死後の世界を疑似体験する手順

一条真也です。
東京に来ています。16日の午前中に上京したのですが、羽田空港からモノレールに乗っているときに地震が起きました。わたしは揺れを感じなかったのですが、震度5弱というから、けっこう大きな地震だったようです。
あの東日本大震災の最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区では震度6強が観測されていますから、震度5弱というのはかなりのレベルです。安全確認のため、モノレールは約10分間停止しました。その後、赤坂見附のホテルにチェックインしましたが、安全点検が済んでいないためエレベーターが使用できず、従業員用のエレベーターで4階の客室まで上がりました。


(「死後の世界を疑似体験する手順」より)



さて、ブログ「NHKスペシャル『臨死体験〜死ぬとき心はどうなるのか』」にアクセスが集中しているようです。あの番組、ネットでもかなり話題になったようですが、「死後の世界」というキーワードで検索すると、興味深い記事を見つけました。ずばり、「死後の世界を疑似体験する手順」という記事です。
2013年7月31日にヤシロタケツグさんという方が書かれています。



その記事には、「死後の世界を疑似体験する手順」が以下のように具体的に紹介されています。
【手順】死後の世界を疑似体験するには
1.ある土地に行きます。
2.そこで一定の時間を過ごします。
3.その土地を離れます。
4.別の土地で一定の時間を過ごします。
5.離れた土地を訪れます。
6.死後の世界を疑似体験できます。


(「死後の世界を疑似体験する手順」より)



わたしは、これを読んで唸りました。シンプルですが、じつに鋭いです。
また、「東京で疑似体験」として、「自分にとって、死後の世界を疑似体験できる場所は、東京です。東京には、近郊も含めて20年近く住んでいました。離れてからは2年半近くになります。東京の側からすると、ある日いなくなったわけなので、死んだ人間と同じです。離れてから何度か東京を訪れる機会がありましたが、自分がいなくなっても、何も変わらないように動いています。と同時に、街並みなどに細かな変化も観察できます。いつも、死後の世界に来たような気持ちがします」と書かれています。



これは、わたしも経験があります。わたしは、東京に10年以上住んでいました。その後も東京へはしょっちゅう行くので、さすがに「死後の世界」という感じはしませんが、それを強く感じさせる場所があります。東急エージェンシーです。わたしがサラリーマンとして勤務した唯一の会社ですが、ここの前を通るたび、いつも不思議な気分になります。「自分はもう会社にいないのに、なぜ会社はそのまま存在しているのだろう」という不思議感です。会社に限らず、卒業後に母校を訪れたときも同じ感覚をおぼえます。


わが「死後の世界」の前で・・・・・・



特に、わたしは東急エージェンシーを退社した直後に強い不思議感がありました。わたしの3冊目の著書である『ゆとり発見』は1990年12月に東急エージェンシーから刊行されましたが、当時のわたしは独立してハートピア計画の社長を務めていました。でも、本の打ち合わせで東急エージェンシーを訪れ、「出版寅さん」こと内海さんにお会いするたびに、自分がゴーストになったような奇妙な感覚をおぼえていました。
たしかに、実際の「死後の世界」もこんな感じかもしれません。


東急エージェンシー前に立つ出版寅さん



じつは、17日の昼、内海さんと打ち合わせをしたのですが、東急エージェンシーの前で待ち合わせすることにしました。
そう、実際に死後の世界を疑似体験したかったのです。赤坂見附駅から東急エージェンシーまで歩いたのですが、驚きました。わたしが記憶していたよりも長い距離があったからです。「え、こんなに駅から離れてた?!」という感じで、少なくとも記憶の3倍以上の距離でした。人間の記憶とは本当に当てにならないものですね。それとも、30年前の若い頃と違って、中年になったわたしの足が衰えたのでしょうか。無事に内海さんと落ち合ったわたしは、マイ「死後の世界」の前で記念撮影した後、赤坂の「孔子膳堂」でランチし、その後は「ルノワール」で打ち合わせしました。



わたしは明日からニューヨークに行くのですが、およそ20年ぶりくらいの訪問です。学生やプランナー時代はよく行っていましたが、21世紀になってからは初めてです。9・11を経たニューヨークは以前とはまったく違っている予感がします。これも、「死後の世界」訪問に近いかもしれません。


(「死後の世界を疑似体験する手順」より)



それにしても、このヤシロタケツグさんという方は頭のいい人ですね。
「過去の自分も死んだ人」として、以下のようにも書かれています。
「考えてみれば、過去の自分はいまどこにも生きていませんから、その意味では死んでいるのと同じです。自分が10年ほど前に書いたテキストに『液晶テレビのスイッチを入れても音がしないのが気持ち悪い』と書いてありました。ブラウン管のテレビから買い替えた頃です。でも、そう感じた自分はもういません。荒川のすぐ近くに住んでいた頃、河口から20km上流の岩淵水門まで、週に3、4回は河川敷を自転車で行ったり来たりして走っていた自分ももういません。そうやって振りかえってみると、死体を残していないだけで、自分もたくさん死んできてるなと思います」
このヤシロさん、どうも哲学的な方のようです。ネットで調べたら、「ひとり遊び日本代表」という肩書が出てきましたが、なかなかユニークな方ですね。この「死後の世界を疑似体験する手順」は大変参考になりました。
ヤシロタケツグさん、ありがとうございます。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年9月17日 一条真也