『儀式論』に反響続々!

一条真也です。
ブログ『儀式論』で紹介した本がおかげさまで好評です。
「儀式とはなにか」を突き詰めた書であり、「人間が人間であるために儀式はある」と訴えました。多くの冠婚葬祭会社、神社、寺院、さらには全国の図書館にもご購入いただきました。心より感謝しております。


稲葉俊郎氏のブログより



また、さまざまな方々のブログやツイッタ―、フェイスブックなどでも同書を紹介して下さっています。感謝の気持ちでいっぱいです!
未来医師イナバ」こと東大病院の稲葉俊郎先生も、ブログ「未来医師HP開設」で紹介した「TOSHIRO INABA」内のブログに「一条真也『儀式論』」という記事を書いて下さいました。NHK「SWITCHインタビュー達人達」にも出演されて超多忙な身なのに、本当にありがとうございます!



稀代の読書家として定評のある稲葉先生は、ブログの冒頭で「600ページもある大著で、簡単に感想を書くことを拒むような高峰だったので、結局3回読みなおした」として、以下のように書かれています。
「『儀式』というものが、これほど広範に捉えられるのかと、驚いた。現代は、情報革命と多様化の波の中で、『儀式』の意義がよくわからなくなっている時代だ。ただ、『儀式』という形は時を超えて残っている。だからこそ、こうした本が、儀式や儀礼の現代的な意義につき、改めて考え直す重要なきっかけになる。現代では『儀式』や『神話』は悪い意味で使われることが多いことが、そのことを示唆している。確かに、形だけを踏襲して、本質からずれてしまった『儀式』はむしろ有害なものもあるだろう。人を縛り不自由にすることだけを目的として作用するならば。
『儀式』の本質を取り戻すため、あらゆる角度から論じているのが本書である。文化人類学や宗教学など、膨大な参考文献から構成されていて、本を何十冊も読むくらいの勉強になった。古典的名著でタイトルだけは知っていても読んだことがない本が多い。だから3回くらいは読まないと、自分の土壌に染み込んで感想を書くまで理解できていなかったから、なかなか感想を書きだせないでいた。一条さんの博覧強記の読書と、その本質を的確につかんだ原文からの引用が、理解を深いものにしてくれる」


稲葉俊郎氏のブログより



それから、稲葉先生はブログ『宗教生活の原初形態』ブログ『儀礼文化序説』ブログ『言語としての儀礼』ブログ『古代芸術と祭式』ブログ『芸術学事始め』ブログ『日本の祭』ブログ『コンプレックス』で紹介した参考文献を次々に取り上げ、その核心となる文章を引用して、自身の感想を述べられています。その中で、わたしが感動したのは、日本民俗学創始者である柳田國男の『日本の祭』の初版本が稲葉先生の自宅のソファーの上に置かれている写真でした。なんと、その本には「弘文堂」の文字とマークがあるではないですか! 
名著『日本の祭』と拙著『儀式論』が同じ版元だったとは感動です!


コンプレックス (岩波新書)

コンプレックス (岩波新書)

また、河合隼雄の『コンプレックス』を取り上げたことに反応して下さったのも嬉しかったです。じつは、想定内ではありましたが・・・・・・稲葉先生も指摘しているように、日本を代表する心理学者であった河合隼雄が人間のエネルギーを「水」に喩え、その「水」の流れとして儀式の本質を考えることは卓見です。それは、人間内部のエネルギーのことを述べながら、同時に自然や神という無尽蔵のエネルギーとの交流の事も示唆しているのです。



また、稲葉先生は以下のようにも書かれています。
「現代が、多くの儀式が失われ、だからこそ儀式の本質が重要になっている時代だとすると、それは『体験に導き、同時に体験から身を守るもの』としての現代の儀式のあり方が求められている時代なのだろう。そういう意味では面白い時代でもある。一条真也さんは実践家として第一線のトップランナーで実践されている偉大な方でもある。現代ならではの儀式の創造、というと難しく聞こえるが、それは儀式の本質を再発見し続けことでもある。発見は、過去の連綿としたつながりを尊重し、その流れをつかまえることでしか発見できないものだと思う。温故知新というように、古典を尋ねることは、死者に敬意を持ち、死者の知識や経験を生者が受け取ることでもある。ただ単に新しい儀式を仕掛けることが大事なのではなく、一条さんがこの本で問いかけているように、人間や生命や生死の本質に触れながら、現代なりの儀式や儀礼を再発見して行くことが大事なのだ。死者や歴史への敬意を込めながら。そうした姿勢にはいつも大きく勇気づけられています」



わたしへの過分な評価には恐縮するばかりです。
それは横に置いておくとして、稲葉先生の儀式文化に対する提言はじつに傾聴に値します。わたしを含めて、すべての冠婚葬祭人が肝に銘じておきたいメッセージです。最後に、稲葉先生は以下のように書かれています。
「『儀式論』は600ページという大著で、 2016年11月8日に発売された本です。あまりに重厚で壮大な本だけに、感想を安易に書けず、3回読みなおして、やっとこうして感想を書くことができた。1年くらいかけてじっくり読み込むに耐えうる本だ。読んだ後も、こうして感想を書けた後も、充実感に満たされるすごい本だった。自分もこういう本を一生に一冊でも書ければと、思う。知的好奇心を刺激され、とてもとても刺激を受けた本でした」
これを読んで、わたしは稲葉先生に対して感謝の気持ちでいっぱいになりました。稲葉先生、本当にありがとうございました。


佐藤修CWSコモンズにようこそ」より



続いて、「サロンの達人」こと佐藤修さんです。
HP「CWSコモンズにようこそ」の「ブック」コーナーに書いて下さいました。まず、佐藤さんは儀式「軽視の風潮に警鐘を鳴らす 一条真也さんの渾身の書き下ろし」として、以下のように述べられています。
「すぐにも読みだしたかったのですが、600ページというその厚さと時空間の広がりを感じさせる体系的な構成の目次を見て、いささかひるんでしまいました。これは軽い気持ちでは読みだせないなと思いながら、しばらくパソコンの前に置いて眺めるだけにしていましたが、ようやく読む気になって、今月初めから気が向いた時に、章ごとにゆっくりと消化しながら読みだしました。しかし、各章とも内容の密度と広がりに、そう簡単に読み進めません。それにそこに言及されている参考文献も読みたくなってしまうのです」



佐藤さんは、ロバート・ベラー著『心の習慣』の日本版(訳者は島薗進氏!)への序文の文章を以下のように紹介されています。
「本書がモーレス、すなわち『心の習慣』に焦点をあてていることじたい、 儒教の『礼』に照応するものをアメリカ文化のなかに探しだそうとしたものとも言えるかもしれない。『儀礼』の語を広い意味で用いるとすれば、私たちはアメリカ人の生活の儀礼的パターンを描き出そうとしたと言える。心の底に深く根を下ろした個人主義のゆえに、アメリカ人は自分たちは内発的に生きているのであって、儀礼などに支配されてはいないと考えようとする。しかし、事実はそうではない。この点こそ、本書の中心的な主張の一つである」


このベラーの文章を紹介された後で、佐藤さんは以下のように述べます。
「一条さんのメッセージを思い出しました。『心の習慣』の著者のロバート・ベラーは、この本の中で、アメリカ社会の先行きに大きな懸念を表明していますが、その基盤にあるものが、一条さんと通じているのです。
ベラーは、こう書いています。
『私たちの活動のすべては他者との関係において、集団や結社や共同体のなかで繰り広げられている。そしてこうした関係や集団や結社や共同体は制度的構造によって秩序づけられ、文化的な意味パターンによって解釈されている』
まさに、儀礼と儀式。一条さんは、儀式と儀礼に関してこう書いています。
儀礼とは文化を文化たらしめるもの、限りなく「文化」の同義語に近いものと考えることができる。儀式とはそれを具象化するもの、つまり文化の「核」になるものと言っていいだろう』
そして、手紙にこう書いていました。『わたしは、儀式を行うことはすなわち人類の本能であると確信しています。そして、儀式の存在こそが人類の滅亡を防いできたと考えています』同感です。私もそう考えています」


最後に、佐藤さんは以下のように書かれています。
「それにしても、刺激的な本です。一条さんは、儀式に関連したさまざまな分野の文献や事例を踏まえて、人類にとって儀式とは何かの知見を集大成したのです。この儀式エンサイクロペディアとも言うべき本書を通して、読者はさらにさまざまな分野へと知の旅ができるはずです。ですから、私もあまり急がずに、ゆっくりと、寄り道しながら、本書を読み進めようと思います。みなさんも、よかったらぜひお読みください。そして、『儀式』ということについての思いを深めてもらえればうれしいです。たぶん、世界の見え方が少し変わり、生き方も変わってくるはずです。読まないで、机の上に置いて、眺めているだけでも、心が豊かになります。そんな本です」
佐藤さんの書評には大変勇気づけられました。
本当に、ありがとうございました。


不識庵の面影」より



そして、「一条本」の書評といえば、この人を忘れてはなりません。
「書評の達人」として知られる不識庵さんが、自身のブログ「不識庵の面影」に「『儀式論』その読み方と所感」と題する記事をUPして下さいました。
不識庵さんは冒頭で、「ようやく『儀式論』を読み終えました。しかし、問題は『読みこなせていない』ということに尽きます。正直に告白すれば、著者である一条真也氏の該博な教養の前に呆然と佇む己の未熟さを痛感させられた大書でした」と書かれています。




また、不識庵さんは以下のようにも書かれています。
「日常生活において、感覚的な体験だけでは知り得ないものについて考えることは稀でしょう。 形而上者謂之道 形而下者謂之器
とはいえ、この『儀式論』については、形而下の特質、即ち仕様に言及しておきましょう。四六判の上製本、所謂ハードカバーですが、『ロマンティック・デス』(国書刊行会)や『唯葬論』(三五館)など、これまでにもハードカバーの『一条本』は多数存在しますが、『儀式論』は黒レザー仕様で、背表紙のタイトルと表紙の太陽を表現したシンボリック・マークは金、裏表紙の月を表現したシンボリック・マークには銀で箔押し加工が施されています。
しかも『一条本』初の函入り!
600ページという『儀式論』の威容は『学術書』乃至『事典』のような趣があります。高級感溢れる仕様であり、保存性にも優れた書籍といえます」


論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

  • 発売日: 1999/11/16
  • メディア: 文庫

さらに、不識庵さんは以下のように書かれています。
「既に80冊を超えた『一条本』の中でも『代表作』と呼ぶに相応しい一冊であることはもとより、『論語』為政第二ノ一の『爲政以徳 譬如北辰居其所 而衆星共之』という一文の如く、儀式の意義を指し示す『徳』さえも薫る名著といえましょう。本書では儀式が『地域や民族や国家や宗教を超えて、あらゆる人類が、あらゆる時代において行ってきた文化』であることを一条氏は繰り返し強調しておられますが、先人たちが守り伝えてきた儀式を廃れないように時代に合わせてアップデートしていく必要性があることも、本書が強く主張するところであります。
しかし、一条氏は『古人の跡』を求めたのではなく、『古人の求めたるところ』を求めたことは一読すれば理解出来ます。すなわち『不易流行』があったればこそ、儀式という文化が時を超えて『いま』に伝わっているのです」



そして、不識庵さんは以下のように述べられるのでした。
「しかし、著者が危惧する昨今の儀式に対する日本人の姿勢は、良識ある方ならば首肯出来る惨状にあります。学者ならば憂いて終わればいいのでしょうが、実業家としての一条氏には『止むに止まれぬ想い』、すなわち使命感から『真理は単純にして美しい』ことは百も承知で、600ページを費やして『儀式が日本を救う』、ひいては『世界に平和をもたらすのは儀式』であることを縷々と書き綴っておられるのです。
いわば『儀式論』とは『救国の書』でもあるのです」


この神々しい写真を見よ!(「不識庵の面影」より)



この他にも、超弩級の文章が延々と続きます。おそらく日本のネット書評の歴史に残るような凄い書評となっています。写真もどれも素晴らしい!
このたび、多くの冠婚葬祭互助会さんなどが大量購入して下さいましたが、実際に『儀式論』を読み始めてみて、「想像以上に難しい」「なかなか読み進めない」と困惑している方も少なくないのではないでしょうか。そんな方々も、この不識庵さんの「『儀式論』その読み方と所感」を読めば、必ず最後まで読了できるはずです。徳は孤ならず必ず隣あり。不識庵さん、最高の読書ガイドを書いていただき、本当にありがとうございました!



また、ブログ「徳は孤ならず必ず隣あり」で紹介したように、日本を代表する宗教学者の先生方からも続々とコメントが届いています。
まずは、東京大学名誉教授で上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進先生から「大著の『儀式論』は宗教学の重要領域に踏み込んでおられ、意義深いご著作ではないかと思います」とのメールをいただきました。
また、京都大学名誉教授で上智大学グリーフケア研究所特任教授の鎌田東二先生からは「渾身の力作大著。儀式総決算も総決算。これまで勇猛果敢に実践的儀式論を展開してきた一条真也『儀式理論神学』の確立ですね!すばらしい!すごい!すてき!」とのメールをいただきました。


唯葬論

唯葬論

さらに、『儀式論』でご著書から多くの引用をさせていただいた福井大学名誉教授の小林道憲先生から直筆のお手紙を頂戴、そこには「素晴らしい名著の読書案内の書にもなっていて、これも一条本のひとつの魅力かと思います。さらに同時に文化人類学的業績にもなっていて、不思議な魅力をもった御著書です。『唯葬論』とともに『儀式論』は今までのお仕事の集大成だと思いました。これで理論武装は完成しましたね」とありました。
そして、わが儒教の師である大阪大学名誉教授の加地伸行先生からは直接お電話を頂戴し、「あなたの本で多くのことを学びました。あなたの活動に心から敬意を表します」と言っていただきました。本当にありがたいお言葉です。
先生方に心より感謝申し上げます。


週刊読書人」2017年1月20日号



各紙に書評も書いていただきました。
まずは、ブログ「『週刊読書人』に『儀式論』の書評が掲載されました」で紹介したように、日本を代表する書評新聞として知られる「週刊読書人」の1月20日号に「京都の美学者」こと秋丸知貴(滋賀医科大学非常勤講師)さんが素晴らしい達意の文章で書評を書いて下さいました。


神社新報」第3339号



それから、ブログ「『神社新報』に『儀式論』の書評が掲載されました」で紹介したように、神社本庁の機関紙的なメディアである「神社新報」の第3339号に大阪・堀川戎神社の寳來正和禰宜が書評を書いて下さいました。「神社新報」の主な読者は、神社本庁に属している神社や神職です。


中外日報」2016年12月9日号



そして、ブログ「『中外日報』に『儀式論』の書評が掲載されました」で紹介したように、京都に本社を置く日本最大の宗教新聞「中外日報」にも書評が掲載されました。同紙は、仏教界の方々がほとんど購読されています。「神社新報」や「中外日報」という神仏両界のオピニオン・ペーパーに取り上げられたことは望外の喜びですが、これも「儀式」というテーマが特定の宗教にとらわれない普遍性のあるテーマだったからと思います。


儀式論』(弘文堂)のチラシ



わたしは、『儀式論』を何かに取り憑かれたように一気に書き上げました。わたしの心中には「俺が書かねば誰が書く」という大いなる使命感がありました。不遜を承知で言えば、わたしは、ダーウィンの『種の起源』やマルクスの『資本論』のような人類社会に多大な影響を与える本をイメージしながら、『儀式論』を書き上げました。ドン・キホーテのような心境で書きました。まだお読みでない方は、ぜひ一読して下さいますよう、お願いいたします。


儀式論

儀式論

*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年3月27日 一条真也