永六輔さんの思い出

一条真也です。
ランチタイムに開いた「ヤフーニュース」のTOP画面に「永六輔さん死去 83歳」という見出しがありました。わたしは「ああ、あの永六輔さんが亡くなったのか!」と驚き、それから深い感慨を覚えました。


「ヤフーニュース」TOP画面



読売新聞配信の記事では「永六輔さん死去・・・放送作家・作詞など多方面活躍」の見出しで以下のように書かれています。
「草創期のテレビ界で放送作家として活躍し、『上を向いて歩こう』をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去したことが11日分かった。83歳だった。東京・浅草出身。10代の頃のNHKラジオへの投稿がきっかけで放送作家の道へ進む。ラジオや草創期のテレビ番組に携わり、1961年から66年まで放送されたNHK『夢であいましょう』などの人気番組の脚本を書くかたわら、自らも番組に出演し、独特の早口なしゃべりで人気者になった。作詞家としては、中村八大さんが作曲し、水原弘さんが歌った『黒い花びら』が59年に第1回日本レコード大賞を受賞。以後も中村さんとのコンビで『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』『遠くへ行きたい』などの国民的ヒット曲を送り出した」


「ヤフーニュース」より



永さんが作詞した「黒い花びら」も、「上を向いて歩こう」も、わたしのカラオケ愛唱歌です。ブログ「上を向いて歩こう」ブログ『黒い花びら』でも詳しく書いています。また、テレビの旅番組「遠くへ行きたい」の主題歌でもあった「遠くへ行きたい」も大好きな曲で、中学生の頃のわたしはこの歌を聴くたびに一人旅に憧れていました。


特に「上を向いて歩こう」は、日本の歌謡史上最高の名曲でしょう。
「SUKIYAKI」とタイトルを変えた「上を向いて歩こう」は、アメリカのビルボードで1位の栄冠に輝き、その年のゴールド・ディスク賞も受賞します。英語以外の言語で歌われた曲としては史上初でした。
1963年のことですから、わたしが生まれた年の快挙です。
この快挙が、いかに日本人に勇気と希望を与えたことか!
戦後の復興期に日本国内で頑張っていた日本人はもちろん、米国内で肩身の狭い思いをしていた日系人たちも大喜びだったそうです。「すべての武器を楽器に」という喜納昌吉さんの名言がありますが、最初は黒船で脅され、最後に原爆を2発も落とされたアメリカの国内で日本人の歌が大ヒットして、多くの米国人から愛されたという事実に、わたしの胸は熱くなります。


689トリオ



戦後の日本人に希望を与え、阪神淡路大震災のときも東日本大震災のときも被災者の人々に勇気を与えた稀代の名曲「上を向いて歩こう」。半世紀以上に渡って日本人の心をとらえ続けたこの歌は、永六輔、中村八大、坂本九という3人の才能の合体によって生まれました。いわゆる「689トリオ」ですね。3人と親交が深く、この歌と縁も深い黒柳徹子さんは、「ふつう、名前に数字が入っている人は珍しい。それが3人揃ったのだから運命的なものを感じた」と言われていましたが、まさに天が3人を引き合わせたのかもしれません。ついに「689トリオ」は3人とも帰天されました。
天国で再会を喜び合っているかもしれませんね。


大往生 (岩波新書)

大往生 (岩波新書)

そして、永さんといえば、忘れられないのが大ベストセラー&ロングセラーになった著書『大往生』(岩波新書)の存在です。1994年3月に書かれたこの本は、その年最大のベストセラーになりました。
アマゾンの内容紹介には以下のように書かれています。
「人はみな必ず死ぬ。死なないわけにはいかない。それなら、人間らしい死を迎えるために、深刻ぶらずに、もっと気楽に『老い』『病い』、そして『死』を語りあおう。本書は、全国津々浦々を旅するなかで聞いた、心にしみる庶民のホンネや寸言をちりばめつつ、自在に書き綴られた人生の知恵。死への確かなまなざしが、生の尊さを照らし出す」


サンレーグループ社内報「Well Being」1994年9月号



それまで「死」についての本といえば、重いものが多く、こんなに軽やかに「死」を語った本は珍しかったのです。もっとも、拙著『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)の刊行は1991年10月でしたが・・・・・・。1991年9月4日、わが社のイベントである「サンクスフェスタ」をまだ「大葬祭博」と呼んでいた頃、永さんを講師にお招きさせていただいたことがあります。タイトルは「ここは地球の真ん中です」でしたが、『大往生』の発売からちょうど半年後の講演会ということで会場の小倉紫雲閣の大ホールは超満員になりました。講演の中で永さんは葬儀についても言及し、「記憶に残る素晴らしい葬儀とは、特定の型式・宗教にとらわれることなく当人(故人)が生前から親しんできたもの(音楽・文化)を取り入れ、周りの人々も故人を偲ぶに足りる内容のもの」と述べられました。


サンレーグループ社内報「Well Being」1994年9月号より



そのとき、サンレー本社の貴賓室でご本人とお会いし、『ロマンティック・デス』をお渡しいたしました。「永六輔といえば、生粋の江戸っ子で、歯に衣を着せずに相手を言葉で斬る怖い人」というイメージがあったので、正直わたしはビビッていました。しかし、実際にお会いした永さんはとても優しい方でした。少しの時間でしたが、お茶を飲みながら、「死」と「葬」についての意見交換をさせていただいたのが、わたしにとっては良い思い出であります。
最後に、永六輔さんの御冥福を心よりお祈りいたします。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月11日 一条真也