」である!



映画の冒頭から久高島から望む海の上に浮かぶ雲が美しく、中にはシーサーのような形をした雲もありました。雲だけでなく、海、木々、花、そして太陽と月・・・・・・すべての自然描写が素晴らしかったです。わたしは、スクリーンを観ながら、久高島の「気」を感じました。そして、わたしは「久高オデッセイ 風章」を観て、2つのキーワードが心に浮かびました。「儀式」と「涙」です。


儀式論』(弘文堂)

生後1年目に一升餅を背負う儀式



最初のキーワードは「儀式」です。
わたしは『儀式論』(弘文堂)という本を書きましたが、儀式には大いなる力があります。「カタチにはチカラがある」と思っています。わたしは、儀式の本質を「魂のコントロール術」であるととらえています。儀式が最大限の力を発揮するときは、人間の魂が不安定に揺れているときです。まずは、この世に生まれたばかりの赤ん坊の魂。次に、成長していく子どもの魂、そして、大人になる新成人者の魂。それらの不安定な魂を安定させるために、初宮参り、七五三、成人式などがあります。この映画では内間奈保子ちゃんという女の赤ちゃんが一升餅を背負う儀式が登場しました。


老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)

カチャーシーを踊る老人



それから、登場したのは長寿祝いのシーンです。老いてゆく人間の魂も不安に揺れ動きます。なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。しかしながら、『老福論』(成甲書房)に書いたように、日本には老いゆく者の不安な魂を安定させる一連の儀式があります。そう、長寿祝いです。61歳の「還暦」、70歳の「古稀」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」、などです。


長寿祝いは「老い」の祝祭



沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝いますが、わたしは長寿祝いにしろ生年祝いにしろ、今でも「老い」をネガティブにとらえる「老いの神話」に呪縛されている者が多い現代において、非常に重要な意義を持つと思っています。それらは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれるからです。それは大いなる「老い」の祝祭なのです。その後に、人生における最大の儀式としての葬儀があります。
この映画には赤ちゃんの儀式と老人の儀式がともに登場し、儀式がいかに人間の魂を安定させ、幸福になるためのテクノロジーであるかが見事に描かれていました。


もう1つのキーワードは「涙」



次のキーワードは「涙」です。この映画では、2つの場面で印象的な「涙」が流されます。1つは、満月の夜の砂浜で産卵しながら流すウミガメの涙です。もう1つは、本来はイザイホーが行われるはずの日にたった1人の神人である若い女性が祈りながら号泣する涙です。「久高オデッセイ 風章」は、「涙」の映画であると言えるでしょう。


涙は世界で一番小さな海



わたしには、その名も『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という著書があります。人間は涙というものを流します。では、どんなときに涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、つらいときです。また、他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときです。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」をつくることができるのです。アンデルセンは、涙は「世界でいちばん小さな海」だといいました。そして、わたしたちは、自分で小さな海をつくることができます。その小さな海は大きな海につながって、人類の心も深海でつながります。たとえ人類が、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは深海において混ざり合うのだと思います。


鎌田先生の語りを聴く

2つのキーワードがクロスするのが海洋葬



そして、「儀式」と「涙」がクロスする場が海洋葬です。
ブログ「海洋葬」などにも書いたように、サンレー沖縄では「海洋散骨」を定期的に行っています。青い「美ら海」に白い遺灰が溶け込んでゆき、さまざまな色の花びらが浮かぶさまは詩的でさえありますが、それを見つめる遺族の方々の目からは涙が流れます。それを見て、わたしは「ああ、小さな海と大きな海がつながったなあ」といつも思います。まことに、ドラマティックで感動的な瞬間です。


久高島は日本一の「祭り」の島!



久高島は、2000年の歴史の中で、その文化を変えていないそうです。
土地はすべて天からの預かりものとし、現在まで私有地は一切存在しません。それゆえに、隣人が助け合い、ともに土地を耕し合う強力な「地縁」共同体となっています。また、1500年頃に始まったと推定される神事「イザイホー」以前の、20を数える神事を今も継続しています。先祖を祀る神事も多く、これまた強力な「血縁」共同体となっています。久高島は人口約150人(公称200人)という小さな島ですが、日本全国で最も「血縁」と「地縁」が重んじられている場所でもあるのです。
「血縁」と「地縁」を強化する文化装置が「祭り」です。
久高島こそは、日本一の「祭り」の島なのです。


やはり「沖縄復帰」すべきです!

沖縄力』(2010年6月刊行)



大重監督は、久高島のことを「日本列島の基層文化を維持してきたラストランナー、アンカーの役割そのものを担っている」と表現されていますが、そのラストランナーがトップランナーに一変する可能性をこの島は秘めています。久高島をはじめとして、沖縄すべてが先祖と隣人をこよなく大切にします。本土の人間が忘れつつあるものが沖縄にはしっかりと息づいているのです。やはり、日本人は「本土復帰」ならぬ「沖縄復帰」するべきです!
今月12日、わたしが会長を務める全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の第60回定時総会が沖縄で開催されます。わが社の マリエールオークパイン那覇が会場となりますが、まさに日本中の「礼」の会社が「守礼之邦」に集結するわけです。わたしは、そこでも「沖縄復帰」を訴えるつもりです。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)



わたしには『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)という著書がありますが、「生命の連続」を描いた「久高オデッセイ第三部 風章」こそは「死が怖くなくなる映画」だと思います。この夜、そんなことを語りました。


石笛を吹く鎌田先生

打ち上げのようす



パネリストの各人の話は尽きませんでしたが、21時になったのでお開きとなりました。まさに談論風発なシンポジウムとなりました。
閉会にあたって、鎌田先生が石笛を吹かれました。
その音は、久高島を吹き渡る風のような音でした。
終了後は、聴衆との簡単なカクテルパーティーを行いました。それから紺屋町の台湾料理店で打ち上げが行われ、わたしたちは深夜まで大いに語り合ったのでした。みなさん、大変お疲れ様でした!



2018年6月6日 一条真也