「唯葬論」とは何か

一条真也です。
わたしは、 終活WEB「ソナエ」で「一条真也のハートフル・ライフ」を連載しています。「日本の心」や「心ゆたかな生き方」をテーマに月に2回、コラムをお届けしております。その第14回目が7月31日にアップされました。



終活WEB「ソナエ」



第14回目のタイトルは、「『唯葬論』とは何か」です。同サイトのTOP記事で、「人の営みは『葬』なり・・・『唯葬論』とは」として紹介されています。
また今回のコラムも、上・下に分けて掲載されています。(上)ではエジプトの「ピラミッドとスフィンクス」の写真が使われており、「『死』と『葬』の本質」「冠婚葬祭ほど凄いものはない」という小見出しがあります。
わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、たしかに埋葬という行為には人類の本質が隠されていると言えるでしょう。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。
わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。世の中には「唯物論」「唯心論」をはじめ、岸田秀氏が唱えた「唯幻論」、養老孟司氏が唱えた「唯脳論」などがありますが、わたしは同書で「唯葬論」というものを提唱しました。



『唯葬論』とは何か(上)



また(下)では、「オウム真理教地下鉄サリン事件など数々の事件を起こし、社会を震撼させた。1995年3月、地下鉄八丁堀駅から運び出され、手当てを受ける乗客ら」というキャプションの写真が使用されています。
そして、「問われるべきは『葬』」という小見出しがついています。
オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもありませんが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要などありません。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。よって、同書のタイトルは『唯死論』ではなく『唯葬論』としました。



『唯葬論』とは何か(下)


唯葬論

唯葬論

なお、終活WEB「ソナエ」では、新連載開始に先立ち、ブログ「老いるほど豊かに」ブログ「『終活』ではなく『修活』」ブログ「『縁』と『絆』の大切さ」で紹介したように全3回で、わたしのインタビュー記事を掲載しています。



次回は8月17日にアップの予定です!



次回の「一条真也のハートフル・ライフ」は、8月17日(月)にアップされる予定です。タイトルは「和の世界遺産を考える」です。
日本人の「こころのシンボル」である富士山をはじめ、和食や和紙などがユネスコ世界文化遺産に登録されてきました。最近も八幡製鉄所軍艦島などの「明治の産業革命遺産群」が登録され、今度は宗像の沖ノ島が熱い注目を浴びています。日本が世界に誇りうる文化遺産とは何か。わたしが考えた具体的なアイデアも含めて、大いに語ります。どうぞ、お楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年7月31日 一条真也