気多大社

一条真也です。
昨日から北陸に来ています。
今日は、サンレー北陸の施設と営業所を回っています。
その途中で、久しぶりに気多大社に寄って参拝しました。


気多大社の鳥居前で

気多大社の案内板



気多大社は、石川県羽咋市寺家町にある「能登国一宮」で旧社格国幣大社ですが、現在は神社本庁に属さない単立神社となっています。
かつて能登国越中国の一部だった天平時代には、越中国の一宮は気多大社であったことからも分かるとおり、由緒ある古社として知られています。



気多大社の由来



祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)ですが、気多大社公式HPでは、由緒について次のように説明されています。
気多大社が中央の文献に初めて見えるのは『万葉集』である。
天平二十年(七四八)、越中大伴家持が出挙のため能登を巡行したとき、まず本社に参詣して、『之乎路(しをぢ)から直超え(ただこえ)来れば羽咋(はくい)の海朝凪ぎ(あさなぎ)したり船楫(かぢ)もがも』と詠んだ。
本社がいかに重んじられ、のちに能登一の宮となる神威を当時すでに有していたことがわかる」


毎月1日は、ついたち結び。

手水場で手を洗う



続いて、気多大社公式HPには次のように書かれています。
「北陸の一角にありながら朝廷の尊崇が厚く、神護景雲二年(768年)に封戸(ふこ)二十戸と田二町を寄せられ、しばしば奉幣を受けた。斉衡二年(855年)には神宮寺に常住僧が置かれ、神階も累進して貞観元年(859年)には正二位勲一等から従一位にのぼっている。このような国家の厚遇は、東北経営、あるいは新羅渤海を中心とした対外関係とも無縁ではあるまい。能登半島の要衝に鎮座する気多大社の神威が中央国家に及んでいたのである」


本殿は修復中でした

参拝のようす



鎌倉三代将軍の源実朝をはじめ、能登の守護畠山氏、前田利家をはじめとする歴代の加賀藩主が崇敬し、社領の寄進や社殿の造営を行っています。気多大社の本殿、拝殿は江戸期の再建、神門は安土桃山期の再建ですが、国の重要文化財に指定されています。
なお、境内裏手には、原生林の社叢(しゃそう)が広がっています。社叢とは聞きなれない言葉ですが、いわゆる「鎮守の森」のことですね。かつて多くの神社に囲存在した森林のことで「杜」の字をあてることもあります。


気多大社では「入らずの森」と称して立ち入りが禁止されています。
この「入らずの森」には、一般の参拝はできませんが奥宮が安置されています。3万平方メートルの広さの中にタブ、ツバキ、シイ、クスノキ、カラタチなど、樹齢百年以上の古木が密生。しており、国の天然記念物に指定されています。昭和58年5月22日、全国植樹祭に際し、昭和天皇気多大社行幸しておられます。その折に「入らずの森」にお踏み入りになられ、以下の御製をお詠みになりました。


昭和天皇の歌碑


斧入らぬ みやしろの森 めづらかに
      からたちばなの 生ふるを見たり
                (昭和天皇御製)



昭和天皇の歌碑の前で



わたしは、かつて昭和天皇が「雑草という草はない。どの植物にも名前があり、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいる。人間の一方的な考えで推し量ってはいけない」とご自身の侍従長であった入江相政氏に語られたという逸話を久しぶりに思い出しました。
気多大社に参拝し、やはり由緒ある「神社」には「目に見えぬ大切なもの」が今もたしかに息づいていることを改めて体感した次第です。


神社はパワースポットです!


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2017年6月28日 一条真也