母の日  

一条真也です。
5月の第2日曜日は「母の日」です。
13日の午後から、わたしは妻と一緒に実家を訪れ、母にフラワー・アレンジメントなどを渡しました。5月は、わたしにとって特別な月です。5日の「子どもの日」、10日の自分の「誕生日」、そして「母の日」があるからです。幼いときから、いつもこの3つの「日」は3点セットでした。最近は、この3つの本質は同じだと気づきました。それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。


サンデー毎日」2016年5月22日号



ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。わたしは、ずっと不思議に思っていました。「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。心からの感謝の気持ちとともに、今日は母に花を贈ろうと思います。


「母の日」に贈ったフラワー・アレンジメント



もうすぐ刊行される新著『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)および『「こころ」を豊かにする「かたち」〜「人生の四季」を愛でる』(毎日新聞出版社)でも、わたしは「母の日」を取り上げました。もともと「母の日」とは、1905年の5月9日に亡くなったアメリカの社会運動家アン・ジャービスの功績をたたえたものです。アンは、南北戦争のときにあらゆる人々に愛情をささげた女性です。アンの娘、アンナが母の追悼式に白いカーネーションを参加者に配ったことが母の日の始まりといわれています。日本で母の日が普及したのは、キリスト教系の学校・青山学院に働きかけがきっかけでした。「母の日」の導入当初は、当時の香淳皇后の誕生月の3月に催されていましたが、昭和10年頃から5月に行われるようになりました。
昭和10年といえば、わたしの父が生まれた年ですね。ちなみに「父の日」は6月の第3日曜日で、今年は17日です。


娘たちから届いたフラワー・アレンジメント

娘たちから届いた花束



また、東京にいる長女と次女から妻へ「母の日」のフラワー・アレンジメントと花束が届きました。白金にあるお花屋さんからで、妻は非常に喜んでいました。今年の4月に大学生となり、東京で新生活を始めたばかりの次女ですが、お姉ちゃんの力を借りながらなんとか頑張っているようです。



2018年5月13日 一条真也