出版寅さん、来る!

一条真也です。
出版寅さん」こと内海準二さんといえば、数多くの「一条本」をプロデュースした出版界の巨人ですが、昨夜、突如として小倉にやって来ました。


今朝の松柏園ホテル



じつは内海さんは、仕事で山口県の萩に出張し、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で話題の松下村塾を取材されたそうです。その後、新幹線で小倉まで足を延ばされたのでした。内海さんから「これから小倉へ行きます」というメールを受けたわたしは、あわててJR小倉駅へと向かい、20時に同駅の新幹線改札口で落ち合いました。駅には人が多かったですが、2メートル近い内海さんの巨体は非常に目立つので、一発で発見できました。
進撃の巨人、九州上陸!」といった感じでしたね。
その後、わたしたちは遅い夕食を取りながら、来月刊行予定の『永遠葬』(現代書林)について打ち合わせをしました。内海さんは、そのまま「松柏園ホテル」に宿泊。今朝は、松柏園で一緒に朝食を取りながら、『お墓の作法』(仮題、青春出版社)の構成について意見交換しました。


ムーンギャラリーで進藤さんの話を聴く内海さん



朝食が済むと、わたしは内海さんをサンレー本社に隣接した「ムーンギャラリー」にお連れしました。そこには、修活カウンセラーの第一人者である進藤美恵子さん、サンレー紫雲閣事業部の市原泰人課長らが待っており、内海さんは取材を兼ねたヒアリングを行いました。テーマは、主に「墓じまい」「墓じたく」でした。



内海さんとわたしは、「腐れ縁」もとい「古い縁」です。わたしは、大学卒業後、東京の赤坂見附に本社のある東急エージェンシーに勤めていました。内海さんは、その東急エージェンシー時代の先輩です。当時は出版事業部に所属されており、わたしの処女作『ハートフルに遊ぶ』をはじめ、多くの本を編集してくれました。「一条真也」というペンネームも内海さんと相談して決めました。



わたしが東京から九州に居を移したこともあって連絡が絶えていましたが、あることからふと内海さんを思い出し、じつに10年ぶりに電話をしてみました。すると、その日が偶然にも内海さんの東急エージェンシー退職の日だったのです。内海さんは、フリー編集者として独立することになっていたのです。本当に縁というのは摩訶不思議ですが、その電話がきっかけで数日後に東京で再会し、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の出版に至りました。また、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)を文庫化した『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)も出版されました。


ハートフル・ソサエティ      ロマンティック・デス―月を見よ、死を想え (幻冬舎文庫)    


内海さんへの電話はまさに心理学者ユングのいう「シンクロニシティ共時性)」だと思いました。シンクロニシティとは個人の運命を変える鍵であり、世界によって使命が与えられた印であるとユングは述べています。
再会後の内海さんとは数十冊におよぶ本を一緒に作ってきましたが、それらのすべてに何らかのミッションがあると思っています。


愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙      葬式は必要! (双葉新書)


特に、グリーフケアの書である『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)などは大いなる使命感をもって書きました。また、島田裕巳氏のベストセラー『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)の刊行後にすぐさま『葬式は必要!』(双葉新書)を出したときは、「電光石火の早業!」と、出版界で話題になりました。これらの本も、すべて内海さんのプロデュースでした。



そして、わたしたちが10年ぶりの再会を果たしてから、今年でちょうど10年目になります。『葬式は必要!』から5年、『ハートフル・ソサエティ』および『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』から10年、そして、戦後70年・・・今年はわたしたちコンビにとって節目の年にして勝負の年です。最高に気合を入れて、『永遠葬』および『お墓の作法』を世に問う覚悟です!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年6月5日 一条真也