また会えるから 

一条真也です。
ブログ「父の生誕3万日」に書いたように、11月14日は特別な日です。
わたしの父・佐久間進が生誕してから、ちょうど3万日目なのです。
嗚呼、人生の四季! このように数字に意味を与えることこそが冠婚葬祭や年中行事の根本をなす考え方であると思います。ほんとに。
さて本日、「サンデー毎日」2017年11月26日号が発売されます。


サンデー毎日」2017年11月26日号



今週号の表紙の人物は、ネットで黒塗りになっています。
「すわ、ジャニーズ事務所のタレントか!」と思ったあなたは大正解!
黒塗りになっている人物の正体は、“嵐”の櫻井翔です。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第105回のタイトルは、「また会えるから」です。



前回、日本におけるグリーフケアの第一人者である高木慶子先生から「誰が亡くなっても悲しい」というお言葉を頂いたことを書きました。先生のお考えに賛同しながらも、多くの日本人にとって「誰が亡くなっても悲しくない」という時代が訪れつつあることも感じる自分がいました。



結局は「愛」の問題かもしれません。誰かが死んで悲しくないのは、その人への愛がないからです。世の中には肉親の葬儀さえ行わない人もいるようですが、そこに愛がないからでしょう。



上智大での講義を終えた後、わたしはグリーフケア研究所の方々と遅い夕食を取りました。そこでも高木先生と意見交換させていただきましたが、先生はグリーフケアの核心について「また会える、ということが大切ですよ」とおっしゃいました。同感です。 



亡くなった人と再会するという考え方はたくさんあります。
「風や光、雨、雪、星として会える」「夢で会える」「天国で会える」「生まれ変わって会える」・・・・・・世界にはさまざまな信仰や物語がありますが、いずれにしても、必ず死者と再会できるのではないでしょうか。



世界中の言語における別れの挨拶には、「また会いましょう」という再会の約束が込められています。日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうですし、英語の「See you again」もそう。フランス語やイタリア語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。これは、どういうことでしょうか。



古今東西の人間たちは、愛する人との死別に直面するにあたって、再会の希望をもつことで辛さや寂しさに耐えてきたのかもしれません。
でも、こういう見方もできないでしょうか。二度と会えない別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたと。そして世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと・・・・・・。
「また会えるから」ほど、愛する人を亡くした人にとって必要な言葉はありません。これからも、グリーフケアについて考え、実践していきたいです。


サンデー毎日」2017年11月26日号の表紙



2017年11月14日 一条真也