君子は義に喩り、小人は利に喩る(孔子)


一条真也です。
これから、古今東西の聖人・賢人・偉人の名言をご紹介いたします。
カテゴリーは「WISDOM」としました。「叡智」という意味ですね。
すでに「KUKAI」のカテゴリーで、弘法大師空海の言葉をご紹介してきました。ちょうど100回目を数えましたが、おかげさまで好評です。
わたしには空海以外にもリスペクトしている人物が多数います。
それらの偉大な人々の言葉も当ブログで紹介したくなりました。
本名ブログの「佐久間庸和の天下布礼日記」には「心に残る名言」というカテゴリーがありますが、そちらで紹介したものも改めてこちらで紹介したいと思います。最初にご紹介するのは、『論語』に出てくる孔子の言葉で、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」です。「喩る」は「さとる」と読みます。


論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語』には、「利」という言葉が何度か登場します。
「利によって行えば怨み多し」。
すなわち、行動がつねに利益と結びついている人間は、人の恨みを買うばかりであるという意味です。
「君子は義に喩り、小人は利に喩る」。
すなわち、君子はまっさきに義を考えるが、小人はまっさきに利を考える。
孔子は、「完成された人間とは」と問われて、「目の前に利益がぶら下がっていても義を踏みはずさない」ことを、その条件の1つに挙げています。


どうも、「利」と「義」はセットで語られてきたようです。そう、経済と道徳は両立するのです。そのように多くの賢人たちが訴えてきました。
アリストテレスは「すべての商業は罪悪である」と言ったそうです。商行為を詐欺の一種と見なすのは、古今東西を問わず、はるかに遠い昔からつい最近まで、あらゆるところに連綿と続いてきた考えでした。しかし、かの『国富論』の著者であり、近代経済学の生みの親でもあるアダム・スミスは、道徳と経済の一致を信じていました。


道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

「神の見えざる手」というスミスの言葉は非常に有名ですが、彼は経済学者になる以前は道徳哲学者であり、『道徳感情論』という主著まであります。これは『論語』や『孟子』の西洋版のような本です。スミスは、道徳と経済は両立すべきものだと死ぬまで信じ続けていました。
スミスの後には、マックス・ウエーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で明らかにしたように、資本主義はもともと倫理や道徳というものを内に秘めていたのです。


論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

日本では、江戸時代に石田梅岩が現れて、商業哲学としての「石門心学」を説きました。そして時代は下り、幕末明治にかけて渋沢栄一が登場します。渋沢は日本史上最高・最大の実業家でしたが、父の影響で幼少のころより『論語』に親しみ、長じて志士から実業家になってからも、その経営姿勢はつねに孔子の精神とともにありました。「義と利の両全」「道徳と経済の合一」を説いた彼の経営哲学は、有名な「論語と算盤」という言葉に集約されます。特筆すべきは、あれほど多くの会社を興しながら財閥をつくろうとしなかったことです。後に三菱財閥をつくることになる岩崎弥太郎から「協力して財閥をつくれば日本経済を牛耳ることができるだろうから手を組みたい」と申し入れがありましたが、これを厳に断っています。
利益は独占すべきではなく、広く世に分配すべきだと考えていたからです。
やはり、「利の元は義」であると、わたしは確信します。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年2月17日 一条真也