一条真也です。
『恥をかかないスピーチ力』齋藤孝著(ちくま新書)を読みました。
ブログ「神戸の結婚披露宴」で紹介した結婚披露宴において新郎側の主賓として祝辞を述べることになり、参考書として本書を求めたのです。
帯には著者の写真とともに、「自己紹介から、結婚式のスピーチ、プレゼンまで、人前で心をつかむ話し方、88のコツ」「一番大事なこと、それはパッション!」と書かれています。
また、カバー前そでには以下のような内容紹介があります。
「新年度に自己紹介をしたり、結婚式やちょっとした集まりで人前で話したりする機会は意外と多い。そんな時に役立つ、スピーチやコメントのコツ、心構え。恥をかかないレベルから『なかなかうまいな』と思われるレベルまで、どうステップアップするか。『時間感覚』『身体感覚』の重要性、始まり方と終わり方、小ネタの集め方、シーン別のコツやNGポイントまで、人前で話す時にはこれさえあれば大丈夫!」
本書の「目次」は以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章 これだけはマスターしたいスピーチの基本
第二章 スピーチできる身体になる
第三章 スピーチで役に立つ小ネタの集め方
第四章 コメントを求められた時の対処法
第五章 シーン別 恥をかかないスピーチのやり方
【自己紹介】
【PTA、保護者の集まり】
【来賓に招待された時の挨拶】
【受賞した時の挨拶】
【組織を代表する時の挨拶】
【結婚式の挨拶】
【パーティーの挨拶】
【新人挨拶】
【部署移動の挨拶】
【会議の挨拶、説明】
【企画会議・プレゼン】
第六章 人前であがらないためのひと工夫
「おわりに」
「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書き出しています。
「日本人はスピーチが一般的に苦手です。
ちょっとした挨拶や自己紹介でも恥ずかしがって、まともなことを言えなかったり、反対に延々と退屈なスピーチをしてしまって顰蹙をかう人もいます。
また『これについて、どう思いますか?』と感想やコメントを求められた時、『むむ・・・・・・』と貝になってしまって気の利いたコメントを返せなかったために、面接で落とされたり、大事な商談のチャンスを逃すこともあるでしょう。shy(恥ずかしがり)は自信がなく、ビクビクしている印象を与えます。場合によっては、愚かだと勘違いされることさえあります。人前でそれなりの話ができるスピーチ力は、これからの時代を生き抜く必須の力と言えましょう」
では、なぜ日本人はスピーチやコメントが苦手なのでしょうか。
それは日本には西洋のように人前で話す伝統がなかったからであるとして、著者は以下のように述べています。
「西洋では古代ギリシャの時代から人前で話す文化がありました。古代ギリシャのポリスの市民たちにとって、人前で演説するのは当たり前のことでしたし、街なかでもみんながスピーチに近いことをやり続けていました」
西洋では公衆の面前で演説することによって、事の真偽をはっきりとさせるという伝統があったそうですが、日本では一般の人たちが人前で話す機会はありませんでした。著者は以下のように述べています。
「つまり市民として、そういう力を持つことは必要とされていなかったのです。
しかし明治時代になって鎖国がとけ、西洋の文明が入ってくると、文化が違う人たちの前で自己を主張する必要性が生まれてきました。福澤諭吉は『スピーチ』を『演説』と訳し、『学問のすすめ』においていち早くスピーチの必要性を唱えました。日本人があまりに演説が苦手なので、慶應義塾の中に演説館をつくってスピーチを練習させたくらいです」
第一章「これだけはマスターしたいスピーチの基本」では、著者は最初に「だらだら話すな! 一番大切なのは時間感覚」であると喝破します。また、「ストップウォッチを持ち、1分で話を終える」として、以下のように述べます。
「スピーチで恥をかかないためには、スピーチの内容以前の問題として、まずは時間感覚を持ち、他人の時間を奪わない配慮が大切だと思います。そのためにはストップウォッチで時間感覚を身にしみこませておくのがよいと思います」
人間は、他人の話に対して、どのぐらいの時間まで許容できるのでしょうか。
著者が何十年も見てきた経験によれば、以下の通りだそうです。
30秒まで 余裕で耐えられる
1分まで 「この話は面白くないな」と思い始めても、
「まあいいだろう」と平静に受け止められる
2分まで 「この話はつまらない」とはっきり認定し始める
3分まで 「まだ続くのか」と嫌気がさしてくる
3分超 怒りを感じ始める
「着地点を決め、『終わりのフレーズ』でしめくくる」では、著者は「だらだらといつまで続くかわからない話は聞いているほうも苦痛です。スピーチは体操競技に似ていて、着地が重要です」と述べています。
また、もちろん話の出だしも切れよくスパッと入るほうがいいのですが、やはり最後の着地点を決めてみせたほうが断然印象が違うとして、著者は以下のように述べます。
「スピーチが下手な人は、たいてい最後の着地点を決めておらず、その場の思いつきで『あと、こういうことがあって』と付け加えていき、しまいにはどこで終わらせればいいのかわからなくなってぐだぐだになってしまいます。体操で言えば降り技を持っていないのと同じで、ずっと大車輪をやっていなければならないわけです。これは最悪の事態ですから、自分で自分の話を終わらせるきっかけ、つまり降り技を持っていることが大事です」
第二章「スピーチできる身体になる」では、「大声を出すより、声を張る感じが正解」として、著者は以下のように述べています。
「『声を張る』とは『息を張る』ことでもあります。
まずおへその下(ここは丹田といいます)を意識してお腹にちょっと力を入れます。そして息を大きく吸って、吸った息を軽くためておき、それから声をスコンと出す感じです。せき止めていたホースから水がピュッと出るような感じを想像してもらえれば、ちょうどいいでしょう。あるいは、のど元で声を出すのではなく、お腹の底から出すという感じでしょうか」
続けて、著者は以下のように述べています。
「『声を張る』とはひじょうに良い表現です。『声を大きくして』と言っても、音だけが大きくなって、遠くまで通る声にはならないのですが、『声を張って』というと声が通って、人に伝わる声になります。『声を張って』というと気持ちや身体、息に張りが生まれます。『気を張る』とか『息を張る』という言葉はとても重要で、身体に張りを持たせて息を張れば、自然に声も張ってくるわけです。つまり声の張り=気の張りであり、息の張りです」
本書には実践的なノウハウも多く書かれています。
たとえば、「聴衆を6ブロックに分けて視線の方向を決める」として、著者は以下のように述べています。
「総理大臣も務めた田中角栄さんは、演説が上手だったと言われています。何百人もの聴衆を相手にしていても、近くにいる人に『ね、おばあちゃん。そうでしょう?』という感じで話しかけます。すると会場全体が『そうだ、そうだ』という雰囲気になって、たいへん盛り上がります。彼は多くの人を相手にしていても、1対1で話している雰囲気が出せるのです。
ふつうの人は1対1なら落ち着いて話せるのですが、1対10、1対100というように相手が多くなってくると落ち着かなくなってきます。その時ブロックを決めて、アイコンタクトできる人を見つけておくと、視線のコントロールがしやすくなります」
また、「好意的な人を見つけて、アイコンタクトをとって話す」として、著者は以下のように述べています。
「アイコンタクトのとり方ですが、コツがあります。会場を右・左、中央・右奥、左奥・中央奥の6ブロックに分け、各ブロックに1人ずつアイコンタクトをとる人を選んでおきます。人数が少ない時は、右・左・中央の3ブロックでもかまいません。選ぶ人は、自分の話を聞いてくれそうな好意的な人です。聴衆の中には必ず聞き上手な人がいるので、その人に向かって話せばうなずいてくれますし、『そうそう』という和やかな雰囲気を出してくれるので、話す側は落ち着くことができます」
第三章「スピーチで役に立つ小ネタの集め方」では、「ネタには必ず自分の経験や感想を加える」として、世界でもっとも貧しい大統領と言われているウルグアイの第40代大統領ホセ・ムヒカのスピーチが紹介されます。
彼のスピーチは多くの人たちを感動させていますが、著者は述べます。
「彼は豪華な大統領官邸に住むことを拒み、妻が持つ小さな農場の今にも崩れ落ちそうな平屋の家に住み続けて、水道もない質素な生活を送っています。そして給料のほとんどを寄付してしまい、わずかな貯金は農業学校をつくるためにあてているそうです」
また、著者は以下のように述べています。
「その彼が2012年、リオ・デ・ジャネイロで行った国連の『持続可能な開発会議』で行ったスピーチはあまりに有名です。スピーチで彼は『昔の賢明な人々、エピクロス、セネカやマイアラ族までこんなことを言っています』と先人の言葉を引用し、『貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ』と述べています。『私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです』という彼の言葉が人々の心に響いたのは、彼自身の経験や生き方がそれを体現しているからです」
著者は「スピーチとは新鮮なネタを出す料理店のようなもの」として、以下のように述べています。
「結局、スピーチとは新鮮な魚介を売りにする料理店のようなものです。自分で捕ってきたネタという魚をさばいて客に出しているのです。海には魚がうようよいるように、この世という大海にはスピーチに使える小ネタがたくさん落ちています。でもぼおっとしていたのでは、大海にいる魚をつかむことはできません。そこで釣り針や網を使って魚というネタを捕ってくる必要があります。釣り針や網は、『ネタを探そう』という自分の意識、アンテナであり、メモの習慣です。そしてネタを拾ってきたら、捕ってきた魚をさばいて、客に出すのです」
第四章「コメントを求められた時の対処法」では、「“無茶ぶり”でハイレベルなコメントセンスを鍛える」として、著者は以下のように述べています。
「儒教には『智・仁・勇』という3つの徳があります。これをコメントにあてはめると『智』とは角度があるコメントです。本質をはずさず、教養に裏打ちされた深みのあるコメントができるのが理想です。『仁』は優しさですから、あくまで人を傷つけないことが重要です。むやみに相手を批判したり、必要以上にネガティブなコメントは、マナーとして好ましくありません。そして『勇』は言うまでもなく勇気です。コメントをする時は、『智・仁・勇』を心がけ、相手に対する配慮を忘れずに、勇気を持って行うのが良いと思います」
第五章「シーン別 恥をかかないスピーチのやり方」の【組織を代表する時の挨拶】では、「英語を使ってシンプルなキーフレーズをつくる」として、著者は以下のように述べています。
「チベット仏教の最高位ダライ・ラマの言葉も参考になります。
彼は英語が母国語ではないので、英語でのメッセージはひじょうにシンプルにくっきりと私たちに伝わってきます。彼の名言の中に“Silence is sometimes the best answer.”(沈黙は時として最高の解答となる)があります。この『Silence』のところに自分が言いたいキーワードをいれていけばいいでしょう。たとえば『Smile』をいれると、『笑顔は最高の解答になる』『笑顔が大事なんですよ』というメッセージになります」
第六章「人前であがらないためのひと工夫」では、「人前であがるというのは、身体的に言うと気があがってしまった状態を言います」と書かれています。そこで「呼吸法で気をしずめ、自律神経を整える」として、37年間、身体機能や呼吸法の研究をし、呼吸法によって気全体を下げる方法を学んできたという著者は「そのやり方とは、まず息を軽く鼻から吸って、肺を空気でいっぱいにします。次に口をすぼめてゆっくり『ふ〜っ』と吐きます。ストローで息を吐くようなイメージで10秒〜15秒、長くできる人は20秒くらいかけてふ〜っと吐きます」と述べます。
続いて、著者は以下のように述べています。
「すると気持ちが下に下がっていく感じがします。『気持ちが下がる』というのは曖昧なようですが、気があがってしまった状態をしずめ、おへその下のほうにどっしり重心ができる感じのことです。そうすると、浅くなっていた呼吸が深くなり、息が長く続くようになるので、声が上ずってうまく出てこない状態から、腹の底から出るようなはっきりした声の状態になります。これは呼吸法によって、興奮をつかさどる自律神経である交感神経が抑えられ、落ち着かせる自律神経である副交感神経が優位になるからです。交感神経が活性化してしまうと、気ばかり焦って、人前であがってしまい、冷静にスピーチができません。そこで息を吸って、ふーっと深く長く吐いていくと、副交感神経が優位に働くようになるのです」
「おわりに」では、著者はスピーチの要諦について以下のように述べます。
「スピーチでもっとも重要なのは心を伝えることです。心というのはパッションです。これはテクニックよりはるかに重要です。自分の内側からパッションがわきあがるようにメッセージを伝えていく。瞬間最大風速のように、パッションをこめて、その時だけ夢中になって話せばいいのです」
そして最後に、著者は以下のように述べるのでした。
「深い思い、熱い思い、心の底からの思いが伝われば、いいスピーチになります。思いをキーワードに込めて、一番大切なことを勇気をもって胸を開いて伝える。これが、スピーチの王道です。伝えたいと思う情熱、パッションが聞き手を上回っているからこそ、人前に立つ資格があるのです。熱い心さえあれば、人をひきつけるスピーチができます。みなさんもどうかそんな熱い心が伝わるスピーチをめざしてください」
本書は単なるスピーチの実用書ではなく、スピーチの哲学書と言えます。
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2016年12月28日 一条真也拝