抱き合う男女の埋葬遺骨

一条真也です。
2月14日で、ブログを再開してからちょうど2年目になります。ということで、バレンタインデーにふさわしい話題をお届けします。13日の金曜日、Yahoo!ニュースで非常に興味深い記事を読みました。「抱き合う男女の埋葬遺骨、先史遺跡で発見 ギリシャ」という記事です。



Yahoo!ニュース「抱き合う男女の埋葬遺骨、先史遺跡で発見」より



AEP=時事によって配信された記事には、以下のように書かれています。
ギリシャの考古学者チームは、抱き合った姿勢で埋葬されたとみられる先史時代の男女の人骨を発見した。ギリシャ文化省が12日、発表した。このような状態の埋葬人骨は極めて珍しいという。同省の声明によると、人骨が発見されたのは、ペロポネソス半島沿岸部ディロスの洞窟遺跡で、同地は紀元前6000年から人が居住していたことが知られているという。『このような埋葬は非常に珍しい。ディロスの埋葬例は、これまでに発見された世界最古級のものの一つ』と同省は説明した。
炭素年代測定で紀元前3800年のものと判明したこの人骨は、DNA鑑定で若い男女のものであることが確認された。それぞれの年齢については詳しい情報は得られていない。昨年完了した同遺跡での5年に及ぶ発掘作業では、幼児や胎児の埋葬人骨や、数十人の遺骨が納められた納骨場所なども発見された。幅4メートルのこの納骨場所からは陶器、ビーズ、短刀などの副葬品も見つかっており、床面には小石が敷き詰められていた。その時代のものとしては珍しいとされている。
『この地域については、数千年間にわたり、これらの集団の集合的記憶の中で、死者を埋葬する場所として機能してきたということが、無理なく推測できる』と同省は述べている。【翻訳編集】AFPBB News」


わたしは、この記事を読んで、まっさきにブログ「ポンペイ」で紹介した映画のラストシーンを連想しました。あの映画では、79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたポンペイで繰り広げられた奴隷の男性と身分の高い女性との恋が描かれますが、最後は二人が抱き合ったまま噴火した火山灰を浴び、抱き合った男女の遺体として後世に発見されるというストーリーでした。しかし映画「ポンペイ」は紀元1世紀の物語であり、紀元前3800年というディロス洞窟の恋人たちが愛し合った時間からはずいぶん後の時代ということになります。


古代の洞窟遺跡ということでは、ブログ「世界最古の洞窟壁画」で紹介したショーヴェ洞窟が思い起こされます。1994年12月、フランスのジャン=マリー・ショーヴェが率いる洞窟学者のチームが発見した洞窟です。そこには、なんと3万2000年前に描かれた壁画が奇跡的に保存されていました。3万2000年前といえば、1万5000年前のものとされるラスコー壁画よりも1万7000年も古いわけです。まさに、世界最古の洞窟壁画!
ちなみに、わたしは「最古」という言葉にめっぽう弱い人間です。そこには底知れないロマンがあります。「文明」には「最新」という接頭語が似合いますが、「文化」には「最古」が似合うように思えてなりません。わたしは最古の神話、最古の神殿、最古の儀式などに心惹かれてしまいます。



このショーヴェ洞窟の近くには、かのネアンデルタール人も存在していたそうです。ブログ「ネアンデルタール人」にも書いたように、ネアンデルタール人には死者を埋葬するという文化がありました。脳の容量も大きかったとされるネアンデルタール人ですが、なぜか現生人類のような絵画のような芸術を生むことはなかったとされています。
しかし、ショーヴェ洞窟の洞窟壁画を、その年代からネアンデルタール人の作品であるとし、最後期のネアンデルタールは芸術活動が行われていたと考える研究者も存在するとか。じつに興味深いですね。


イラクのシャニダール洞窟では、花をたくさん供えた死者の埋葬の跡が発見されました。それを行ったのは、ネアンデルタール人でした。
彼らは、いわば人類最古の「フラワー・ピープル」だったのです。
この洞窟は1951年から57年にかけて発掘され、その間に見つかった埋葬人骨の化石の土壌からノコギリソウ、スギナ、アザミ、ヤグルマソウムスカリタチアオイなど八種の花粉が集中的に発見されました。これらの花粉は、現在でも薬草として使われているそうです。その結果に基づいて、アメリカのR・S・ソレッキがネアンデルタール人の「花の埋葬」説を発表したのです。それまでヒト以前の状態にあるとされていたネアンデルタール人が花を飾って死者を弔うという行為をしたということは、彼らがヒトと変わらない心を持っていたことを意味します。ゆえにソレッキ説は大きな衝撃を学界に与え、それをめぐって60年代から活発な議論がはじまったのでした。



さらに、シャニダール洞窟では驚くべき発見がありました。
そこには、片手の先がないという身体障害者の遺体があったのです。
その人物は男性で、40歳ぐらいの年齢で死んでいることがわかりました。片手がないということは日常生活が非常に不便で、特に当時の採集狩猟文化の中では食料を得る上でまともに働くことの出来ない個体がいたことを示しています。そのような身体障害があってまともな生活能力のない人間でも、当時では長寿であった40歳まで生きられたのはなぜか?



これは、とりもなおさず、周囲のメンバーに支えられて生きていたということにほかなりません。現在では、ネアンデルタール人と現世人類の間には「つながり」があった可能性が大きいとされていますが、人類は最初から「相互扶助」という究極の道徳を知っていたのかもしれません。
そう、わたしが『隣人の時代』(三五館)で訴えたように、「助け合いは人類の本能」なのではないでしょうか?


隣人の時代―有縁社会のつくり方

隣人の時代―有縁社会のつくり方

ネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知り、「相互扶助」を実践していた。ディロス洞窟遺跡の恋人たちは、おそらく深く愛し合っていた・・・・・・。埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになります。
「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、たしかに埋葬という行為には人類の本質が隠されています。わたしは人類の文明も文化も、その根底には「死者への想い」があると考えているのですが、長らく構想を温めていた『唯葬論』(仮題、三五館)の執筆をついに開始しました。
この本はわたしの代表作となる予感がします。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年2月14日 一条真也